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地方銘菓で糖分を(2)午前2時のプロレタリア 「赤福」編

友部理子(26)はカフェや喫茶店が大好き。スウィーツ大好き。地方銘菓が
大好き!そしてお茶の時間を愛している。
そんな彼女がアシスタントを務める、世田谷の小さなデザイン事務所「羊進円」。
社長の伊藤(45)、デザイナーの中野(36)、八木(32)、桜井(28)
の男四人と無愛想な経理の女性、石井(34)。
皆独身で、皆変人。決して、仲がいいわけでもない。ただ、唯一の共通点は皆、
甘いものが大好き。
そんな「羊進円」に毎回、地方銘菓がやってくる。
甘味を巡って、事務所内で蠢く人間模様。理子の恋愛が始まる?
そんでもって理想のお仕事とは?
甘いものを巡る、甘くない恋愛&お仕事小説。

(↓前回の話はこちら)

「これ、どういう事よ?」
 石井さんの尖った声がデザイン事務所「羊進円」の作業フロアに響く。
「え、どういう事って」
 友部理子は石井さんの硬いリアクションに戸惑った。
「なんでこんなもの買う必要があるのよ」

  理子が送ったメールを見て石井さんが言った。そのメールには理子が事務所の
経費で購入予定の商品のリストが添付してある。
昨日、睡眠時間を削って理子が選び探したのだ。眠いけど楽しい時間だった。
自分のお金では買えない欲しかったもの、憧れのものを事務所のお金で買える
のだ。
「え、社長から聞いてませんか?」
「何を?」
「羊進円カフェを作ってくれって頼まれて」
「はあ?」
 石井さんが大声をあげて作業フロアの皆が理子に注目する。
「何よ、羊進円カフェって」
「事務所の皆さんがハンドドリップのコーヒーを楽しめるような環境を整えて欲しいと、この間の打ち合わせで社長に言われまして」

「へー、楽しそうじゃん」
 桜井さんがパソコンをいじる手を止めて言った。
「何でうちにコーヒーメーカーがあるのに、ハンドドリップで淹れなきゃいけ
ないのよ」
「あ、味が全然違うんですよ。同じ豆でも。時間はかかりますけど」
 石井さんに理子が必死に訴える。
「確かにそうだよなあ、よくさ、髭をたくわえたシルバーヘアのマスターがいる
純喫茶あるじゃん。ああいうこだわりマスターが入れてくれたコーヒーうまいもんなあ」
 意外や、中野さんが加勢してくれる。
「理子ちゃんがこだわりマスターになって入れてくれるんだ」
「それはセルフでお願いします」
「何だ、それじゃあカフェじゃないじゃん」
 
当然だ。セルフでいちいち事務所の人にコーヒーを入れていたら、
他の雑用ができなくなる。デザインの仕事に取り抱えるのは半永久先になってしまう。
「勝手に盛り上がらないでくれる?こっちは社長から何も聞いてないよ」
石井さんはため息をつく。
「それにさ、何でこんな高いものばっかり買うわけ?コーヒードリッパーとドリップポットとコーヒーミル、それとカップとソーサーを8客セットで八万四千円てどこのぼったくり業者よ」

「ぼったくり業者って!それ、アラビアですよ」

 八木さんがメガネのレンズを光らせて理子に言う。 
「アラビアって北欧の食器のメーカーの?」
「はい。色々値段を比べて一番安い奴を探したんですよ」
「好きだねえ、女の子は北欧が」
 中野さんが馬鹿にしたように言う。
「アラブだか北極だか知らないけど、そんな高いもの買わないで百均とメルカリで一万以内で揃えられるじゃん」
 石井さんがイラつい理子を見る。
「でも、羊進円はデザイン事務所ですよ。デザイン事務所でお客様に出すお茶の
カップが百均というのは…」
 石井さんの目が更に釣り上がる。 
「悪かったわねえ。センスなくて。百均で買っちゃってすいませんねえ」
「あ、そう言う意味じゃ。でもあの、社長が任せると言ってくれたので…」
「あれ社長、いつ帰ってくるんですか?遅いですよね」
 
