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『失われた時を求めて』の翻訳

 さて前回、プルーストについて、もう少し俯瞰的にみることにしようと「予告」したのはいいけれど、そもそも物事を俯瞰的にみるというのはそう簡単なことではありません。気が重い。
 というわけで、気張らずに、肩の力を抜いて書いていくことにします。
 まず第一に「必読書」なんてものはないほうがいい。楽しいはずの読書が苦役になってしまうから。「勉強」もそう。勉めて強ばるだなんて、よく見ると恐ろしい字だ。
 でも、それは「近代」という時代の象徴だったのかもしれない。全国民が最寄りの小学校・中学校に通って、せっせと勉強する。それが自分のためにもなるし、「御国」のためにもなると信じて。昔から学校嫌いの子はそれなりにいただろうけれど、「登校拒否」「不登校」なんてことはあまりなかった。あったとすれば、それは筋金入りの確信犯• • •であったり、あまりに家庭環境が悪すぎたとか、そういう極端な事情が背景にあった(たぶん)。少なくとも、昔は逃げ場があった。今は学校も家も、社会そのものも息苦しい。逃げ場があるとすれば、スマホの画面かSNSか……。
 少し脱線しました。言いたかったのは、「義務教育」の制度の延長線上に「必読書」「推薦図書」などというものがあったということ。勉強は国民の義務でした。
 でした• • •と過去形で書いたのは、そんな時代はもう終わりにしたらいいじゃないかと心の底で思っているから。
 フリーランスの翻訳者という職業を長年続けてきて、それなりに歳もとり、くたびれてくると、よりにもよってなぜ「印税生活」などという不安定な人生を歩んできてしまったのだろうと思うことがある。ちゃんと勉強• •して、大学のポストについていれば、こんな歳になって年金だの、保険だの、お金の心配をせずにすんだのにと思ったりもする。
 でも、勉強すれば大学の先生になれるかといえば、そんな簡単なものではない。どこかの大学のポストを得たとしても、教授職をまっとうするのも大変なようです(と、大学の先生になった友人たちが口々に言うので)。たぶんそれは高校の先生、小中学校の先生とて同じこと、いや、もっと大変かもしれない。こっちだって大変なのだ。世間的にはお気楽な印税生活者だと思われているかもしれないけれど。
 また、脱線しました。
 私が大学の道や、教職の道を選ばなかったのは、父が小学校の教師だったので、父親と同じ職業に就くのは嫌だという反発心があった。そもそも人にものを教えるというのが苦手で、忍耐強く言葉で何かを伝え、教えるということが、どうも苛立たしく感じられるという困った性癖もある。言葉でわかったと思うことはわかったことにはならないという言葉に対する根強い不信感もある。
 そのくせ本を読むのは好きで、書くことも子供の頃から好きだった。だから学校の成績は悪くはなかった。でも、学校は嫌いだった。
 また、脱線気味になってますね。
 だから、自分の好きな読書や文学を「勉強」にはしたくなかった。まあ、自由でいたかったんでしょう。自由というのは若さの特権かもしれない。老いてからの自由は難しい。まず第一に体が自分の思い通りには動いてくれなくなる。単純な話です。
 さて、そろそろ本題に入りましょう。プルーストの話です。
 プルーストの『失われた時を求めて』は、文学部——とりわけ仏文科——の学生にとっては「必読書」だった。でも、必読書なんてものはないほうがいい、というところから話を始めたのでした。
 学生にとっては「必読書」で、おそらくプルーストの研究者にとっても、この畢生の大著は仰ぎ見る高山のような壁のようなものだったのではないだろうか。何度も言うけれど、この作品は長い。超長い。大著でなおかつ構成も複雑。しかも語学的に難解で、本文に登場する固有名詞や、古典からの引用、歴史的人物の扱いも難しい。
 でも、だからこそ勉強したり、研究したりするにはもってこいの作品だとも言える。
 さっさと結論を言ってしまうと、だから従来の日本語訳は及び腰だった。原文を仰ぎ見ているうちは翻訳などできません。対象となる作品がエンターテインメントであれ、「純文学」(これもすでに死語になってるかもしれませんね)であれ、及び腰では翻訳できません。少なくとも作家と同じ目の高さで書かなければ、ニュアンスなど伝えられるものではありません。
 翻訳の困難、あるいはそれが故の醍醐味は、作家(著者)が何を考え、何を意識して、その言葉を選び、そのようなスタイルの文章を書いているかを見抜くことにあります。翻訳家は作家の代弁者でなければならない。字面を右から左に書き写すのではない。少なくとも、翻訳している時間は作家になりきること。同じ視線で書くこと。
 芸術や文学がエロスと切っても切れない関係にあるように、翻訳は原文と同衾しなければならない。
 極端なことを言っているようですが、奇しくも二〇一〇年の秋に刊行された高遠弘美訳(九月、光文社文庫)と吉川一義訳(十一月、岩波文庫)には、それ• •がある。
 それ• •とは何か?
 原文を仰ぎ見ていないということ、並行の視線で訳されているということ、すなわちわれわれは——日本人は、日本文学は——プルーストに追いついたということ、ついにプルーストが見出されたということです。
 この二つの訳はどちらもすばらしい。甲乙つけ難い。少なくとも、それまでの訳とは格段の差がある。高遠弘美氏は光文社版第一巻(第一篇「スワン家のほうへⅠ」)の巻末に付された「読書ガイド」のなかで、次のように言っている。

