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文学散歩

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小説,、エッセイ。
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伊賀紀行3 「芭蕉足跡・生家跡編」

伊賀紀行3 「芭蕉足跡・生家跡編」

上野城下の赤坂町にあるこの家屋は、芭蕉の父が柘植から移住、兄が受け継ぎ明治の時代まで松尾家が住んでいました。現在の建物は伊賀地方特有の土間の構造から江戸末期のものと推定されています。(生家跡パンフより)

[芭蕉の年表]

1644 伊賀国に生まれる
1656 父松尾与左衛門が亡くなる
1662 藤堂新七郎家の嗣子良忠(俳号蝉吟)に仕える
1666 良忠が亡くなり、奉公をやめる
1672 「貝おほ

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伊賀紀行2 「芭蕉足跡 蓑虫庵編」

伊賀紀行2 「芭蕉足跡 蓑虫庵編」

上野城下の町中に、こんな絵がいくつも描かれていて、出迎えてくれます。伊賀、といえば「忍者」ですからね。

しかし俳句を嗜む私としましては、伊賀といえば「俳聖・芭蕉」が一等です。

伊賀は芭蕉生地なんですね。ですから、本記事(芭蕉足跡シリーズ)は、上野の町中さんぽしながら、また寄り道もしながら、芭蕉ゆかりの場所を訪ね歩いた、その記録となります。

そんなわけで、「うえのし」の駅から歩いて20分ほどの

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熊野古道 有間皇子墓

熊野古道 有間皇子墓

十九歳の有間皇子が絞首刑にされたと伝えられる熊野古道 藤白坂(和歌山県海南市)にお墓があるというので、行ってきました。

有間皇子(640~658)

飛鳥時代、孝徳天皇の皇子。658年斉明天皇が紀伊牟婁温泉に行幸中、蘇我赤兄が天皇の失政三か条を指摘しての扇動にのり、ともにむほんをくわだてることを約したが、かえって赤兄は天皇に密告したため、その一味とともに捕らえられ、紀伊に送られて殺された。原因は

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在原寺と業平道 在原業平

在原寺と業平道 在原業平

色のない人生はつまらない。といつも思っておりましたが、現実はほぼ無色です。

ところが、いるんですね。すごい色男が。在原業平という人。

在原業平(ありわらのなりひら)
平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。父は平成天皇の皇子阿保親王。母は桓武天皇の皇女伊都(登)内親王。(中略)美貌と色好みをもって知られ、藤原氏への反発から奔放な生活を送った。『伊勢物語』の『昔男』は業平がモデルとされる」(「

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ローカル線の地下想像力 寺山修司

ローカル線の地下想像力 寺山修司

とんでもないタイトルをつけましたが、きわめてローカルな「万葉まほろば線」の某さみしい駅に、なんと寺山修司の足跡があるというのです。

ほんとか嘘か、そんなお話を聞きましたので、少し地下的な想像力を加えて、ご紹介します。

ここは、JR桜井線、またの名を「万葉まほろば線」といいます。
奈良駅~高田駅間を結ぶJR西日本の鉄道路線です。

14ある駅の北端の駅・奈良駅から南へ四つ目の駅が、天理市の「櫟本

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谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

わたくし生国(しょうごく)は近江のくに長浜在(ながはまざい)でござりまして、たんじょうは天文にじゅう一ねん、みずのえねのとしでござりますから、当年は幾つになりまするやら。左様、左様、六十五さい、いえ、六さい、に相成りましょうか。

これは、谷崎純一郎『盲目物語』 の書き出しである。小説の語り手は、按摩揉み療治をする弥一という盲目の遊芸人で、浅井長政の妻となり、後に柴田勝家に嫁した信長の妹お市の方を

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津風呂湖百景6「池田克己詩碑 小野十三郎書」

津風呂湖百景6「池田克己詩碑 小野十三郎書」

「池田克己詩碑
 小野十三郎書

 疲れた駅からの五十丁
 月の木橋の上でようやく満月
 役場前の急坂で眞正面の満月
 火の見櫓も
 一本杉も
 まぶしくかすむ
 雪の満月

 池田克己」

吉野・津風呂湖畔の、静かで寂しすぎる吉野運動公園。そこで思いがけず遭遇した詩碑。小野十三郎書とあるではないか。小野十三郎氏は、大阪文学学校初代校長である。

池田克己は、1927年吉野工業学校建築科卒。詩人と

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麦秋 小津安二郎と原節子

麦秋 小津安二郎と原節子

三輪山の麓に広がる麦畑。

この茶色はもうすぐ収穫のサイン。

この麦は、製粉されて三輪素麺かうどんの原材料になるのだと思う。

これだけの面積の麦畑は、当地方ではここ以外見れない。(推定)

さて、この麦畑は水田転換なのだろうか?
それとも大豆かなんぞの作物の裏作として植えられているのだろうか?

