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世界が終わるときの景色ってこんな感じかな

先日友達に会ってきました。コロナ禍ぶりです。実は流行が少し落ち着いたころに一度「一緒にごはん食べに行かない?」と誘われたこともありました。けれども、心配性な私は持病のこともあり、必要最低限の外出に留めたかったので断るしかなかったのです。

この前自分自身の病気についての真実を知ったとき、私がまず思ったのは「後悔しないように友達には会えるだけ会っておきたい」ということでした。そして一番先に確認したのは年賀状でした。数年間「また会いたいね」ということばを送りあっていたという記憶があったからです。

これを今、きちんと実現させるべきではないか――そう思いました。思い立ったら吉日ということで、さっそく連絡をしました。

「久しぶり!元気にしてる?」
「元気だよー!」
「今度もし都合があったら会わない?」
「ぜひ!」



そして当日、人の行き交う駅の改札で待っていると「ごめん、遅れる!」との連絡がありました。仕方がないので、スマホを操作しながら立っていることにします。周りには同じように誰かと待ち合わせている人がたくさんいました。ダウンなど暖かそうな格好をしていて、すっかり冬になったものだと自身もマフラーを巻き直しました。すると遠くから手を振りながら近づいてくるひとがいます。

私はこの日たまたま眼鏡をかけていたのですが、眼鏡をかけた顔面にさらにマスクをつけてしまうと、かなり外見からの情報が減ってしまいます。服装もいつものデニムから最近の流行であるロングスカートに変えていましたし、前とは髪型も違っていました。着くまでに服装の目印を伝えておくべきかと考えたくらいだったのですが、彼女は迷いもせずに私のほうへまっすぐに歩いてきます。正直、マスクをしている状態で会ったのははじめてなのに、よくわかったなあというのが本音でした。

むしろ、私のほうが相手の見慣れぬマスク姿に困惑して「え、これって本当に私の友達で合ってる?実は手を振っていたのは後ろにいる人だったりしない?」と若干焦ってしまったくらいでした。けれども、近くに来てにっこりと笑う目元は確かに彼女だったので心からほっとしました。

「久しぶりー!」
「ちょっと、何年振り!?」
「2~3年とか?」
「この前一緒にケーキ食べに行こうって誘ってくれたのにごめんね」
「あー!そんな話もしたよね!」

きゃいきゃいとそのまま往来で騒いでしまうのもなんなので、とりあえずランチを食べるお店を決めて駅から離れました。


「このお店もすっごく久々に来たよ」
「私も!」
「前に来た時のこと覚えてる?」
「これ食べたよね」
「あと食後に二人でパフェ食べた」
「そうそう」

店のメニューを見ながら、一通り前回の思い出を振り返ってみます。目の前で笑っている友達を見ていて、なんだか胸がじんとしてきました。なんというか、コロナ禍でなくしていたものがやっと戻ってきた気持ちになったのです。お互いに全然変わっていませんでした。

実は彼女に対して私は自分の病気のことをずっと伝えていませんでした。不安になると途端に気にしいになってしまう彼女には、あまりこのことは伝えない方がいいのではとなんとなく躊躇していたからです。彼女も今まで私が長く働くことができないでいる理由を、一度も聞こうとはしませんでした。


頼んだパスタを食べながら大体の近況を話していきます。彼女は最近の家庭での話をしてくれましたし、私は今はまっているゲームの話をしたりしました。それが思いがけずお互い知っているゲームだったりして、盛り上がりました。こういった共通点があると会話は弾みます。デザートまで食べ終わったあと、私は思い切って切り出しました。

「ちょっと重い話になっちゃうのかもしれないけど、聞いて欲しいことがあってさ」
「えっ?何?」
「前々から働けてないっていう状態はちょっと話してたと思うんだけど、実は私……自宅で病気療養中なんだ」

ここまで言って、私はどきどきしながら友達の次の言葉を待ちました。彼女はしばらく下を向いたまま何かを考えている様子でしたが、やがてぽつりと口にしました。

「そっか……私もなんとなく聞かない方がいいのかなと思っていた部分はあったよ」
「そうだったんだ」
「何か時間的な制限があるってわけじゃないんだよね?」
「うん。それは大丈夫」
「それならよかった」

少しだけしんみりとしたものの、気が付いたらいつもの会話トーンに戻っていました。私は彼女から心配されたりと重く思って欲しくありませんでした。それよりもずっといつも通りに笑って楽しく過ごしていたい――そんな思いでいっぱいでした。だからこそ今まで伝えてこないでいたのです。けれども、実際に話しても関係性は何も変わりませんでした。そのことに安堵しました。


「そういえばさ、もうつぶれちゃったけどあのお店のケーキが一番おいしかったな」
「あー!いつもシフォンケーキ頼んでたところね。毎回あるかどうか確かめるんだよね」
「ちょっと、記憶力良すぎ!そこは覚えてなくていいの」
「そんなこと言われてもなあ」

そんな他愛ないことを話しながらたくさん笑ってきました。現在のことも今までの思い出も、これからのこともいろんなことをふたりで話しました。忙しい中で会ってくれたので数時間しか話せなかった分、また近いうちに会う約束をしました。そして帰りの電車の中で「これまでの自分の時間を共有できる友達がいるって、本当にいいなあ」としみじみ思いました。

今までの私を、知っている。一緒に過ごした時間がある。今日の私も覚えてくれる。今も友達でいてくれている。そのこと全てに感謝をしました。


ひとりの人と長く友達でいることはとても難しいです。実際に少ない友達の中で、離れて行ってしまった人もいるので余計にそう思います。そのときはとても悲しかったですし、どうしてだろうと何度も考えてしまったりもしました。最近ようやく自分の中で折り合いがついてきたころで、病気についての真実――突然死する可能性など、そんなことを知ってしまいました。今まで主治医は教えてくれませんでしたが、私は知らされないでいるよりも知ったうえでどう行動するか?のほうが大切だと思うタイプです。

その現実は私にとって勇気や覚悟に変わりました。むしろ、逆に目的意識などをもって暮らすようになっています。いつ来るかもしれない危険性を与えられて、はじめてできるようになることもあるのだと思いました。「いつか」と夢見てきたこと、「やらなきゃ」と思いつつやってこなかったこと、「いいや」と思って避けてきたこと――今はひとつひとつ向かい合っています。


帰りの電車に揺られていたら、とても鮮やかなグラデーションの夕日を見かけました。下の方がもう燃えるような強いオレンジの光で、上に行くにつれてだんだんピンクっぽく変わっていき、夕日から離れた場所にある空は真っ青な色でした。あんまり綺麗だったのでこんなことを思いました。

(世界が終わるときの景色ってこんな感じかな)

なんだかファンタジー的な世界観の表現のようですが、本当にそう思ったのです。圧倒的な光景が目の前に広がっていました。夕方から夜に変わる中間の夜空で、夕日がまだ沈みたくないとでも言うように思いっきり光を放っているように見えたのです。

それはほんの1分程度のことで、すぐに建物に紛れて沈みゆくまばゆい光は見えなくなっていきました。たたんたたん、と音を立てて電車はどんどん遠ざかっていきます。それでも私はなんとなく、夕日が沈んでいく方向をずっと見つめていました。またあの光景が見えはしないかと。


あれから何度も考えています。人生におけるはじまりとおわりが交差するとき、やり残していることはないのか。もしあるとしたなら、それは何なのだろうかと。今までのことを後悔しないために、そして自分らしく生きるために――私はそれを見極めておかなくてはいけない、と。



ここまで読んで下さってありがとうございました。




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