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本当に優しい人を見抜けない人は幸福を遠ざけている可能性がある

私は自分が優しい部類の人間に属するかどうかはわかりません。そもそも優しいか否かは周りが決めることです。自分で自分のことを優しい性格だと言っていたら、烏滸がましい人間だと思われるかもしれません()。

今日は、人間の優しさに関する雑記となります。

今回の記事を書くきっかけになったものは、下の動画です。

検索した際に一緒に出てきた動画がこちらです。



自分が優しい人間かどうかがわかる動画?

上の動画2点を視聴していましたら、その多くが自分にも当てはまっている気がしました。気がしただけです。なので、もしかしたら、私も優しい人なのかもしれません(笑笑笑)。

2点の動画はどちらも短時間(shorts)なので、是非ご覧になることをお勧めします。

上の動画を視聴すれば、自分が優しい人間かどうかがわかるかもしれません。

人の優しさについて一度じっくり考えてみよう

今の日本人の中にどのくらいの割合で優しい人が存在するかはわかりません。そして、おそらく数少ないはずの優しい人を見抜き大切にしないと、その人は大変もったいない人生を送っていると思います。

優しい人の中には、生まれながらにして優しい人もいれば、艱難辛苦の人生の中でその優しさを身に付けた人もいるはずです。ですから、子どもの時から優しい人もいれば、中高年になってから優しくなる人も多少はいるかもしれないということです。

ということは、子どもの時に冷酷に感じた人も、今は優しい人に変貌している可能性も0(ゼロ)ではないということです。

そのような優しい人とのご縁はおそらく運命ですので、その関係を蔑ろにしてはいけないと思います。

もしそのような人を見つけたら、こちら側も相手を一生大切にした方がいいでしょう。もちろん、その相手が配偶者となるような人であればなおさらのことです。

優しいから善人とは限らないところが人間社会の難しい部分ではある

私のnoteでは再三再四登場する、嫁さんと子どもに逃げられた私の後輩の話です(笑)。

彼は、優しい男で、口が堅く、約束を守る人でした。

ところが、彼には大きな欠点があって、それは支配力が強いところでした。その部分を結婚1年目の若干20歳程度の若い女性に見抜かれて、離婚に至っているわけです(笑笑笑)。

彼はまた、論理的思考ができない人でした。そのため、自分の行動と結果を客観的に見つめ、その失敗の多くを次に生かすことができませんでした。

そのような人ですから、彼は若い頃に自分の会社を倒産させています。

なお、彼は前職時代の後輩ですが、私より数歳年上でした。

noteの世界の優しい人について

個人的な実感では、現実社会よりnoteの世界の方が優しい人の割合が高いと思います。私は早い時期にそのことに気が付いていました。

これもまたnoteを止められない理由の一つです。

私同様にこのことに気が付いていた人たちは、本当に幸せだと思います。

本来、人間の内面の心情を文章で吐露する人たちは、現実社会では我慢を強いられている人たちかもしれません。それゆえ、日常生活では言いたいことも言えないような優しい人たちが、noteに集まっている可能性もあります。

これは私の単なる憶測にすぎませんが、多少は当たっているのではないでしょうか。

優しさとは人の将来を憂(うれ)うること?

子どもの頃に、「人偏に憂いと書いて優しいとなる」と学んだ人は多いでしょう。そして、「人の将来を心配できる人が優しい人である」と。

ということは、私たちに最初に優しさを教えてくれる人は、私たちの両親ということになります。

しかし、その「両親の優しさ」がいつも子どものためになる「優しさになる」とは限りません(笑)。なぜなら、両親の心配や予想、将来に対する考え方などは、間違っていることも多いからです。

人は誰でも予想ができます。そして人によっては予言をしたり機関によっては予報したりさえできます。

しかし、それらは間違えることも多いです。そして、専門家やプロと呼ばれる人たちのそれらも頻繁に間違っています(笑笑笑)。

「優しい」の定義がもし上記のものであれば、両親の優しさはありがたいものです。でも、それらが間違っているのならば、余計なお世話であり時には自分の子どもを不幸にするアドバイスさえすることになります。

私の印象では、私の両親の予想で正しかった割合は、全体の3割もなかったはずです。

ですから、子どもは親の話に耳を傾けながら、自分の感性を大切にした方が選択を間違えないかもしれません。

また、アドバイスする親たちは自分たちの考えを押し付けたり人生の分岐点における選択を強制したりしてはいけないでしょう。「あくまでも参考程度にしてね!」というアドバイスの仕方が正しいのではないでしょうか。

最後に 小さな親切から優しさへ

世の中には性根が腐っている人も多いです()。逆に、心が本当に綺麗で心底優しい人も少しはいます。

どちらが幸福な人生を送れるかは言うまでもありません。

今までの人生で身内や他人に優しくして来なかった人は、ひとまず小さな親切から始めてみてはいかかでしょうか。

これまで人に優しくして来なかった人や人の優しさをあまり経験して来なかった人たちが、すぐに優しい人間になることは難しいでしょう。

しかし、小さな親切ならば、幼児でもできます。

私の甥っ子は、幼児の頃から語彙力が豊富で、小さな親切ができる子どもでした。これは私の可愛い妹()の子育てが成功したと言えるのかもしれません。あるいは、毎日のように、私の両親がその子育てに参加していたので妹の心に余裕があったことがそのことに貢献しているのかもしれません。

いずれにせよ、小さな親切ができて優しい大人になった甥は、今では好青年になれたと思います。

なお、日本にはブラック企業が多いですが、優しい人から退社したり病気になったりしている現状があります。私の甥がそんなブラック企業で苦しまないことを祈るばかりです。

<今日の3行日記>

ここ数日間の天気予報、特に、最低気温の予報は外れまくっています。近未来の天気を正確に当てることは非常に難しいのですが、これはまた人間の各個人の未来を当てることも同様です。ですから、あまり将来のことを心配してもそれらが杞憂に終わることは多いものです。

イラスト素材:パンダからの「お疲れさま」

1億年後のパンダ🐼は言葉を話せるかもしれません(笑笑笑)。そんな知性の高いパンダから「お疲れさま」と言われたら、私のその日の疲れは一瞬で吹き飛ぶことでしょう。以上、私の夢想でした(笑)。


イラスト素材:パンダからの「お疲れさま」

今日の記事はここまでです。

いつも通り中途半端な内容になってしまいましたが、雑記ですし時間がなさすぎますので、計画性のない記事にしては成功していると思います。

最後までご覧いただきありがとうございます。




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