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視点を変えて新たなストーリーを創ること

殺妻求将(さっさいきゅうしょう)
→ 妻を殺して将を求むという意味で、自分の出世や利益のためには手段を選ばないこと。

自分の名誉や利益を得るためになんでもすることで、けしからんともっていきたいのだろう。

この殺妻求将という四字熟語は、中国の春秋時代の故事によるものだという。

その故事の内容を簡単にまとめると下記のとおりだ。

斉の国を攻めようとしたときに、魯王は呉起を将軍にしようと考えた。

ところが、呉起の妻は斉の国の出身であったために、呉起を将軍にすることをためらった。

それを知った呉起は妻を殺して将軍になった。

これだけ書くと、呉起はとんでもない傍若無人な人物だと現代ではなるのだろう。

ただ、見方、つまし視点を変えることもできなくはないということを今回のテーマにしてみよう。

想像から新たなストーリーを創造する

先に断っておくが、私は上述した殺妻求将の故事を初めて知った。

よって、時代背景や登場人物については全くの無知だということで、四字熟語の意味以外はググってもいないことを大前提としていることを述べておく。

そして、現代に置き換えると、呉起という人物は自分の妻を殺してまで将軍になりたかったなどと言語道断だとなることは書いたとおりだ。

けれども、実はそれを妻が望んでいたというストーリーが加わったとしたらどうだろう。

ときは奇しくも戦国時代。

史実がすべてを語っているが、戦国時代ほど身分制度がハッキリとすることはない。

少しでも権力者側へいかなければ明日の命も保障されないのが戦国時代で、一族をいかに後世に紡いでいくことが重要視される。

当時の価値が高いとされるものが、現代の価値と同じとは限らず、自分の命よりも子孫繁栄を願う気持ちが勝ることもあっただろう。

ましてや、いつ命を取られてもおかしくない狂乱の時代。

妻となった以上、祖国のことよりも自分の嫁いだ相手や子孫のことを誰よりも想うのが当たり前の思想だっと考えられる。

妻には妻の考えがあって、旦那の将来を考えたときに自ら命を絶つことを提案していたとなったらどうだろう。

殺妻求将の故事を考えてみる

ということで、殺妻求将の話のもとになった故事はこういうものだ。

その昔、呉起という1人の武将がいた。

その武将は、あと少しで将軍に上り詰められるところまできたのだが、なかなかそのチャンスが巡ってこない。

そんなとき、隣の斉の国の女性との婚姻の話があった。

というのも、呉起には妹がおり、妹は自国に頻繁に来ていた斉の国の商人の娘として嫁いでいった。

妹が嫁いでいった商人はとても優秀な商人で、斉の将軍やその周りからの人望も厚い人物で外交にも長けていた。

妹は祖国に残っている兄のことを心配し、夫である商人になにかいい方法はないかと、しばしばい相談していた。

そんなとき、商人である夫からの提案は斉の国にいるできるだけ身分の高い女性と結婚させることを提案した。

その商人が提案した当時、呉起や妹の祖国である楚と斉は同盟のもと友好関係にあった。

ところが、戦国時代の同盟などいつ破られるかわからない。

どちらの国が強くなるか、政治的な情勢が変わるか、変数が多くわからないときには、どちらにも転べるようにしておく方がいい。

となると、血縁を結ぶことが最も絆が深いものとされていた戦国時代においては、婚姻関係を成立させることが最善だった。

ということで、斉の国にいた将軍家の娘を呉起に紹介することで、呉起は嫁を娶ったのである。

その嫁は嫁いだ以上、とにかく呉起の出世を誰よりも心待ちにしており、子孫繁栄のために3人の男の子を早々に授かった。

そして、いつでも呉起が将軍になれるようにあらゆるサポートに徹していた。

こうして過ごしていたあるとき、楚が自分の祖国である斉へ攻め込むという話を聞いた。

そこで、妻である私を殺すことで、楚への忠誠心を示すことを夫である呉起に提案したのである。

呉起はなにをいうかと断ったが、妻の再三による説得により妻を殺害することを決めるのである。

こうして、呉起の忠誠心は魯王に響き、晴れて将軍となり楚の宰相にまで最終的に上り詰めることになる。