どっちにしろ、農家の次男の私は、眼前の麦秋に郷愁を覚えずにはいられない。

郷愁ついでに「麦秋」で

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瀬戸内寂聴と黒田杏子

瀬戸内寂聴と黒田杏子

瀬戸内寂聴氏には何度かお会いしたことがある。といっても、数十人が参加した句会で、遠くにご尊顔を拝したのみであるが。

私の俳句の師は黒田杏子先生で、その先生が瀬戸内寂聴氏とお友達だったのである。というか黒田先生が寂聴さんを文学文芸の先達として、また寂聴さんも黒田先生の俳句の腕を認めていた。そんな関係で、嵯峨野の寂庵で月例句会が開催されていて、畏れをしらん私はひょこひょこ京都へ出掛けていた。

まも

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大阪の文豪・織田作之助と井原西鶴

大阪の文豪・織田作之助と井原西鶴

なんばにある自由軒で玉子入りの「名物カレー」食べました。

これが、かのチョーチョー有名な「自由軒」の「名物カレー」です。

ドライカレーのリゾット、生卵のせ、と紹介すればよいですかね。

このライスカレーが有名であるには、むろん理由があります。
織田作之助の『夫婦善哉』に出てくるんです。

ランチした、なんばの「大衆洋食 自由軒」の店構え。なんや昭和な雰囲気です。

「…自由軒で玉子入りのライス

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横光利一句碑のある丘〜伊賀市

横光利一句碑のある丘〜伊賀市

伊賀市に「横光公園」という清らかな公園があります。

「横光利一は、大正から昭和にかけて日本の代表的な作家として活躍。「文学の神様」という呼び名が付けられました。
平成11年春、横光利一の生誕100年を記念して母小菊の故郷であり小学生時代の一時期を暮らした野村の地に公園が造られました。
園内には父梅次郎が鉄道技師として関西鉄道建設に関わり加太トンネル工事に使ったレンガや絶筆「洋燈」をモチーフにした

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阿騎野の朝〜柿本人麻呂

阿騎野の朝〜柿本人麻呂

東の野に炎の立つ見えて
かえり見すれば月傾きぬ

万葉集のなかで秀歌のひとつに数えられるこの歌は、持統6年の冬(692年)、この地阿騎野に訪れた軽皇子に同行した柿本朝臣人麻呂によって詠まれたたものです。

(説明板より)

朝活したけど、蚊に刺されたまくったけど、気持ちは清々しくはあった。

日の出 5:30

たった今
2023.9.3

曽根崎心中の舞台〜露天神社

曽根崎心中の舞台〜露天神社

「お初天神・露(つゆ)天神社」は、JR大阪駅から徒歩10分ほどのところにあります。
繁華街ですね。

ここは近松門左衛門「曽根崎心中」ゆかりの神社として、つとに有名です。

この神社境内で、実際に「お初」と「徳兵衛」の心中事件があり、その実話がもとになって劇化されたのだそうです。

ここで、境内の案内板に「曽根崎心中」のエピソード(1〜4)が記されていましたので、少し長いですが引用します。

(

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松阪散策①「城のある町にて 梶井基次郎」

松阪散策①「城のある町にて 梶井基次郎」

松阪城跡に来て、気付いたことがあります。

梶井基次郎文学碑の存在です。(散策マップ右↓「8」)

梶井基次郎と言えば、「檸檬」が有名ですね。

「得たいの知れない憂鬱な心情や、ふと抱いたいたずらな感情を、色彩豊かな心象と共に詩的に描いた短編小説」(ウィキペディア)と評価される代表作です。

ほとんど忘れていましたが、たしか昔に、某読書会の課題本が「檸檬」でした。その筆致に惹かれた記憶があります。

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