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大学病院への転院。命と引き変わった条件。

更新が遅くなりました。

ここら辺の時期は思い出すだけでも
涙が出てくるし、
メモを見ても
色々なことが蘇ってくる。

4年経過したというのに
今だに干からびも腐りもしないのです。
まだまだ私の中で水分多く
瑞々しいまでに保存されている。

なので、書きたいのに
どこか気持ちが向かえない部分もあり。
筆をとるスピードが格段に
遅くなってしまいました。

それでも、これは書き残すと
自分の中で決めたことなので
少しずつですが
更新していきます。



それでは時を戻して、
大学病院へ転院を決める頃へ。

母は生きる道が
残されているならと
大学病院の転院を希望しました。

当時の母は、全身のむくみがすごくて
上体は起こせませんでしたし、
顔のむくみもすごくて
母の顔ではなくなっていました。

このままでは何も変わらない。
良くなることはない。
私は転院を希望する
母の意見を支えたいと思いました。

主治医の先生からは
県内で1番大きい提携の大学病院を
紹介されました。

けれど、実家からも
私の一人暮らしの家からも距離があり
緊急で呼ばれても
誰も早く到着できない状況でした。

命の危険がある状態なのに
家族の誰からも行きにくい場所に
決めるのは避けたかった。

自分ではどうしたら良いか
判断に迷ってしまい
職場の上司に相談。

お子さんが小さかった時に
入院経験があり、
行きやすいところに
するのが1番いいよ。

とアドバイスを
いただきました。

少し大変だけど、
もし夜呼ばれても
すぐ行ける病院にしようと
決心しました。

主治医の先生に相談し、
早急に都内の大学病院に
転院の打診をしてくださいました。

県外からの受け入れに
最初は難色を示されました。
仕方のないことです。

理由は搬送のリスクが高いこと。
不安定な状態に加え
点滴が多いとの返答。

主治医の先生の計らいで
県内の大学病院へも
受け入れが可能であるか
確認してくれていました。

けれど、提携とはいえ
県内の大学病院も返答が遅い。
渋っているのかもなと
感じざるを得ませんでした。

そこで都内の大学病院から
転院を受け入れる際の
条件が出されました。

1.1日3万円台の個室への入室
2.治療の具体的なプランは提示できない。
  落ち着き次第元の病院へ
  転院すること。
3.転院のリスクが非常に高いため
  医師の同乗必須。

これらを了承できれば、
受け入れてくれると。

どんな条件であっても
命を救うには
のむしかない。

1日3万円の恐怖も
ありましたが、
決断を躊躇している時間は
ありませんでした。

とりあえず転院しよう。

都内への大学病院への
転院が決まりました。

8月26日のことでした。



今回は転院先が決まるまでの
出来事を書いてみました。

次回は決死の転院について
お伝えしていきたいと
思っています。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました。


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