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今を生きるってどういうことだろう

どう生きたいかとかどう働きたいかということを考えている。

今を生きるとは目の前のことを大切にすること

いろいろな本や文章に触れるなかで、「今を生きる」という考え方にとても納得感があった。そしてそれは「目の前のことを大切にする」ということだと思うようになった、ということを書きたい。

私はいつも「いつか」や「未来」ばかりを考えていた。

『借りぐらしのアリッティ』というジブリ映画、ありましたよね。内容は正直ほとんど覚えていないのだけど(ごめんなさい)、そのタイトルがやけに印象に残ったのです。

その頃の私は自分の人生を「借りぐらし」みたいと思っていました。むしろ音が同じ「仮ぐらし」という感じですか。

いつか好きな仕事をしたい、いつか英語を話せるようになりたい、いつか自分の得意を生かした仕事をしたい、今はおしゃれにお金をかけられないけどいつかはね、いつか痩せてスタイルのいいかっこいい女性になりたい…

そして、いつかそうなったら、幸せな毎日を送れるな~と思っていた。逆に言えば、そうじゃない今は「仮ぐらし」…仮の姿、みたいな、なんかそんな風に思ってた。いや、正直、今もそんな風に思ってしまうときがあるけれど、本来、そうじゃないんだよなということに気付いたのは、

大好きな吉本ばななさんの本に、こんなことが書いてあったから。

「今ないものはもうずっとない」

『こんにちは!赤ちゃん』よしもとばなな

全ては「この人生、今以上の何ものかにならなくては、今のままではいけない病」と私が心の中で呼んでいる、現代特有の病のせいだと思う。…今ないものはもうずっとないのだ、そしていつか手に入るものは特にがんばらなくても、その時々の自分が勝手にがんばってくれるから手に入るのだ

本当にその通りだ!と膝を打ちたくなった。

あのとき、うちの近くのドトールでこの文章に出会った。そのときの情景が思い出せるほど、強く印象に残った。

私は、今以上の何ものかにならなくては、って、思ってしまうんだ。何の根拠も突出した能力もないのに、なぜか何ものかになれると思っているのだ。

でもそうじゃなくて、本当に大切なのは今、目の前にあることなんだなって。「今ないものはもうずっとない」というフレーズが特に重く心に残った。今ないものは、多分自分にとってあんまり必要じゃないのかもしれない、今なれないない何ものかは、そもそも自分じゃないもんね、と思うようになった。

そして、本当に必要になったら「特にがんばらなくても」「勝手にがんば」るんだね、きっと。「勝手に」何ものかになっていくんだな、と。そう思ったら気が楽になった。

と共に、本当にやりたいなら「今」やろう!と気楽に踏み出せる気にさせてもくれる。英語を勉強してその先どうするの?noteを中途半端に初めてどうしたいの?違う仕事をしたいって言うけど具体的に一体なんなの?

細かく考えなくても自然とやってみたいと思えるんだから、やればいいじゃん、やっていいんだ、って。

逆に、なかなかできない、やらない自分にイライラしたり焦ったりすることなく、本当にやりたいときにはきっと自然とやっているはずだって思えたのです。

青い鳥

そして、目の前のことをちゃんと見つめてみると、私にとって一番大切なことは、確かにもう今あるな、やっているなと気付いた。勝手にやってるんだ、手に入れているんだ。よく言う「青い鳥」現象か。(グリム童話の、青い鳥を探していたら実はうちの中にいたよっていうあれ)

関係ないけど、青い鳥の象徴としてオイバ・トイッカの「Bulue bird」をいつか手に入れたい。(この「いつか」は、きっとその時の私が勝手にがんばって手に入れるんだろうな!)

写真はscopeさんのサイトからお借りしました。

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例えば、大学生のときに出会って衝撃的に好きになったIDEEの家具に囲まれて、今暮らしている。子供のころに憧れた「キャンプに行く仲良しの家族」もつくれた。漠然と「働いてお金を稼ぐ」ということもできている。大切にしたい友達もいるし人間関係も築けている。まだ仕事には結びつかないけれど、英語の勉強は続けているし、書くことも止めていない。

そういう今に目を向けずに、「今以上の何ものかにならなくては」と思って、ありもしない「未来」ばかりを見て、勝手に焦って、今、幸せを感じられずにいるのはもったいないなと思ったのです。


こうして「目の前のことを大切にする」ということに注目していると、他にも気付いたことがあった。その気付きのきっかけはこの本。

考え方の癖

『つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。』伊藤絵美

認知行動療法について書かれていて、もちろんそれについては素人の私には詳しく書けません。

ただ、この本は「生きづらさ」を作っている(と思われる)、自分の「考え方の癖」を見つけよう!ということをやってみるきっかけになりました。

そして気付いたことは、私はとにかくせっかちで、「次」ばかり考えていて、「今、目の前のこと」を楽めていない、ということ。生活のほとんどのことを、効率的に、なるべく早く、「こなす」という感覚でやっている。焦っている、と言うか。しかもそれは「形だけ」なのです。

