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小津安二郎の世界は永遠に人の心を映し出す

世界中で今でも愛され続ける小津安二郎の映画を私が最初に見たのは、約15年ほど前だったと思います。
当時私はニューヨークに住んでいて20代前半。多忙な生活を送っていました。

唯一の楽しみがマンハッタン、ミッドタウンにあるニューヨーク公共図書館でDVDをたくさん借りて空いた時間に映画を見ることでした。
当時まだYouTubeで映画を見るなんてできなかった時代です。
無料で色んな国の映画をレンタルできる事は若い私にはとてもありがたい環境でした。
この時期、その図書館で初めて黒澤明監督、北野武監督、小津安二郎監督といった自分の国を代表する映画監督の作品に出会うことができました。
(日本映画ってこんなに素晴らしいのかぁ….。)
と衝撃を受けた私は手当たり次第彼らの作品を手に取り、気が向けば又同じ映画を借りて繰り返し見たりしていました。

特に、私が20代で出会って40歳になった今でも繰り返し見る度、違う感動を与えてくれるのは小津安二郎監督の作品です。
世界で一番有名な彼の作品はやはり『東京物語』ではないでしょうか?
『東京物語』ももちろん素晴らしいのですが、私は小津監督のカラー映画が大好きなのです。

家具の色や配置、食器の柄や登場人物の女性が身に纏っている着物や洋服の柄、障子の柄、繁華街のカラフルな看板の絵柄やお店のソファーや壁の色….画面に映し出される全てがもうゾクゾクするほど私は大好きなのです。

小津監督は映画の画面に映し出される赤色にとてもこだわりがあったと言うのは有名な話です。
赤いやかんや、赤い電話、ちゃぶ台の上に置かれた赤い柄の食器や赤いチェックの膝掛け….。

私は小津映画が持つカラフルで洗礼された美しさにいつも心が奪われてしまいます。
だけど、その色彩の鮮やかさは絶対に『日本の美しさ』の他の何物でもありません。

その視界から入ってくる何とも言えない『美しさ』とともに静かにゆっくり、淡々と繰り広げられるストーリー…。
それは人生の経験を重ねるたびに、私の心をギュッと締めつけるほろ苦さ、時代が変わっても変わることがない家族の絆や大人たちの社会を映し出します。

小津安二郎の最初のカラー作品『彼岸花』は1958年の映画です。

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息子を出産してからはゆっくり小津安二郎監督の映画を一本ゆっくり見る機会になかなか恵まれませんでしたが、つい最近息子が寝付いた後に『彼岸花』を最初から最後までじっくり見ることができました。
『彼岸花』を見るのは初めてではありませんでしたが、親になってこの作品を見ると今まで以上にこの映画の素晴らしさが伝わってくるのです。

この時代にお嫁に行く年頃の娘を持つ親たちは戦時中に自ら子供を育てた人達です。

主人公の佐分利信と奥様の田中絹代が家族旅行先でベンチに座って二人の娘がボートに乗って手を振っているのを眺めながら、穏やかに微笑みを浮かべ、おしゃべりをするシーンがあります。

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『今日はあなたゴルフに行くのはおよしになったら?
家族みんなでこんなところに来れるのは今日でおしまいかもしれませんわ。』

『そうだね。でも節子(長女)が行く前にきっとまたどこかいけるさ。』

『だけど、あなたお忙しいから。』

〜中略〜

『私ね。時々思うんだけど..。
戦争中、敵の飛行機が来ると、よくみんなで急いで防空壕に駆け込んだわね。
節子はまだ小学校上がったばかりで、ヒサ子(次女)はまだやっと歩けるくらいで..。
親子4人、真っ暗な中で死ねば、このままみんな一緒だと思ったことあったじゃないの?』

『うん。そうだったね。』

『戦争は嫌だったけど、時々あの時のことがふと懐かしく思えるときがあるの。
あなたない?』

『ないね。俺はあの時が一番嫌だった。物はないし、つまらん奴が威張ってるしね。』

『でも私は良かった..。
あんなに親子4人が一つになれた事なかったわ。』

『何だ…? この頃俺の帰りがちょいちょい遅くなるからか?』

『でもないけど。4人揃ってご飯食べることも滅多にないじゃない?』

『それは、俺の仕事が段々忙しくなってきたからさ。その代わり、暮らしも段々楽になってきたじゃないか?』

『でもやっぱり…..。』

『やっぱり、何だい?』

『ううん。もういいの。』

静かに二人はベンチから立ち上がり、ボートに乗っている娘たちに手を振る。


母親の愛情をこれほど率直に美しく、静かに清らかに、控えめに映し出せる小津安二郎監督は本当に偉大なんだなぁ…と感嘆してしまいました。

そして今3歳の息子を育てている私には今まで感じることができなかった、日本の母親の美しさを見たような感動を与えてくれました。

物語の終盤、主人公の娘は父親である彼の反対を押し切り、愛する男性の転勤先の広島へ嫁ぐ事になり、主人公の中学時代の友人、笠智衆の娘も又、彼の反対を押し切り愛する男性と同棲を始め、それを受け入れる結果となります。
その二人の会話のシーンがあります。

笠智衆が言います。

『あれから(娘が)ちょいちょいウチにも来るんだけどね…。まぁ。どうにかやってりゃ、それでいいよ。難しいもんだよね…。子供を育てるっていう事は。』

『うん。』

『まぁ、結局、子供には負けるよ。思うようにはいかんもんだ…。』

『うん。そうだね…。』

『いやぁ。お互いに歳だよね。クラス会で子供の話するようになったんだから。』

『あぁ。ねぇ。』

この笠智衆のセリフは、まだ3年しか子育てをしていない私にもグッと突き刺さります。
息子がオギャーと生まれて今まで、自分の思い通りに息子をコントロールできた事なんてほとんどありません。
授乳から、離乳食、寝返りからハイハイまで、すべて子供のペースに親が合わせていかなければいけません。

”子供が好きな異性を見つけて自分の元から去るときでさえ、親は同じように悩んでいる..。”

小津安二郎監督は静かに、美しく、淡々とこの永遠に変わらない『親』という存在をこの映画で描いているように感じられます。
60年以上経って、テクノロジーや時代の流れが次々と新しくなっていった今でも変わらない人間の心を鮮明に映し出しています。

映画だけに限らず、本当に素晴らしい芸術というのは本であれ、音楽であれ何度も人生の中で繰り返し見たり聞いたりするたびに新しい感動や学びを与えてくれます。

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もし私が日本にずっと住んでいたら、20代で彼の作品の素晴らしさに気付くことはできなかったかもしれません。
なぜならば、小津監督の作品は日本人誰もが心の奥に持っている控えめさ、その控えめさから現れる絶対的な美しさようなものが詰め込まれているからです。
それは海外に住んで初めて私が自分の国、日本を海の外から見つめた時に見出せたものだったのです。

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