桜井さんが石井さんに言う。桜井さんはいつも石井さんの機嫌を取るような
気の使い方をする。いつも無愛想でつっけんどんな石井さんも桜井さんには心を開いているようだ。流石は羊進円のムードメーカーである。

「やっと新幹線、動いたって。一時間前にLineが来た」
石井さんはスマホを開きながら答える。
社長は大阪に出張していたが、新幹線が人身事故で遅延していたのだ。 
 
 理子はなんとなく、それから石井さんと交渉できずに一旦、引き下がる事に
した。これは社長がいる時に話さないとダメだ。
 
デスクに戻って、理子はネットに落ちている画像から昭和風のキャラクターを
ピックアップする。桜井さんから頼まれていた作業だった。
桜井さんはあるゲームソフトのポスターをデザインしていた。
双六のゲームなので、昭和レトロなイメージのデザインでいくつかパターンを
考えているのだ。
そのゲームソフトの会社は大手なので、桜井さん的には大きな仕事で気合いが入っていた。
画像をピックアップするだけだったが、理子にとって昭和のデザインや色使いは新鮮で集めるだけでも楽しかった。

「お疲れー」
 社長が帰ってきた。

「参ったよー。三時間閉じ込められた、三時間!大阪から品川まで五時間もかかったよ。パソコン持っていきゃ仕事できたのになー」
 作業フロアの中央デスクの上に、社長が荷物をどさどさと置いた。
「グリーン車じゃないからケツ痛いよ、ケツ」
「どうして遅延したんですか?故障?」
 中野さんが聞く。
「どっかの馬鹿が飛び込んだんだよ。こっちは忙しいのに。あ、理子ちゃん、
コーヒー入れて、コーヒー」 
「はい」
 飛び込んだという事は自殺という事か。
こういう時に人は冷たいものだなと理子は思う。
アカの他人の生死より自分の仕事が遅れる方が一大事なのだ。
 そんな事をボンヤリ考えながら理子はコーヒーメーカーをセットして、
社長のマグカップを探す。
 
 社長のマグカップはディック・ブルーナのウサギが持ち手に付いているものだ。 一般では売っておらず、ディック・ブルーナ美術展でのオリジナルグッズだという。
「あ、理子ちゃん、俺のも」
 すかさず中野さんが頼んでくる。
「はいはい」
 理子は中野さんのロボットアニメのキャラのマグカップを用意する。
 つくづく仕事場で使うマグカップは本人のキャラクターを表していると    理子は思う。
理子は以前、地元にある雑貨メーカーに勤めていた。
そこの職場は女性ばかりだったので、流行りのゆるキャラやフランフランのようなシックな雑貨メーカーのカップなどで、各々がセンスや個性を主張していた。
石井さんのような塾のノベルティグッズなどありえない話だった。
「あれ?ハンドドリップで入れてくれないの?」
 社長が理子に突っ込む。
「え?」
「言ってたじゃない。羊進円カフェをオープンしてくれるって」
「あー」
 理子はなんと答えていいか詰まっている。
「あ、その話、本当だったんですね」
と、桜井さんが助け船を出してくれる。
「さっき、理子ちゃんが石井さんにカフェグッズの見積もりを出してたんですよ」
「お、早速?いくら?」
「八万四千円です」
 理子がおずおずと答えながら、社長と中野さんにコーヒーカップを出しながら  答える。
「お、いいんじゃない。楽しみだね」
社長はコーヒーを飲みながら答える。
「え?高すぎませんか?コーヒードリッパーとドリップポットとコーヒーミルとカップとソーサーのセット。それで八万四千円ですよ」
石井さんが物凄い勢いで社長に言う。
「それだけおしゃれな羊進円カフェが出来るって事でしょ?いやあ、楽しみじゃないの」
 社長は目を波打たせながらコーヒーを啜る。
 