 細かな単語の訳語レベルでは数えきれないほど、既訳と解釈が違うことがあった。「訳者前口上」でも述べたように、私の翻訳はもちろん先達の立派な訳業ありてこそ成立している。されど、大切なのはプルーストに対する真率なる愛情であって、プルーストが書いたつもりのない表現の日本語になっているとしたら、それは誰かが正さなくてはならないだろう。〔中略〕面上の唾を覚悟で、自戒をこめつつ言えば、多く場合、辞書の調べ方が足りない。あるいは調べたうえで文脈から考えようとしていない。

 これを読んだ読者は、さぞ驚かれたことだろう。日本を代表する著名な、あるいは高名なフランス文学者たちが訳してきたプルーストは、こんなにひどいものだったのか、と。できれば読者の方々には、実際に書店に行って、高遠弘美訳の『失われた時を求めて』第一巻を手に取り、この巻末の「読書ガイド」をぜひお読みになるといい。プルーストの原文と、それに該当する五種類の既訳を並べて、いわゆる誤訳の箇所を指摘しているから。
 これを読んで、私も愕然とした。既訳のひどさに愕然としたというよりも——これについては懇意にしている仏文科の先生が誤訳のオンパレードを嘆くのを何度も耳にしていたので——、文芸誌の書評やエッセイならいざ知らず、新訳のあとがき(「読書ガイド」と命名しているが、実質的には「訳者あとがき」と言っていいだろう)で、既訳の誤りを訳者名を挙げて指摘していることに、あっと驚いたのだ。前代未聞とはこのことだ。
 でも、嫌味な感じはいっさいなかった。なぜなら、これは細かい誤訳をあげつらって得々としているのではなく、翻訳とはどうあるべきかを、臆することなく真正面から論じていたからだ。まさしく「誰かが正さなければならない」そのとおりだと同感した。
 私たちの世代——すなわち、半世紀前に大学の文学部に在籍していた世代——は、フランス文学にせよ、ロシア文学にせよ、あるいは英文学にせよ、途方もなく読みづらい日本語訳を読んでいた——あるいは読まされていた• • • • • •——のだろう。外国文学を読むということは、そういう難解な、とても読みやすい日本語とは言えないものを、額に汗して苦役のように我慢して読むことだと思い込まされてた• • • • • • • •ように思う。
 哲学もそう、文学もそう。
 異様な日本語訳で読む。それが文学する• • • • ことだった。
 漢文だって古文だって、そうじゃないか。難解なものを解読する、それが文学だと。
 だから、その難解さが、たとえ誤訳に基づくものだったとしても、気にしなかった。
 でも、そんな時代は終わった。ちゃんと読みやすい日本語にして、必要とあらば詳細な訳註を付け、図版を入れる。ようやくそういう時代がやってきた。高遠氏と吉川氏の二つのプルースト訳はそのことを如実に告げている。
 フランス本国のプルースト研究も格段に緻密になってきたという事情もあるだろう。
 まことに慶賀すべき時代が到来したものだ。
 でも、フリーランスの翻訳者という浮草稼業、仕事としてはプルーストのような大文学とは縁もゆかりもなく、ただ一読者として読書を満喫するだけ。ただ、そういう純然たる読書の時間がなかなか持てないのが辛いところ。

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