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愛と笑顔に溢れる食卓を

ひょんなきっかけで、twitterのフォロワーが100人を超えた。
たかが100人?
そう思う人は多いと思う。しかし、特に発言を積極的にしているでもないし、ブログで副業をしている訳でもない私が、こんなに多くの人と繋がれたことはとても嬉しい。

こんな多くの人と繋がったんだから、私からも何か発信したいな。

そう思って、「子供&なんなら夫も食べない部」を設立して、夕食の献立とそれをどのぐらい食べたのか?というのを併せて呟いている。

食べても、食べなくても、愛と笑顔に溢れる食卓を

そんな思いを込めている。

「私の子は、お米嫌いな日本人」で書いたように、うちの子は『食べない子』だ。
そして、大人である夫も、成人男性にしては小食だ。




夫との食卓

夫と2人だけで暮らしていた頃、作ったご飯を残されるのはとても苦痛だった。
どれほど訴えても、「だって、俺こんなに食えないし」と一蹴された。

一汁一菜以上作れば多い。
朝は食べれない。
でも何か用意してほしい。
夕飯とお弁当の内容は違うものがいい。

そんな風に言われ、量を少なく一汁一菜作っても、気分が乗らなければ残された。

今日は食べれる日なのか、そうじゃないのか。

それは夫が決めることで、私にはわからない。
『今日は残されるかもしれないな』と思って作るのは、とてもつらかった。

作る気も、食べる気も失くした食卓は、とても味気なかった。
作ったものを口に入れると、じゃりじゃりと音を立てている気がした。
辛さとか、悲しさとか、誰にも共有できない思いを噛んで飲み込んだ。

私の作る料理が気に入らないか、といえばそうではなく、「こんな美味しいきんぴらは食べた事がない」「餃子は店のレベルを超えている」と言う事もあり、要は気分なのだと分かっていたが、日に日に食卓を囲むことはしんどさを増した。


出産して里帰りから帰ってくると、多忙を理由に夕飯を弁当に詰めるよう言われた。

正直、気が楽になった。

弁当が残ろうが、捨てようが、私の目には入らない。預かり知らぬことだ。
食卓は1人だったが、気楽だった。




息子との食卓

そうこうしている間に、息子は離乳食を食べる時期になった。
周りは面倒だ、という声も多かったが、正直私は楽しみだった。

何を作ろう。何が好きかな。

久々に、私は料理が好きだという感覚を取り戻した。
積極的に本を読み、準備を万端に整えて臨んだ。

しかし、息子もまた「食べない人」だった。


やはり残される料理たちに、やるせない気持ちでいっぱいだった。

沢山泣いた。
沢山怒った。

子供も、私も、苦くて痛くて、しんどい食卓を1年近く続けて、ようやく息子が少しずつ食べるようになって、鈍い私はようやく気付いた。

ああ。食べないって、個性なんだ。

車が好き
人形が好き

そんなのと並列にできるぐらい、『食べない』は個性なんだ。
私の家族は、食に対する欲求が私の思う以上に少ないんだ。

それなら、私はどうしたいんだろう。
この、個性を無理やり曲げて、灰色の食卓を選ぶのか。
受け入れて、違う食卓を目指すのか。




私の目指す食卓

笑って食べよう
楽しく食べよう

私も、夫も、子供も失っていた愛と笑顔の溢れる食卓にしよう。

食べるって楽しいね。
食べてもらえてうれしいな。

そんな、些細で当たり前なことをtwitterで呟いた。
勿論、できない日もある。
「食べない子は向こうの部屋に行ってなさい!!」
そう怒鳴る事もある。
そんな事も含めて呟いて、いつか、どこかで、同じように苦しんでいる人がいて、そっと背中を撫でることができれば嬉しいと思いながら。



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#子供と夫が食べない部  で活動中です。


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