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学校に行かないという選択。「自発的な学びとはどこから始まるのか。」

2月の終わりに長男の中学の定例面談があった。

学校に通わない選択をしている長男もこの春には中学3年生となる。所謂、不登校の子どもたちが進級するにあたり、もし望むのであれば、再度同じ学年で学ぶという選択もあるのだそうだ。私が中学生の頃には、そのような制度というか選択肢はなかったので、なるほど、そんなものがあるのか、本人さえ望むのであれば、そういった時間を過ごすものアリなのかもしれないな、と思う。

我が家の長男はというと、「早く次の学年の教科書をよこせ!」くらいの勢いで、その選択肢は選ぶことなく、進級を望んでいる。

去年、お世話になった学校長は異動となり、今年度は新たな学校長が着任している。今年の面談のことを書いた記事はこちら。

学校長との面談の後に、定例の担任の先生との面談があった。学校長との面談について、

「あの面談のあとに、校長と、〈自発的な学びとはなんだろうね?〉という話になったんです。Kさんのように自ら学ぶという姿勢は、どこからくるのか、と。先日、高校に授業の見学にいったのですが、高校の職員も、子どもたちが自ら学ぶ姿勢が乏しいということを言っていて、実際に授業を観ていても、そう感じる部分がありました。」

ふ~む・・・と心の中で唸った。長男の姿を間近に感じ、〈自ら学ぶってどういうことなのだろう?〉と先生方が疑問に思い、それを話し合ってくださるとは、ありがたいというか、これから先生方が関わっていく子どもたちにとって大切なことだと思う。そして、長男の存在が話し合いのきっかけになったのだとしたら、やはり嬉しい。その一方で、〈子どもたちが自ら学ぶ姿勢が乏しい〉のだとしたら、それは、どこからやってくるのだろうと考える。

「中学生になったから、高校生になったから、自ら学ぶことができるようになる、というわけではないでしょうからね・・・知人のお子さんが、小学校で暑いからと窓を開けたら、〈勝手に開けないように〉と注意されたという話を聞いたことがあります。自発的に行動したことを受け入れられないとか、注意されることなどが繰り返されたり、続いていたら、自分で考える機会は奪われてしまうかもしれませんね。学校で、家庭で、先生や親に言われた通りにしていれば、怒られることもないわけですから、〈言われたことだけやっていればいい、出された課題だけやっていればいい〉となってしまうかもしれませんね~。小さい頃から、自分で選ぶという経験をしていかないと、なかなか難しいかもしれませんね。大人たちに、小さい時から、〈あなたはどうしたいの〉〈あなたはどう思うの〉と、尋ねられ、話し合いをしてきたかのかどうか・・・かなと。」

先生は神妙な顔で私の言葉に耳を傾けてくれていた。

話をしながら、長男が小学校の体験一日入学に行ったときのことを思い出していた。

次年度に2年生になる子どもたちが、新1年生と一緒に工作をするという時間が設けられていた。紙コップを使った簡単なロケット作りだったと記憶している。ハサミとセロテープを使うのだが、子どもたちはセロテープを使う度に、先生のもとに行き、〈セロテープください〉と言ってセロテープをカットしてもらっていた。先生がセロテープ台を抱えていたからだ。え?なんで?いくつかのセロテープ台を皆の使いやすいところに置いておけばいいのでは?と思いながら、様子を見ていた。

そして、子どもたちは、紙コップにハサミを入れることをとても慎重にやっていた。「失敗したら大変だから・・・。」と。私は、「失敗したら、またもらってきたらいいんじゃない?」と言ったが、「ひとりひとつだから・・・。」と。材料を大事に使うのは大切なことだけれど、どちらかといえば、〈失敗したら、もう終わり、怒られちゃう〉みたいなことを子どもたちが危惧しているように感じた。「もし、失敗したら、おばさんがもらってきてあげるよ。だってまだまだ紙コップたくさんあるみたいだから。だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ。」同じテーブルにいる子どもたちにそう声をかけた。

最初から予備があるから失敗してもいいんだ、と雑にするのが良いとは決して思わないけれど、なんにしても、彼らは、まだ2年生になろうとしている年齢の子どもたち。過度なプレッシャーの中でする工作は楽しいのだろうかと考えてしまった。一度うまく行かないことがあれば、次はどうしたら自分の思うようにできるかを考えることができる。それは、避けるべき失敗などではなく、自らの血肉となる貴重な経験なのである。

〈今の子どもたちは〉

このフレーズに違和感を覚える。子どもたちをそのような状況や状態に追い込んでしまうまでに、どのような社会的環境・人的環境が彼らを取り巻いていたのかを、大人たちが振り返る必要があると思うから。

学びが楽しいと思うこと。学びが自分のやりたいことへの過程で、必要なこととして組み込まれていると自認すること。

かくいう私も、先生たちのいう〈自ら学ぶ姿勢の乏しい子ども〉だった。

親や先生に怒られるのは嫌だったし、親に認めてもらうために勉強し、受験の為に勉強し、燃え尽きた。学びは、自分が生きていくための道具を獲得する手段のひとつでしかないのに、私には、それが〈認めてもらうための手段〉になっていた。

だから、子どもたちが、それぞれのタイミングで自分に必要だからと学びに向き合い、面白そうだからと取り組む姿を傍で感じられることは、私の学びへの姿勢・体験の上書きとなっている。

自ら学ぶってどういうことなのだろう?


それは、子どもたちに問う前に、大人である私が、常に自分に問うべきこと。新年度を前に、何度でも、自分に問うてみようと思っている。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・猫野サラさんのイラストをお借りしました♪ありがとうございます♪

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