#18 近くにいる人への愛情
悩みや愚痴を聴いたとき、
どうすれば相手が吐き出すだけでなく
自分自身を見つめたり
何かに気づいたりできるだろう。
以前、会社のプロジェクトで
「問い」について学んでいたことがある。
その参加メンバーに、40代の女性
(成人と中学生の母親で1歳児の祖母)
がいる。
彼女は、私の職場での母のような人。
いろんな人から話を聴く立場に
なりやすいという共通点があった。
だから、よく二人して
冒頭の問いについてよく考えていた。
彼女は退職し、今は別の場所で
あたらしいチャレンジをしているのだが、
時々LINEでやり取りをする。
彼女の親しい友人で
元同僚の方からの愚痴に
カチンと来たとのこと。
”そんなやり方あったんやって知ったなら、今までの自分に何か変化をもたらしたいなら、練習しながらででも違うことにチャレンジしたらええのに、あんたはごちゃごちゃゆーとるだけで練習しても無駄やって初めから決めつけて動かへんなら、その生き方繰り返したいってことなら繰り返してればいい。あたしは、少しでも傷つかなくてすむようになるならその方がいいと思って、本質と感情をわける練習を今もしてるところや。ってバッサリ言っちゃった。責めるつもりもなければあたしができてるわけでもない。あたしのことさえ鬱陶しいとも思うかもしれんけど、ただあたしは言い続けるしかできひんからと。”
愚痴をそれで終わらせない言葉、
相手を想っての言葉だと感じた。
そして、彼女自身も練習を
続けているなあと。
だから、そのままを伝えた。
”相手が愚痴で終わらないようにする練習の成果なんやなと思ったわ””何回も言われて、染み付いてきて、ふとした時に、価値を感じられるもんやからなあ〜こういうことって。”
私自身も、グズグズと悩んだときに
何回も同じように自分の状態を
指摘してもらって気づけたことがあったから。
”だとしたら、愚痴で終わらせない為の練習、あたしはたくさんさせてもらってるな””自分の練習させてもらってたんやなと気づけてよかった。愛情もって接せられるわ”
気づいたら、愛情を持って接することができる。
近くにいることによって
気づかないこと。
やってもらっていることに無意識になり、
やってしまっていることに無自覚になる。
イライラするだけ
もやもやするだけ。
でも。
相手の存在が
自分の練習になっていると気づけば
あたらしい私たちになっていける。
きっと、これがチームということの
始まりなのだと思っている。
”彼女が必要以上に傷つくことなく生きていけるかもしれない術を、知ってもらえたらなってのは、近い大事な人やからこそ思ってたはずやのにね。自身をしっかり俯瞰できたわ”
私も、また一つ
大切なことに気づけた。
ありがとう。
photo by 写ルンです│
京都三条のお花屋さん。Moccaさんで、後輩の就職祝いを買った。節目にお手紙を書くのも好きだし、お花をプレゼントするのも好き。
サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。