見出し画像

1-4*転職|1章 はじめに|ニューロマン都会編

広告代理店に3年勤めた後、母校の名古屋芸術大学デザイン学部の助手に転職した。

助手の仕事は週3日でだったので、副業としてスナックでホステスのアルバイトを始めた。アルバイト先は名古屋で一番の歓楽街・錦三丁目にある老舗スナック「ゆめじ」だ。

「ゆめじ」の客層は50代~60代が多く、しばしばカラオケで昭和の名曲達が唄われていた。私はもともと昭和歌謡が好きな方ではあったが詳しくなく、現代のミュージシャンによりカバーされている楽曲を知っている程度であった。
しかし、スナックで働きカラオケの画面に表示される歌詞を読むうちに、情景や心の不条理を歌った歌謡曲の世界に惹かれていった。
そして次第に演歌、ムード歌謡、唱歌なども好きになった。
ご当地をテーマにした曲も数多く、偶然カウンターに居合わせた客同士が故郷の歌を歌い合ったり、前の客が歌った曲に合わせて次の客が同じ歌手の別の曲を連鎖的に歌ったりするスナック特有のコミュニケーションも見られた。
別々に来店した客同士が最後には「また逢う日まで(尾崎紀世彦/1971年)」や「そっとおやすみ(布施明/1970年)」を合唱して帰っていくことも日常的にあった。

そのような光景がカラオケボックス世代の私にとってはとても魅力的に感じた。一夜限りの偶然の出会いが一期一会の縁を生み、人生に無限の可能性を与えてくれるように感じた。このように見ず知らずの人と歌でコミュニーションができる歌謡曲の素晴らしさを体験すると共に、なぜ現代ではこのようなコミュニケーションを生むことができないのかと考えるようになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?