太宰治「ロマネスク」

『晩年』中、もっとも感動的な作品。語り物における太宰の話法の巧さを十分に堪能できるし、ここに語られた3人の男たちの半生は、太宰的なキャラクターの分身としても読めて、内容的にも含蓄に富む物語である。

特に、2番目の喧嘩次郎兵衛は、「本来の意味の是々非々の態度を示そうとする傾向」があって、そのせいで「ならずもの」扱いをされるのだけれども、いつしか「喧嘩の上手」にならんとし、度胸の練習、言い回しの練習、喧嘩の練習を積み重ねる。

この練習の徹底ぶりは、ああ、太宰もまたパラノイアだったのだな、と思わせる。そして、『イレブン』とか『はじめの一歩』とか『キャプテン』とか、試合よりもその練習の描写にページを割くような物語の原型であるように感じた。ちば兄弟はきっと、太宰好きだったのかもな。ちなみに、ちばてつやのサインはもらったことがある。

一番私が好きだったマンガはちばてつやの『おれは鉄兵』である。『ハリスの旋風』以降、案外ちばてつやと太宰の感じは近いのかもしれない。もちろんちば作品には諦めるキャラはあんまり出てこないけれども。喧嘩屋次郎兵衛は、拳を固くするために、いろいろなものを殴っては、回復させて皮を厚くしていく。こういうのは私などは『空手バカ一代』から学んだものだけれども、太宰の小説のころには或種の教えとして、巷にあったのかもしれない。ちなみに大山倍達は1923年生まれである。太宰は1909年。「ロマネスク」は昭和9(1934)年11月の発表である。

あとは嘘を極めた「嘘の三郎」。嘘がめちゃくちゃ得意で、嘘の華をさかせるのだけれども、最終的に嘘がいやになって、嘘ではないものを探そうとするのだけれども、その態度自体が嘘だと気づいて、無意志無感動の態度を貫こうとする。

或る朝、三郎はひとりで朝食をとっていながらふと首を振って考え、それからぱちっと箸をお膳のうえに置いた。立ちあがって部屋をぐるぐる三度ほどめぐり歩き、それから懐手して外へ出た。無意志無感動の態度がうたがわしくなったのである。これこそ嘘の地獄の奥山だ。意識して努めた痴呆がなんで嘘でないことがあろう。つとめればつとめるほど私は嘘の上塗りをして行く。勝手にしやがれ。無意識の世界。三郎は朝っぱらから居酒屋へ出かけたのである。

その居酒屋で仙術太郎、喧嘩次郎兵衛と出会い、桃園の誓いのような契を結ぶのだが、いずれにしても、そうした展開もまた、泣かせる。三人は、自分の半生を語り、そして意気投合する。

私たち三人は兄弟だ。きょうここで逢ったからには、死ぬるとも離れるでない。いまにきっと私たちの天下が来るのだ。私は芸術家だ。仙術太郎氏の半生と喧嘩次郎兵衛氏の半生とそれから僭越ながら私の半生と三つの生きかたの模範を世人に書いて送ってやろう。かまうものか。

ちなみに、私は職場の余興に吉本興業から芸人さんを呼んだことがあり、そのとき、まだ無名だったピースがメインのコンビについてきて、メインのコンビは10分くらいネタをやって終わったけれども、そのあとの司会をつとめてくれた。綾部さんは愛想がよかった。見送りのときに突っ込まれたのも良い思い出である。メインのコンビさんとピースさんの色紙は3枚くらいある。

「ロマネスク」、又吉さんはどう読むのだろうか。

勝手にしやがれ、だ。




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