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ガロア殺し

ガロアは不可能を証明した。

エヴァリスト・ガロア。1811年10月25日にフランスで生まれた夭折の天才数学者。

同級生の男たちが、毎年新たに誕生する女性アイドルに熱をあげ、同級生の女たちが、新卒の若い体育教師にうっとりしていた頃、同じ16歳の僕はガロアに傾倒していた。初夏の誰もいなくなった放課後の教室で、セミの鳴き声に重なった運動部のかけ声を、耳のずっと奥の方で聴きながら、僕はガロアの人生に思いを馳せた。

ガロアは10代にして、群論という理論を用いて、五次方程式以上の高次の方程式には一般的な解の公式が存在しない、ということを証明した。厳密には五次方程式以上の方程式が解けない、というわけではない。解けるものもある。ただ、僕らが義務教育で習った二次方程式の解の公式みたいに、ただ数字を当てはめれば機械的に解けてしまうなんてことは無い、ということを示したのだ。ガロアは一つの不可能を証明した。

考えてみればそれは不思議なことだ。それはつまり、どこまでも続くかに見えた真っ直ぐな道が、たった四歩歩いただけで、もう底の見えない真っ暗な崖になっているということなのだから。

そして何よりも魅力的なのは、その群論というアプローチだ。僕はよくiPodに入ったB.J.トーマスの「雨にぬれても」を繰り返し再生にしておいて、初学者用の解説書とにらめっこした。16歳の僕には、その理論を完全に理解しきることはできなかったが、そこに潜んでいた、美しいとしか言い様のないジャンプ力は感じ取ることができた。醤油とプリンを合わせるとウニができるみたいな、軽やかな飛躍だった。そしてそれはフリーキックからいきなりオーバーヘッドをしようとするサッカー選手を見てしまったような衝撃を、僕の青春にもたらした。

しかし僕はガロアの人生に、思いを馳せたのだ。夭折。早世。早死に。

彼は天才的な頭脳を持ちながら、若くして熱狂的な政治思想を抱いていった。そのために刑務所に投獄されるといった経験もした。

最終的にガロアは、ある女性への恋のために決闘をすることになり、その決闘で受けた傷が原因で、わずかハタチという若さでこの世を去った。この決闘に関しては諸説あるようだ。その女性についても、その決闘相手についても、つまりは謎に包まれている。ただ少なくとも、それは幸せな恋ではなかっただろうと僕は思う。

放課後の教室から、僕はその決闘の場面へと入り込んでいく。その決闘場所はフランスではなくて、もっと僕にとって馴染み深い場所だ。ただしその場所は、僕の頭の中にだけ存在している、仮想的で特異的な無機質の空間であった。

最初僕はその場面を空から俯瞰している。ガロアとその男はたった二人、十メートルくらいの距離を空けて、お互いに相手に対して銃口を向けたまま、全く動かない。その男の顔は見えない。

僕はもう少し二人に近づいていく。そして気づくと僕は、右手に銃を持ってガロアに狙いを定めている。その瞬間、僕こそが、ガロアの決闘相手なのだ。

ガロアの顔は、世界への怒りと、自身の内側から鳴り響く悲痛な叫びによって、痛く歪んでいる。彼が心から愛している女性は、彼のことを愛していないどころか、少しも意に介していないのだ。ガロアは、彼女にとって自分が、赤道直下のジャングルで生活している小鳥以上の存在価値すら持っていないことを、認めなくてはいけなかった。

引き金に掛かったガロアの人差し指の細かい震えを、僕は憐れみを持って見つめていた。つんとした静寂があたりを包み込み、それは永遠かのように思われた。

そしてきっかけもなく突然に、二つの銃声が空間に響き渡った。

ガロアは、明日に向かって撃ったのだ。不可能に争うようにして撃ったのだ。

後には、どこか遠くで鳴っている「雨にぬれても」の平和的なメロディに耳を澄ませながら、また一つ不可能を証明した人間の身体を、側で見下ろす独りの僕がいた。

Raindrops keep falling on my head
But that doesn't mean my eyes will soon be turnin' red
Crying's not for me
'Cause I'm never gonna stop the rain by complainin'
Because I'm free
Nothing's worrying me

降りしきる雨を止めることなんて、誰にもできないんだ。

僕は目を閉じて、月の微弱な重力に身を委ね、ゆっくりと、静かに、落ちていった。



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