「今、目の前のことを大切にする」=楽しむ!という感覚からはほど遠い。

小さいことなのだけど、例えばお料理。

今日食べたいものを、美味しくできるように、楽しく作ろう、と思うのではなくて。

効率的に作れるものを、料理本の通りに、できるだけ早く作ろう、という気持ちが働く。

結果、

あまり時間はかからないし効率的だけど、そんなに食べたいものじゃなかったり、無駄に焦ってるから調味料の分量を間違えたり、具材にちゃんと火が通ってなかったり、他のことを同時進行でやっていて気が回らずに鍋を焦がしたり。

そして、無難なものが出来上がる。

しかも、形ができあがればいいのだから、味見をしないんですよね;

料理本の通りに(形通りに)やっているんだからこれ以外に答えはないでしょう、という感じ。

当然、料理を楽しいとは思えてない。満足度が低いのです。

これじゃいかんな、と。「目の前のことを大切にする、楽しむ」ひいては「今を生きる」ということができてないじゃないか、と。


お料理だけじゃなくて、なんでもそうなんです。

テーブルを拭く、洗濯を干す、トイレを掃除する、なんなら子供の相手をする時でも、めんどくさいなと思いながら、とりあえず「形だけ」やる。

掃除なら本当にきれいになったかどうかではなく、とりあえずそこを拭いたからいいやという感じ。子供の相手なら子供の反応に合わせてどうこうするのではなく、とりあえずこの絵本を読む、このごっこ遊びをする、終わったら「じゃあ、ママちょっとご飯つくるからね」とそそくさと去る…

そして気持ちはなぜかいつも焦っている感じ。目の前のことに集中しているとは言い難く、早く早く、次はあれをそしたらそれを…

いやいや、そうじゃないな、と。

「ゆっくり動く」「ものごとの本質を捉える」

それで、やってみたのは「ゆっくり動く」ことと、「ものごとの本質を捉える」ということ。

「ゆっくり動く」はなんだそれって思われるかもしれないけど、意識してこれをやると、気持ち的に「あ、なんか私、目の前のことに丁寧に向き合ってるな」と思えるのだ。敢えて、冷蔵庫からゆっくり野菜を取り出す、野菜を袋から取り出すときに、めんどくさくて無理やりビニールを破っていたのを、敢えてちゃんとハサミを使って切る…等、ただそれだけ。

そして、「ものごとの本質を捉える」はなんか難しく言ってみただけで、何て言うか本来の目的を考える、みたいな感じ。そしてそのことに気持ちをこめる。

掃除なら形だけテーブルを拭くのじゃなくてそこが本当にきれいになったか。そして、きれいになったなぁ!と思いながらやる。

料理なら形だけ作るのじゃなくてちゃんと野菜に火が通ったか。レシピ通りに作ったけど、味見してみて足りなければお塩を足すとか。取り出しやすい一番上にあるお皿を使うのじゃなくて、今日のお料理に合う色や形のお皿を選ぶとか。美味しくできたなぁ!と思いながらやる。

子供の相手なら、その時は次のやることは考えないで子供との時間に集中する。子供の相手と考えると疲れるから、例えば絵本を読むなら、自分も一緒に絵本の世界を楽しむとか、子供の月刊誌の付録作りなら、もはや「ものづくり」の精神でめっちゃ本気でやるとか。それこそ「今」しかない、驚くほど毎日変わっていく子供の表情や動きや言葉をかわいがって、おもしろがりながら。

経費管理の仕事なら、とにかく早くと思いながら自動計算した数値を使って定型の資料にまとめるだけじゃなくて、計算ミスがないかを確認してその数字の裏にある部門の状態を分析したり、問題点を考えたりするとか。そしてそれをいつもの報告にプラスしてみるとか。

ただ「こなす」のではなく、気持ちを込めるように。

このように、多分ほとんどの人にとって「なにそれ、当たり前なんですけど」ということが、私にとっては”とにかく早くこなそう精神”により邪魔されて見つけられなかった楽しみで、そしてそうやって楽しむことが私にとっての「今を生きる」ということの一つなのだと気付いたのです。


あと、やってみて思ったのは、焦って慌ただしくやっていたときと、丁寧にやったときと、かかる時間はそんなに変わらない、ということ。一体、何をそんなに焦っていたんだろう…。

暮しの手帖

目の前のことを大切にするということの教科書的な存在になっているものの一つは、愛読誌『暮しの手帖』です。

自分の暮しを自分の力で丁寧に守るということ。お料理とかお裁縫とか、旅や子育てや身の回りのものなど、目の前にある自分自身の「すき」に触れること。ささいなことでもそういうことを満足のいくまでできれば、納得して生きていけるなと思えるのです。


今日も、意識してゆっくり動き、物事の目的を考えて、「今」目の前のことを楽しみたい、そしてなりたい自分に近づくために「今」行動しよう、と思っています。なかなか難しいけれど、いや、結構難しいけれど!←最近は4歳の息子(保育園登園自粛中)の相手に四苦八苦し、当然楽しいだけでは終わらない…これはまたの機会に書いてみたいです。


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