その場の一同が石井さんを見つめる。石井さんはムッとした表情のまま回転椅子をクルッと回して背を向けた。
「それだけ投資するんだからね。楽しみにしてるよ、羊進円カフェ」
「はあ」
 理子は社長のプレッシャーに曖昧な笑みを浮かべる。
「あ、ところでさ、皆、これお土産」
 社長は紙袋からピンク色の折詰めを取り出した。
「わ!赤福だ!」
 理子は思わず声を上げる。

「だからさ、理子ちゃん。子供じゃないんだから」
桜井さんが苦笑する。
しかし『伊勢名物 ほまれの赤福』とプリントされたそのピンク色の包み紙はかなり歪んで破れている。
 社長はその包み紙を笑いながらはがす。 
「ごめーん、新幹線が停まってる間さ、腹減っちゃって俺、半分食っちゃったの」
 社長が蓋を開けると中の赤福が半分ない。
「あー、赤福あるあるですね。途中で腹減って新幹線の中で食っちゃうっての」
 中野さんが苦笑しながら言う。
十二個入りのうち、半分なくて底が半分見える。
しかも隅っこにどっちゃり寄っていて、形が崩れている。
 
理子はがっかりする。赤福の特徴である上の三本筋が潰れているのだ。
「あー、ごめん、急いで帰ってきたら寄っちゃったね」
「これも赤福あるあるですねー」
 今度は桜井さんが笑った。
「これ固まってるけど、一人一人ヘラで分解して食べて」
 社長は折詰めの中にあるヘラを指差す。
「あ」
 八木がそれを見て声をあげた。
「赤福のヘラって昔、プラスチックのはずだったけど木になってるんですね」
「え?プラスチックだったんですか?」
 理子は驚く。
「あー、確かにそうだったねえ。懐かしいねえ。
理子ちゃんは若いから知らないか」
 社長は目を細める。
 
 中野がヘラに手を伸ばして赤福を分解しようとすると
「ちょっと待ってください!」
 八木が声を荒げる。
 一同、驚いて八木を見るとスマートフォンを取り出し、
潰れた赤福を俯瞰から激写している。

「お前、何やってんのよ」
「いえ、事務所のインスタに載せようと思って」
「あのフォロワー29人の寂しい奴ね」
「いえ、27人です。こないだ2人減っちゃって」
「寂しいなあ〜お前、誰か友達とかに頼んでフォロワーになってもらえよ」
 中野さんが絞り出すように声を出す。
「いないんで。友達」
「大丈夫なの?うちのインスタ。事務所のディスプロモーションになってない?
それにお前も、もっといいもの載せなさいよ」
 社長が目を瞬時に釣り上げる。
「味があっていいじゃないですか」
「今月中にとりあえずフォロワー百人作って。それが八木の仕事だよ」
 中野さんは赤福を二つ一気にヘラですくって口の中に放り込んだ。
「あー!」
 理子は思わず声をあげた。六個残った赤福を五人で分けろというのに、
何の断りもなく一気に二個食べるとは。

この男、五歳児なみの勝手さである。本当に三十六歳だろうか。
理子は唖然となって開いた口が塞がらない。

「何だお、お前〜。そんなくるみ割り人形みたいな顔して。しょうがないだお、くっついてんだから」
 口をモゴモゴしながら中野さんが言う。
「中野ね、お前、これが赤福じゃなくてフグの刺身だったらその場の皆に殴られてるよ」
 社長が呆れて言う。フグの刺身じゃなくっても殴りたい。赤福をこんなに自分勝手に食べるなんて。理子は腹の中がグラグラと煮えたぎりながら、
キッチンからスプーンを三本取ってきて、石井さんと桜井さんと八木さんに渡した。

「これで皆さん、赤福取ってください」
三人は理子からスプーンを受け取り、
箱の周りに寄ってきて各々が赤福をすくって「あーん」と口の中にほおり込み、
モグモグと咀嚼する。
「赤福久しぶりだなあ。うまい」
 八木さんが珍しく感情を声に出す。
「一つでも結構、腹にたまるよね」
「このアンコの筋ってさ、寿司のシャリみたいにアンコを指で押した跡かな?」
 桜井さんが興ざめな事を言う。
「違いますよ!これは、五十鈴川というお伊勢に流れている川の流れを         表現しているんです」
理子は折り詰めの中に残った一つの赤福を事務所にある唯一の皿、           百均のソーサーの上に移し、コーヒーをカップに入れて自分のデスクに持ってくる。

