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'貧乏ごっこ'について - 裕福な家庭に生まれた人が自主的に苦労を選ぶことと貧困な家庭に生まれた人が直面する苦労の本質的な違い

よく裕福な家庭に生まれた人間が学生時代などに自主的に親からの援助をうけない、または、最低限にすることで苦労をした経験を話すのを見かけますが、自分は正直に言うとこのような話は聞くたびに心底腹が立ちます

また、一般的に裕福なバックグラウンドでも自ら質素な暮らしを選んでいる物も多いので偏見を持つべきではないというような意見その苦労をたたえる意見もありますがそれも間違っていると私は考えます。

なぜなら、裕福な家庭に生まれた人が自主的に苦労を選ぶことと、貧困な家庭に生まれた人が直面する苦労は、いくつかの本質的な違いがあり、裕福な家庭に生まれた人間がする苦労や貧乏は、あくまで'貧乏ごっこ'に過ぎないからです。


セーフティネットの有無

裕福な家庭に生まれた人が自らの選択によって苦労する場合、彼らにはセーフティネットがあります。つまり、もし彼らが失敗したり、苦労が耐えられなくなったりした場合には、金銭的なサポートやリソースを提供できる家族が背後にいることが多く、失敗したり苦労から逃げたくなってもすぐに人生を立て直すことができる場合がおおいです。

一方で、貧困な環境に生まれた人にはこのようなセーフティネットは存在しないため、取り返しのつかない失敗のリスクやストレスが前者と比べ物にならず、その結果はしばしば生存や人生全体に影響します。

経験としての意義

裕福な背景からの苦労は、その人の経験の文脈において「成長」や「自己発見」の手段として見ることができます。これに対し、貧困の中での苦労は、基本的な生活必需品を得るための戦いとしての性質が強いです。

例えば、裕福なバックグラウンドの人にはキャリアや生活様式を選ぶ自由があり、失敗の恐れが少ないため、リスクを取ったうえで個人の情熱や興味に従って決断を下せることが多いです。

一方で、貧困なバックグラウンドの人は、常に資金繰りや生計を立てることのプレッシャーがあり、リスクを取ることは回避するようになり、これは健康や長期的な計画能力に影響を与えます。

'貧乏ごっこ'を評価する社会とその理由

 上でのべたように'貧乏ごっこ'はあくまでごっこの範疇にすぎず、本質的な苦労とは違います。
 しかしながら、一般的に社会ではなぜかこのような'貧乏ごっこ'ばかりを評価する風潮になっています。これは就職活動からあらゆる場面で言えます。

'貧乏ごっこ'ばかりが評価される理由

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