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歴史主義

(概要)
19世紀のヨーロッパを席巻していく「近代社会」という様態は,社会構造を転換し,学問すらも発達させました。その結果,建築にも変革が求められ,未知の機能や材料に対応することが求められました。建築家はそれを過去の建築様式に典拠を求め,その近代性を問うことにしました。歴史から学ぶ「歴史主義」が造形の秘訣としましたが,様式の伝統を破壊してしまい,近代社会を体現するにふさわしい強・用・美を満たす新しい造形を模索するようになっていきました。「様式」の解体を招いた,近代社会に対する建築家の対応の所産です。

(強・用・美)
「強」とは,すなわち丈夫で壊れないこと。「用」とは,すなわち使いやすいこと。「美」とは,すなわち美しいこと。ウィトルウィウスが提唱した,建築の三要素である。


(本文)
19世紀にヨーロッパを席巻していく「近代社会」という様態は,イギリスを先駆とする産業革命,新大陸におけるアメリカ合衆国の独立やフランスでの市民革命がもたらした,18世紀後半でのかつてない社会構造の変化を出発点として育まれました。そうしたなかで,市民社会を骨子とする国民国家という枠組み・資本主義という制度・科学の進歩や工業の発展に基づいた科学技術を土台とした文明が確立されていきました。つまり,近代社会の存立に不可欠となる,治的・経済的・生産的基盤の骨格が,19世紀を通じて次第に整えられていったのです。

こうした社会の変動は「進歩」の兆しと受け止められました。そこで,人間の来し方と行く末を問う思考回路が育まれ,歴史学・考古学という学問が著しく発達することとなりました。その帰結としてヨーロッパの軌跡(=歴史)が,精密なかたちで明らかにされていくことになります。建築史というジャンルでいえば,過去の諸々の建築様式が時代ごとに分類・定義されて,それぞれの造形的特徴が明確にされていった結果,いわば建築様式のカタログが完成しました。そして,こうした過去の諸様式を習得することこそが,建築家にとって必須の教養ともなったのです。

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