嗚呼、久しぶりに頂く、たった一つの赤福。
上にのった漉し餡の五十鈴川が歪んでいるのが悲しい。
出来たらコーヒーではなく、濃い緑茶で頂きたかった。

そして出来たらあの「ヘラ」で頂きたかった。あのヘラで頂く事が赤福餅の醍醐味 だと理子は思う。でも、社長と中野さんがヘラを使って食べていたから間接キスに なってしまう。
しかもこの事務所にはフォークもないので、結局スプーンで頂く事にする。
「ヘラがプラスチックだって事も知らなかったら、赤太郎も知らないよね?」
 社長が理子に言う。
「赤太郎?」
「赤福のキャラクター。当時は画期的だったのかもね。商品の宣伝としてキャラ クターを使うのは」
 理子はスマホで赤太郎を検索する。
 かなり昭和のデザインだ。レトロで可愛い。
 理子は思い直す。ヘラで赤福を食べられないなんて贅沢な悩みだ。
お伊勢参りに行かなくても赤福が食べられるのだ。
だいたい赤福ほど本来の在り方を忘れられている地方銘菓はない。
お伊勢様のお膝元のおかげ横丁にある店舗。そこでお参りした疲れをこの甘み  でほんのりと癒す。そんな尊い餅であるはずだ。
 
それが関東圏の人間にとっては、赤福買っておけばOKでしょ?といったような、名古屋や大阪に出張した時の盤石な土産というポジションになっている。
551の豚まんと勝手にセットにしている人も多い。
決して551の豚まんが悪いわけではない。
でも、赤福は神へのお供え物のようなありがたい存在だと理子は思う。
スプーンで赤福を二つに割り、一つを口の中に頬張る。
なめらかなこし餡に舌触りの良いやや硬めのお餅。
噛み締めると面白いこの食感のコントラスト。
餡が餅に比べて気持ち多いのも嬉しい。                   口の中に柔らかい甘さが広がり、理子はコーヒーを一口すする。
ああ、至福。理子の頭の中に伊勢神宮の霊験あらたかな風が吹いた。

と、その瞬間、ゴンっという鈍い音がして理子は現実に引き戻される。
 振り返ると、桜井さんが頭をデスクの上に突っ伏している。
「さ、桜井さん?」
 理子が声をかけても桜井さんは微動だにしない。
「どうしました?」
 理子は桜井さんの元に駆け寄る。息はしているようだった。
「大丈夫ですか?」
 理子は桜井さんの背中をさする。すると「ズズ」と引きずるような音がうつ伏せになった頭から聞こえてくる。いびきのようだった。
「あー始まった」
 中野さんがニヤッと笑って桜井さんを見る。
「しょうがねえなあ。おい、八木、会議室のソファに運んで寝かせろ」
「…はい」
 八木さんがため息をついて立ち上がり、突っ伏している桜井さんをデスクから
引き剥がし、両腕を抱えて引きずりながら廊下に向かった。
その間、桜井さんは一向に目を覚まさない。
 理子は呆気にとられて見ていると、社長が細い目を更に糸のように細めて言う。
「あれ、理子ちゃん知らなかったっけ?」
「え?」
「あれね、脳の病気。あいつね、ナレコプシーっていう眠り病なのよ。
いきなり寝て昏睡状態になったら二十四時間起きないの」
「病院に行かなくて大丈夫なんですか?」
「大丈夫。ただ突然寝るってだけだから」
 そんな病気があるのか。本当に驚いた。

「まあ、その睡魔がいつどこで起こるか分からないから、それは恐怖ではあるな。あいつ、それで前の仕事クビになったり、公園で寝てたら財布と鍵取られたとか結構災難があったわけ。今回は事務所で睡魔がきてよかったねって感じだな」
中野さんが淡々と答える。

