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#33 魔法にかかった最後の日に思うこと

この気持ちは、一体なんだろう。
「好き」と「感謝」と「さみしさ」が
絡み合っているような。

昨晩あまり寝付けず、
早朝から目が冴えている。
ついにこの日が、大切な場所の
閉店の日がやってきたからだ。

その場所は、京都の北野白梅町にある
誰でも店長になれるお店
魔法にかかったロバ」。
通称「まほロバ」。

8年前、2011年11月1日に
オープンした。

立ち上げの事務局メンバーとして、
2011年9月末から参加してきた。
メモ魔の私は、当時のノートの最初に
こんなことを書いていた。

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オープン前の1ヶ月は、
めちゃくちゃ忙しかったけど
本当に面白かった。

壁や扉の色を決めて、
カウンターをサンダーで削ってもらって
奥のスペースの名前を「ロバの耳」にして、
看板やカレンダーをつくって、
ブログやtwitterで発信して。
料理ができなくても店長ができるようにと、
通常メニューが考案されていって。

和菓子職人の方がカフェをやってくれたり、
立命や同志社の大学生が
代わるがわる店長をやってくれたり、
そうこうしているうちに気づけば
常連さんができて、店長さんが増えて、
なんだか面白い人が集まってくれる
場所になっていた。

「1日2回お店が着替えるんです!」
「昼はおばあちゃんのオムライス、
夜は女子大生による日本酒バーとか」
「面白いんです!一緒にやりませんか?」

その頃は、人に会うたびに
まほロバの話をしていた。
夢中だった。
私自身が、まほロバにいて
何より愉しかったから。

なぜ、そんなに愉しかったのだろう。

1周年の頃のノートには、
こんなことを書いていた。

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やりたいと思うことはたくさんあっても、それを一つとして実行することは難しい。背中を押して、そのひとつを一緒にやっていく場所。

先日、閉店を知って最後に
美味しいカレーを出してくれた先輩
当時の言葉に、はっとした。

お客さんも店長さんも事務局メンバーも
社会人も学生もおじいちゃんおばあちゃんも
世代を超えて、ゆるやかな一体感があって。

みんなのやってみたいことを
みんなで応援する空間が好き

私はいつも愉しかったのだ、と。

それは、私自身がずっと
惹かれ続けていることだ、と。

やりたいことは、
一人で始められることばかりじゃない。
やりたいことでも、
一人だと続けていくのは難しい。

私自身が何事も続かないと思ってきたから。
もし同じような人がいるなら、
みんなで出来たらいいなあと
やってきたのだなと思う。

まほロバが2周年を迎える直前、
後輩の運営メンバーたちに
引き継げたなあと感じた日は、
とてもとても嬉しかった。
想いを繋いでくれる人がいること、
きっともっと素敵になっていく予感。

そして、次の3月。私は、卒業した。

8年というまほロバの物語からすると、
私はそのたった2年半しか中にいない。

2年半は、愛を注いだ場所であり
たくさんの出会いと体験(失敗も)を
させてもらった場所であり、
居場所」だった。

それから5年半。
運営には全く携わっていないし、
実際に訪れるのも年に数回。

でも、学生時代と同じ温度で、
社会人になってから出会った人にも
まほロバの話をしてきたように思う。

「好き」という気持ちが同じだったから

この「好き」は、自分の関わり度合いに
左右されることではなくて、
場所、仕組み、関わっている人たち
そういう全てのことを
もう全部まるごと好きだという感覚。

立ち上げメンバーとか事務局とかじゃなくて
私は、まほロバの「ファン」なのだ。
構想を聴いたあの日からずっと。

もう、店長さんもお客さんも
知らない方の方が多いし、
知らないお店もある。

でも、好きな気持ちは変わらなかった。
好きな理由である"愉しさ"が
いつもそこにはあったから。

卒業を機に、
「居場所」から「帰る場所」になった

卒業式の日に、
「いつでも帰ってこれる場所」だと
送りだしてもらった通りに。

誰がそこにいるとか、
どんなお店か、ではなく、
まほロバという場所そのものが、
そこで過ごした自身の記憶が
「帰る場所」になっている

8年間支えてくれたことを、
とてもとても感謝している。

そして、8年間続けてくれた人たち
まほロバを好きでいてくれた
もう数えきれないたくさんの人たちの
おかげだから、本当に感謝しています。

続けることは本当に大変だから。
赤ちゃんが小学2年生になる年月。
感謝しかない。
たくさん助けてもらいました。
ありがとうございました。


閉店の知らせをもらってから、1ヶ月。
いろんな人が「まほロバ閉まるんやねえ」と
声をかけてくださった。

「この人ともまほロバを通して、出会ったのか」
「あの時、まほロバに来てくれたなあ〜」
「これは、まほロバからの繋がりだった!」

今の自分の周りには、自然に
まほロバからもらった縁があって。
あれもこれもなんだと、
正直、びっくりした。

それは、なくなると決まったから
思い出したことで。
その人たちとまた連絡をとったり
会えたりしたことで。
終わることの意味についても考えた。

だから、今日の夜「閉店の集い」は
とっても楽しみだ。

初期の常連さんが、帰国して
来てくれるっていうんだから、
もう嬉しくて仕方ない。

終わりは、始まりだという。

私は、そうだと思ってきた。
変わっていくからこそ、
あたらしいことが生まれることを
まほロバで見てきたから、
「場所」がなくなるという変化によって
あたらしい何かが生まれていくだろう。


書き始めたら止まらなくなって、
2,000字を超えていた。
簡単なレポートみたいな文量(笑)

こんなに、まほロバについて考えて
想いを言葉にするのは初めてで、
何だかスッキリしている。

誰に向けて書いているのかと考えると
「まほロバ」に向けてだ。

とてもとても好きだから、
最後にラブレターを
書きたかったのかもしれないなあ。

ありがとう、まほロバ。
これからも、ずっと好きです。

2019年8月4日 猛暑の京都で。


photo:
まほロバ一周年に、店長さんがつくってくださった看板。初代事務局メンバーが、一文字ずつデザインした。私は「魔」の係。今見ても、可愛い。

サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。