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スティグマ(烙印)について考えてみる。

スティグマという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

直訳すると「烙印」という意味です。
これは古代ギリシャで”身分の低い人”や”犯罪者”を識別するために体に強制的につけた「印」に由来していると言われています。

現代の私たちの馴染みのある言葉で言うなら「差別」「偏見」と言ったものは現代版のスティグマの一種と認識されています。
これらは実際に体に印を押すわけではありませんが、その固定概念や先入観からの「差別」や「偏見」といったフィルターが、その対象となりうる人たちを特定の見方でしか見れなくしてしまうようなを力があります。

スティグマの問題は社会のあらゆる場所に存在していて、私たちの生活の中もよくよく見渡してみると溶け込んでしまっています。
ですので、自分で目を凝らして見てみないと、存在自体にも気づかないことがあります。

精神保健福祉の分野での課題解決にあたり、スティグマとの結びつきは大きくあります。とは言え、率直に私自身、この課題に関して何かを語るには浅はか過ぎると思っています。

ただ、最近の実践の中で考えることもあったので、少しアウトプットしてみようというところからこの場を借りようと思います。

身近なスティグマ的な話題や私自身の人生の中でのスティグマ体験

スティグマに関しての身近なイメージを持つために、私なりにこれは現代版のスティグマの一種、またはそれに付随するものだと思うことを幾つか列挙してみようと思います。

  • 男性はこうあるべき、女性はこうあるべきといった会話

  • 学歴社会や年功序列社会

  • いじめ

  • 貧困やお金持ちに対しての一般的なイメージ

  • 結婚に関しての価値観(昔と今では大分変わってきてますよね、、)

  • 家族

  • 男性の育児休暇

  • 容姿などやコミュニケーションの特徴からこの人は○○な人と決めつけてゴシップしていく

  • マジョリティからマイノリティへの向けた会話

私個人の話を少しシェアしてみます。

スティグマも様々なので、皆さんにとっては「それは違うんじゃない?」っていうのもあるかもしれないです。
※あくまで私自身が自分につけていたスティグマ、あるいは私に映る世の中からつけられていると感じたスティグマの体験です。

子供の頃から背が低く、フィジカルも細目な体質でした。それを理由に色々なことができませんでした。
高校卒業までサッカーをやっていたのですが、空中戦の競り合いは殆ど勝てないので、真剣勝負の中では「どうして、(空中戦で)すぐに相手にとられるんだ!」等とチームメイトから言われたりもしました。どうしようもないことで言われる理不尽を感じながら、一方で気持ちは分かる。難しいですね。

小学生の時は特に小さかったので、中学年の頃は今思えば「いじめ」られていました。同じクラスの子や特別支援級の子に(皆、私より背丈が大きい)手を出されていましたね。
(私は幸いなことに担任の先生が力になってくれました。どう力になってもらったかは忘れてしまったのですが、相談した記憶があること、その後いじめ相手→友達になったことだけは覚えています。)


反対に、私がスティグマをつくる側に知らずになっている場合もあります。
私には兄弟がいました。
私は自分で言うのもなんですが、おとなしめの真面目タイプな子供として学校ではいて、進んで学級委員などもやっていました。
下の兄弟も同じ小学校でした。
後に聞いた話ですが「すまさんの兄弟なんですね」という会話が多少はあったらしく、それをポジティブに受け入れてた兄弟もいれば、比較をされて不自由さを感じていた兄弟もいたようです。
自分ではどうすることもできないことですが、いつでも自分はスティグマを作る側になるっていうことを学ぶ一つの体験になっています。

生活面でも、よく男性なんだから力仕事的なものや高いところにあるものをとってあげるなどのフィジカル的なことは男性がやるみたいな雰囲気。
背が低く、力もない、でも男性っていう私の中の世の中の男性像と実際の自分の体の不一致というのは、子供だったからこそ当時とても深刻なもので随分悩んだものです。子供の頃のコミュニティは狭いですし、当時は完全なマイノリティ(少数派)の感覚でした。

これは社会のマジョリティ(多数派)がつくったスティグマの中で、個人である私自身が自分自身にも作っていたスティグマだったと思います。
世の中はマジョリティをベースにつくられています。