「あいつ、特に急ぎの仕事抱えてないよな」
 社長がその場の一同に確認する。
「特に聞いてないけど。ゲームソフトのポスターはもう終わったし」
 石井さんが答える。
「え?」
 理子が驚く。
 その場の一同がキッと理子に注目する。                   圧倒されながら理子がおずおずと答えた。
「私、桜井さんに頼まれましたけど。                     ポスターのデザインの参考にする昭和のキャラクターの画像集めてって」
「何?!どうなってんだ!」

 社長の目が瞬時に釣り上がり、ものすごい勢いで立ち上がった。
瞬時にハイドに変貌する。
会議室に桜井さんを運び戻ってきた八木さんに社長が詰め寄る
「おい、八木!お前、何か聞いてないか?桜井のゲームソフトの仕事をよお!」
「…納期延ばして貰ってましたね。先方が気に入らなくてやり直しで」
「何い?いつまでだ?」
「今日のてっぺんですね」
「何い!貴様、それは本当か?」
 社長は八木さんの胸ぐらを掴んで揺さぶる。ほぼ反社である。
「ほ、本当です」
 八木さんは珍しく表情を歪めて答える。反社行為に無表情でいられるほど八木さんは冷静ではないのだ。
「どうすんだよ!あいつ、最低でも明日の夕方まで起きねえぞ!」
「落ち着いて下さいよ。前も一回あった事じゃないですか。先方に頼んで納期を 一日ずらしてもらいましょうよ」
 石井さんが社長に言う。

「お前ね、一度ずらして貰ってるんだぞ。あいつのことだから一度だけじゃないかもしれない。それにね、あのゲーム会社はこれから太い取引先になる可能性もあるんだ。下手こけねえぞ!」
 社長は怒る自分に更にヒートアップして興奮して震えだした。
「中野!」
「へ?」
「お前が中心になって仕上げろ。八木と友部も手伝え!」
 いつもは「理子ちゃん」なのにいきなり「友部」と社長に苗字を呼びつけにされて理子は驚く。
「えー、俺、今日、約束あるんですよー八木ちゃんやってよー」
「お前!ふざけんな!一人だけ赤福二個食べたろうがよ!」
 中野さんはため息をついて上を見上げる。
「赤福、高くついたなー」
そしてスマホ画面を見て時間を確かめる。
「今、十八時半ね。んじゃまあ、やりますかねえ」

 

そこからの六時間を理子は忘れる事ができない。
作業フロアだけ、時空が歪み、時間の流れが変わったかのようだった。

 中野さんは桜井さんが元々作っていたラフパターンを全て白紙にした。
 驚く理子に「こういうのってゼロから作った方が早いんだよ」と中野さんは
言う。それから中野さんは理子にキャラクターのポーズ、表情を何パターンも制作するように、八木さんはフォントのパターンをいくつも制作するように指示する。
 出来上がるたびに中野がデザインした全体図に当てはめていく。
「これ、色変えて」「サイズはもう気持ち小さく」「このキャラクター、横顔にして」
 次々に的確に指示する中野さん。理子は無我夢中で言われたに通り描いて描いて直して直してデータを中野さんに渡す。
 時計を見ると、とっくに0時を回っていた。終電は終わっている。      社長も石井さんもとっくに帰宅していた。白状なものである。

