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普通のカタチ

私の4歳の息子は自閉症です。
自閉症の他にも染色体異常の病気も抱えています。
普通の社会の基準では、普通の4歳児ができる事はほとんどできません。

けれども彼が毎日感じ、見つめ、生きている世界というのは母親の私の想像を遥かに超えるほど輝いているように見えます。

息子は今年の1月から4月までフロリダ州立の小学校に付属する特別学級に通っていました。
クラスは全員で7人。
片目を失明した子、義足の子、自閉症の子、知的障害の子、背骨が曲がる難病を抱えた子、それぞれの障害がある3~4歳の子供たちが息子のクラスメイトでした。
みんな、普通のデイケアや幼稚園には通えないと判断された子供達です。
人種もアジア人の息子、黒人の子、ラテン系の子、白人の子、アジア人と白人のハーフの子とそれぞれみんな色々違います。

(3歳からこのような個性溢れた環境でみんなと毎日時間を過ごせる息子が羨ましい..。)

息子にとっては初めての学校でしたが、愚図ることもなく、学校に行きたくないと癇癪を起こすことは一度もありませんでした。
それまでずっと私と二人、家と犬の散歩、公園、スーパーの生活でしたから、学校がかなり新鮮で新しいことの連続だったようで、息子は毎朝家を出る10分前には靴棚の前の小さな椅子に座って出かけるのを待っていました。

環境もとても恵まれていて、担任の先生、その担任のアシスタントの先生、一人一人の子供たちの障害に合わせたセラピストがそれぞれ毎日付いてくれます。ここフロリダでは特別なケアが必要な子供たちは全て無料で2歳からこの学校に通うことができます。

クラスメイト達は何かしら身体や知能に不自由を抱えているのかもしれませんが、3~4歳の彼ら自身はそれを不自由と意識さえしていないように私の目には映るのです。

これから成長するにつれて色んな『普通』を認識するようになり、初めて彼らは自分には不自由というものがあると意識するのでしょうか…?
ありのままの彼等自身であることが当たり前で、今は障害なんて意識すらしていないにもかかわらず…。
この先、自分以外の外からの反応や常識の基準で自分たちがその基準に満たないと判断するのでしょうか…?
その時、彼等はどうやって自分という人生を受け入れて生きていくのか…?

それを考えると胸が張り裂けそうな思いになります。

私は息子が自閉症と診断されて、母親として息子をなんとか社会の基準に近づけようとする考え方を切り捨てました。
それよりも彼の人生を一番自分らしく輝かせていけるような道をいつも模索しています。

4月以降、息子は自閉症児専門のABAスクールという学校に通い始めました。
そこでは学校が始まる前に自閉症の専門家、セラピスト、医師と母親、父親、生徒の息子とともに3~4時間かけて息子の日常生活の細かな特徴を話し合います。
そこから一人一人の生徒に対しての学習のアプローチを組み立てていき、6ヶ月を1セッションとしてスタートしていきます。
それからまた、同じ審査を行い彼自身にあったプログラムを6ヶ月組んでいくのです。
(ここアメリカに存在する自閉症児の早期特別支援教育ABAセラピーについてはまた別の機会に書いてみようかと思っています。)

ABAスクールに息子を送りに行くと、当たり前なのですが生徒は全員自閉症児です。
その子たちが診断された自閉症のレベルも全員違います。

特別支援学級の時もでしたが、毎朝息子を見送る時

『普通の子』って一体何なんだろう..?
その普通って一体誰が決めるんだろう..?
大勢の子供の世話をする大人の負担になるから普通じゃないのかなぁ…?

といつも自問自答している私がいます。

『今までの当たり前が当たり前でなくなってしまった…..。』
このたった1~2年で世の中の混乱を目の当たりにした大人たちはこれから新しい時代をどうやって切り開いていくのでしょうか?
それは険しい道なのか、美しく輝いている世界なのか、誰にも的確に言い当てることはできません。
今私が強く意識するのは
『自分はどうあるのか?自分は一つ一つの物事をどう捉えていくのか?という答えをテレビやネット、著名人からではなく、自分の中でしっかり見つめ、感じて、受け止めて探していきたい』という事。

このように強く意識できるようになれるのは、いつもニコニコ微笑みながら私の頬を撫でてくれる息子がいるお陰としか言いようがありません。

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