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戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【5月17日~23日】

戦国時代の今日の日付にはどんなことがあったのか? 1週間ごとにお伝えします。ぜひ「ああ、今日はそんなことがあった日なんだな」と思いを馳せてください。毎週日曜日に更新する予定です。
なお、日付はすべて旧暦ですので、現在とは約1ヵ月のズレがあります。

5月17日 明智光秀に備中への出陣命令

天正10年(1582)5月17日(旧暦)、織田信長(おだのぶなが)は明智光秀(あけちみつひで)に命令。備中(現、岡山県西部)で毛利輝元(もうりてるもと)勢と対峙する羽柴秀吉(はしばひでよし)への援軍の先鋒(せんぽう)を務めるよう指示しました。光秀は2日前から安土(あづち)城へ礼参している徳川家康(とくがわいえやす)の接待役を解かれ、急きょ、中国地方に向けて出陣することになったのです。

5月18日 今川義元、沓掛城に入城

永禄3年(1560)5月18日(旧暦)、今川義元(いまがわよしもと)は尾張(現、愛知県西部)沓掛(くつかけ)城に大軍(約2万5,000)を率(ひき)いて入城。将を集めると松平元康(まつだいらもとやす、のちの徳川家康)と朝比奈泰朝(あさひなやすとも)を先鋒に、翌早朝より織田方の砦(とりで)を攻めるよう命じました。元康は大高(おおたか)城への兵糧(ひょうろう)搬入と丸根(まるね)砦攻め、泰朝は鷲津(わしづ)砦攻めです。

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5月19日 桶狭間の戦い

永禄3年(1560)5月19日(旧暦)、織田信長、早朝に清須(きよす)城を出陣。熱田(あつた)神宮で戦勝を祈願すると、手勢約2,000で善照寺(ぜんしょうじ)砦に入ります。一方、今川義元は約2万5,000を率い、桶狭間(おけはざま)山に布陣。信長はにわかな風雨をついて今川軍本陣を急襲、義元を討ち取りました。

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5月20日 武田勝頼、決戦を期して連吾川へ移動

天正3年(1575)5月20日(旧暦)、武田勝頼(たけだかつより)は主力を率いて長篠(ながしの)城から連吾(れんご)川沿いに移動。すでに連吾川付近には織田・徳川軍によって馬坊柵(ばぼうさく)が設けられ、信長は極楽寺(ごくらくじ)山に本陣を置き、家康は設楽原(したらがはら)に布陣していました。勝頼は、正面からの決戦を選びます。

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5月21日 長篠設楽原の戦い

天正3年(1575)5月21日(旧暦)、長篠設楽原の戦い勃発(ぼっぱつ)。早朝、織田・徳川軍別働隊が鳶ヶ巣(とびがす)砦を落とし、武田軍の攻囲から長篠城を救います。背後を押さえられた武田勝頼は正面突破を図るしかなくなり、設楽原の織田・徳川軍を攻めました。兵力と鉄砲の量では劣勢ながら8時間に及ぶ激闘を続けた末、有力武将多数を失って敗れます。

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5月22日 蜂須賀正勝没

天正14年(1586)5月22日(旧暦)、蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)没。蜂須賀小六(ころく)の名で知られます。 尾張国衆(くにしゅう)で最初は斎藤道三(さいとうどうさん)、次いで織田信長に仕えました。羽柴秀吉の与力(よりき)、さらに直参(じきさん)となります。数々の合戦で活躍し、秀吉が天下を取ると筆頭老臣に。四国攻めの後、阿波(現、徳島県)一国が息子の家政に与えられた翌年に死去。

5月23日 豪姫没

寛永11年(1634)5月23日(旧暦)、豪姫(ごうひめ)没。前田利家(まえだとしいえ)の娘で豊臣(とよとみ)秀吉の養女となり、宇喜多秀家(うきたひでいえ)に嫁ぎました。秀吉が「男だったら関白(かんぱく)にした」と語るほどの器で、関ヶ原(せきがはら)の戦い後、秀家が八丈島に流されると、前田家から仕送りを続け、それは豪姫没後も藩が続けたといいます。


【5月の戦国武将生没日】

5月2日・織田信孝没 異説あり
5月3日・京極高次没
5月5日・嶋左近誕生 異説あり
5月6日・大友宗麟没
5月6日・北条綱成没
5月6日・後藤又兵衛没
5月6日・木村重成没
5月6日・増田盛次没
5月6日・薄田兼相没
5月7日・高坂昌信没
5月7日・小笠原秀政没
5月7日・真田信繁没
5月8日・豊臣秀頼没
5月8日・毛利勝永没
5月8日・大野治長没
5月8日・真田大助没
5月9日・安宅冬康没
5月10日・平手政秀誕生
5月11日・斎藤義龍没
5月12日・織田信長誕生 異説あり
5月12日・佐久間盛政没
5月14日・佐々成政没
5月14日・榊原康政没
5月15日・長宗我部盛親没
5月16日・鳥居強右衛門没
5月19日・今川義元没
5月19日・足利義輝没
5月19日・長宗我部元親没
5月19日・真田幸隆没
5月21日・山県昌景没
5月21日・馬場信春没
5月21日・内藤昌秀没
5月21日・真田信綱没
5月22日・蜂須賀正勝没
5月24日・伊達政宗没
5月27日・堀秀政没

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