「おっしゃ。これ良いんじゃない?」
 中野さんのパソコンの画面を見ると、賑やかで雑多な雰囲気が楽しい80年代風のイラストが出来上がっていた。フォントも踊っているようだが、ちゃんと読みやすい。
 中野さんはデータを送信すると、多分到着するのを今か今かと待っていたであろうクライアントからすぐに絶賛のメールが中野さんに返信された。
「はい、絶賛コメント頂きました。お疲れー」
 中野さんが時計を見る。
「1時前ね。0時前に終わらせたかったけど、一時間遅れかあ」
「いえいえ、ゼロからと考えるとかなりのスピードです。勉強させて頂きました」
 八木さんがゆっくりと中野さんにお辞儀をする。理子も慌てて頭を下げた。
二人の丁寧な挨拶に中野さんは上機嫌になって「腹減ってない?俺様がご馳走してやる!」と立ち上がる。
 こんな時間に?オープンしているのはファミレスかバーくらいだろうと訝る理子に、中野さんは「タバコ買いに行ってくる」と事務所から出てコンビニで何かを
買って帰ってきた。
 それはとろけるチーズとキャベツと小麦粉。それとベビースターラーメン。
 八木さんは事務所にあるホットプレートを作業フロア中央の作業台の上にのせる。
「お、八木ちゃん。仕事が早いねえ。理子ちゃん、このキャベツ、千切りにして」
 理子は言われた通りにキャベツを千切りに。その間、中野さんは水に小麦粉とウスターソースを入れてかき混ぜる。そしてホットプレートの上でキャベツを炒め出した。
「これって何ですか?」
「あれ、理子ちゃん、食った事ない?もんじゃ」
「中野さんの得意料理なんですよ。僕らのギャラも随分安くあげられたもん   ですよ」
 八木さんが失笑する。
「何言ってんだよ。大盤振る舞いだよ。まあ、とりあえず飲もうぜ」
 三人は缶ビールで乾杯する。
冷たいビールが眠気と疲労感で包まれた理子の体に染み渡る。
中野さんはくわえタバコでフライ返しとお玉でもんじゃ焼きの生地をものすごい勢いで叩き出した。タバコの灰がハラっともんじゃの上に落ちて、理子は「ゲッ」と思うが見ないふりをする。
 しかし、焦げたソースとチーズの匂いが充満して理子の食欲をそそる。
「ほらほら、良い感じに焦げてきたぞ。食え食え」
 中野さんが先に「本当はヘラを使うんだけどな、こうやって端をヘリで焼いて食べるんだよ」とスプーンを使って手本を示す。 
理子も真似してもんじゃの端っこスプーンで切ってヘリにくっつけて焼いてを食べる。
「ん!美味しい」
 思わず声を出した。キャベツの甘みもあって懐かしくてビールのすすむ味だった。
「八木、お前、食わねーのかよ」
 キッチンの流し台で作業している八木さんに中野さんが声をかける。
「やっぱ、もんじゃはヘラで食べないと感じでないじゃないですか」
 戻ってきた八木が手にしていたのは洗った赤福のヘラだった。
 八木さんが赤福のヘラでもんじゃをつつき出す。
「あ、ちょっと動かないで下さい!」
 八木さんが声を上げる。
「インスタに上げる写真撮るんで」 

 八木さんは赤福のヘラでもんじゃをつつく自分の手元をスマホで撮っている。
「お前ね、そんなのアップしたらまたフォロワー減っちゃうよ」
「そうですかね。面白いと思うんですけど」
 撮り終わった八木さんが理子に言う。

「そういえば友部さんが描いたおじさんのキャラ、可愛かったですね。ちょっと
 赤太郎に似てて」
「あ、確かにそうだなー。若い子が描くキャラじゃなかったしアナクロな雰囲気が良かったね」
「赤福食べて思い浮かんだんです」
 
初めて褒められたかもしれない。いや、かもしれないではなく、褒められたのだ。理子は嬉しさを噛みしめる。
「あの、今日は驚きました。意外とすごいんですね、中野さんて」
「『意外と』が余計だよ。『意外と』が!」
「もんじゃも美味しいし」
「何、惚れちゃった?俺に抱かれたくなった?」
「いえ、それはないです。」
 理子は間髪入れずに答える。
「何だよー」
 

駄々っ子のような口をきく中野さんに理子は呆れる。
この男、こういう所がなければ尊敬できたのに。
 中野さんの信じられないセクハラ発言。
赤福のヘラで食べ辛そうにもんじゃを口に運ぶ八木さん。
奥の会議室には桜井さんが爆睡している。 
そんなヘンテコな事務所で、丑三つ刻につつくもんじゃは美味しくて、
疲労感とアルコールの酔いに包まれた理子はどこかふわふわと夢心地だった。
(続く)

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