その後の子孫の繁栄が約束されたことは言うまでもないだろう。

殺妻求将の故事の裏話

というのが、殺妻求将の故事なのだが、実は呉起の妻は殺されてはいなかった。

呉起の3人の息子のうちの末っ子がコッソリと斉の国に母と一緒に亡命していたのである。

つまり、呉起の妻は楚の国では殺されたと大々的に報じられていたのだが、実は裏側で別人を立てていたのである。

そして、斉の国を制圧した楚はいつでも斉への入国が可能になり、呉起は妻とも頻繁に会う機会をつくっていたという。

今からずっと前、中国の戦国時代といわれた時代に1人の武将とその妻によって描かれた物語は上手く現実となったわけだ。

したたかにも3人の息子を準備していたので、その3人を楚の国、斉の国以外にも往来ができるようにと、また別の隣国の妻を娶らせることにも成功した。

こうして、呉起が妻殺しを演出したような大胆な手法とまではいかないまでも、いずれの国にも血縁関係のある一族を配置したのである。

戦国時代以降、現代に至るまで、中国では呉と名字がTOP10に入るほどメジャーな名字になっている。

そのきかっけをつくったのは間違いなく、呉起とその妻だということを知っておくといいだろう。

ストーリーを創り出す醍醐味

即興でそれっぽいストーリーを加えてみたが、いかがだろうか。

とんでもない男だという意味合いから全然変わった意味合いに変化したことがおわかりいただけただろう。

考えながら書いたものなので、おそらく振り返ると粗いし細かい設定をし直さなければいけない部分は出てくるだろうが、ストーリーを書き終えるまで10分もかかっていない。

私の能力がスゴいだろうといったような自己承認欲求を満たしたいわけではなく、こうやって別のものに変えていく遊び心というかエンターテイメント性のあるクリエイティブが大好きなのだ。

というのも、クリエイティブな仕事を一見しているような人でも、実はただの業務委託という名の下請けを生業としているクリエイターが多い。

とりわけ、広島と東京を頻繁に往復していると地方にそういった傾向が強いクリエイターは多い。

彼らの最大の弱点はゼロからイチを創造する力がないことだ。

それっぽく仕上げてはいるのだが、なんかどこかで見たようなものだったり、自己満足の作品のようなものが多いのである。

それはすなわち、ストーリーを生み出せる力がないからである。

ダジャレのようになってしまうが、想像力の欠如が故に創造力がないのだ。

そして、それはアドリブ力のなさにも繋がっていて、一昔前のどこか古臭いコンテンツになっているのもよく見かける。

なぜ、そういったことになるのか、私は解を持っている。

それは、外部の人間と遮断しているのと、飯を食べていくためにただただクライアントに言われるがままのコンテンツ制作をくり返しているからである。

クリエーターとは本来、ゼロからイチを生み出していくエンターテイメントをヒエラルキーのトップに置くことがミッションであるにも関わらず、埋もれているというか気づいていない場合も多い。

そんな状況を抜け出したいのであれば、想像力を養って創造力を強化していくしかないし、それが心から楽しめるようになる必要があるのだ。

まとめ

私は2023年を迎えると、起業してから10年目を迎えることになる。

2022年を振り返るにはまだ少しはやいのはわかっているが、第4四半期に大きな決断をした。

それは、私の周りにいるクリエイティブな仕事をしている人たちの精査だ。

その理由は1つではないことは理解してもらえると思うが、最も大きな理由はエンターテイメント性に欠ける人を周りから排除するためである。

少しでもやり方や考え方が古いと思う人たちは、できるだけ遠ざけることにした。

それは上述してきたとおりで、私の理想とするクリエーターとは程遠いところにいる人たちで、そういった人たちのコンテンツは往々にしてありきたりでつまらない。

私の目指す理想の形は、stak, Inc. で実現していこうと思っている。

ということで、エンターテイメント性を重視したコンテンツを創り出したいという人は大歓迎だし、さらにいろいろと仕掛けていくので是非楽しみにしてもらいたい。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。