こんなものもあります。
私の家では小さい頃から「我が家はお金がない」っていう会話が蔓延っていました。
今の高校生年代にあるのか分かりませんが、私が大学受験を目指していた頃は既に、「大学へ一般受験で進学するには学校だけの授業じゃダメで、塾にも行かないと無理だ」といった文化がありました。
勿論、己を磨き、学校の勉強と独学で進学している人などいくらでもいると思うのですが、当時の私も両親もその文化が真実だとして早々に一般受験は諦めていました。同級生が部活の後に塾へ行くことが当たり前になっている中で、随分劣等感を感じていたものです。
結果的には、進学できたのですが「お金がないから一般受験は難しい」というスティグマによって初めから一般受験という可能性は排除されてました。

でも、これらの経験が今の仕事に興味を持ち、学び始めた動機の一つになっています。
今ではスティグマではなく、私を構成してくれている大切な要素であり、ストレングスだと自覚してこの経験も支援の中で活かせるものとして存在させています。

支援の中で感じたスティグマ体験

私が関わらせてもらった利用者さんのAさんがいます。
私としてはAさんと対話をし、今後の生活の目標に少しでも近づいていけるように色々な機会を共有しながら一緒に考えたいと思っています。
初期の関わりにの中で、個人の体験としては「対話まで行き着いていない」がしっくりきました。

私の力量不足も嘆くところですが、私はAさんの中にこれまでの家族関係や精神科医療や福祉との関わりの中で大きなスティグマを体験し、今では自分自身をそのスティグマの檻に入れてしまっているように見えました。
「理解をして欲しい」「ここから出して欲しい」という思いもある反面で、ご自身もそのスティグマの檻の外の世界がどんなふうになっているのか分からない。
怖くて、理解して欲しいと思いながら、檻の外から発さられる言葉は全て刃のように聞こえてしまう。

次第にそんなやりとりが続くと、Aさんとその人と周りにいる人たちとの間には新たなスティグマが形成されてしまいかねません。
実際にそれは既にこれまでに起こっているように見えましたし、新しく出会った私たちとも知らず知らずに自然発生することは目に見えています。

私たちはまだ出会い始めたばかりでした。
スティグマの多くは私も含めた社会が言葉や態度でつくってきたものです。

Aさんを通じて、私はまずそれまでのAさんの中に作られている社会のスティグマと向き合う必要があるように感じました。

「まずは対話ができる日が来ますように。」

Aさんが私と出会う前に出会ってきたスティグマやご自身に対してつくっているスティグマを受け取るところからなのだと思いました。

Aさんとのやりとりを通じて、私たちの仕事の一つはこの社会的なスティグマや個人に刻まれてしまったスティグマとどのように向き合っていくのか。

この課題の先にはスティグマが少なくなり、誰しもが暮らしやすい社会の実現があります。

そして、支援者と名乗っても私たちもただの1人の人間。スティグマは私たち自身のすぐ側にいつも登場シーンを伺っています。
そのことにも私たちは注意深く観察が必要だと改めて学びました。

最後に

私は、身近にいる人たちが困ったときに力になれる自分でいたいと思ったのが、精神保健福祉の分野を学び始めたきっかけでした。
小さな輪かもしれませんが、最初から大きな輪を描くことは難しい。

でも、その輪からしか始まらない。

もう10年以上前になりますが、同世代の利用者さんがいました。生きることを諦めかけていたように最初出会った頃は思いました。
その方は自分につけたスティグマを少しずつ溶かして、生きていました。

ピア活動にも興味を持たれて、自分を資源にしての活動をやってみたいと聞いた時はとても驚きました。
途中で私は異動してしまい関わりは減ってしまったのですが、その数年後、当時目標に描いていたことを達成されたらしいということを人伝に聞きました。

きっと今も格闘されながら生きていることと思いますが、今でも私はその方との出会いに勇気をもらっていますし、その方がきっと自分の障害と共存しながら周りの人を勇気づけていることを信じています。

スティグマに対しては社会(環境)によるものが大きいですが、社会は個人の集合体である側面もあります。
身近なところでほんの少しでも、スティグマを見つけ、そのことについて考える人が増えていったら、ネット社会に蔓延る誹謗中傷のような問題大きな渦にも、新たな流れができるのではないでしょうか。

最後は、まとまらない結びになりました。
今後もスティグマに気づき、受け入れながら個人としても支援者としても生きていくこと、日々実践と振り返りです。

余談ですが

2019年に菅田将暉さん主演の「3年A組-今から皆さんは、人質です-」というドラマがありました。タイトルや内容も過激なところもありますが、、、私はこのドラマはまさに現代版のスティグマについてを訴えたドラマだと思っています。
フィクションではありますが、個人的にはとても心揺さぶられる場面が多いドラマだったので見たことがない方がいたら、見てみてください。
多分Hulu等では今も見れると思います。


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