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イタリア挑戦の11ヶ月-どん底を経験して得るものとは

僕は合計2回イタリアにフットサルで挑戦した、
1回目は高校2年生の時、選抜で選ばれて。
2回目は外国人枠、いわばプロとして行くため。

2020年8月1日僕はイタリアへ夢のために旅立った。
そして、
2021年6月1日、夢叶わず、先が見えないまま帰国した。

イタリア挑戦のキッカケ

先輩たちの姿にも影響され、僕はとにかくフットサル部での活動が大好きだった。
ある日の大会、そこでイタリア高校生選抜のチームを作るために
とある会社の方と監督が来ていた。

あまり自信もなかった僕は
とにかく試合のことだけに集中していた、
しかし結果はグループ最下位。

それでもぜか僕と友達二人がセレクションに選ばれた。
僕はせっかく得た機会、つまりチャンスだから
全力でやってみようと思い受けた。

結果は合格、高校生選抜でイタリアに日本人チームとして
大会に参加した。

現地での集合写真(上右から2番目)

それが初めてのヨーロッパだった。

またイタリアへ挑戦するキッカケでもあり、もっと熱中するきっかけともなった。

二週間の選抜の挑戦も終わり帰国した数ヶ月後、
また新たな挑戦の招待状がきた。

『イタリアへプロ契約の挑戦』
というような内容であった。

以前の選抜もあり、セレクションは無料で参加ができた。

これも同じようにチャンスだと思い、挑んだ。

そして次の年の契約を取るためにまた二週間ほどイタリアへ行き、
2チーム受け、一つ契約を勝ち取った。

Serie C1 Orvieto FC 入団

当時このスポーツが大好きで仕方なかったため、
自分を変えてくれたスポーツであったため、
進路も海外の大学ではなく、
選手を目指した。

苦悩と成長の11か月の始まり

当時高校三年生だった僕は、
海外大学の進学も考えていた。

しかし、それを蹴っ飛ばし
イタリアへのフットサル挑戦に決めた

高校の部活を引退してからも、
今所属している東京ヴェルディフットサルチームで練習して準備をした。

学業や先のことも考えたら安定な海外大学留学の選択肢を捨て、
先も分からず、実力の世界で生きると決めた僕にとっては
大きな選択だった
、ものすごい覚悟が必要だった。

レベルはSerie C1, 日本で言うところの4部だ
決してプロと言えるレベルではない、けれど外国人枠としてチームを勝たせる責任があったと思う。
どんなレベルであれ、戦うことに変わりはない。
一外国人として、貢献するのは当たり前なんじゃないかと思った。

目標はあった。
まず2020/21シーズンは点を取り結果を残す、
そして来シーズンのためにスカウト、または目をつけられるようにしてつなげる。

考えはシンプルだった、そしてあとは練習に取り組み試合で結果を残すだけだった。

しかし、

現実は甘くなかった、人生思うようにいかないものだ
初めてこの言葉を痛感した。

ちょうど新型コロナウィルスによるパンデミックが世界各国で起こった。
日本を出国する際は、
第3波と言われるぐらい多くの感染者がいた。

しかし、その時のイタリアはほぼゼロだった。

行く前にいろんな方に心配された、
正直自分でも一回立ち止まった。

『今が行く時か?』
とそれは災害もそうだが、自分の実力にも問いかけたものだった。

正直、ものすごく色々と上手くいってたと思う。
おかしなぐらい右肩上がりだった気がする。

しかし、目の前のことでいっぱいだった僕は改めて
行く決意をした。

8月〜10月

隔離明けの朝日、まるで改めて挑戦が始まったような感覚だった

月初めにイタリアへ向かった。
チームも決まっていたため、
あとは選手登録や手続きをして行くだけだった。

最初の二週間はコロナ対策で自宅隔離
その間一年目の仲間達と筋トレやイタリア語の勉強などして、
互いのモチベーションを高め合った。

隔離が終わるといよいよシーズンが本格的に始まった。
シーズン前のチームの集会があり参加した。

"Piacere conoscerti"
『初めまして、お会いできて光栄です』
的なニュアンス
このフレーズを頑張って覚えた。

緊張を押し切り積極的に握手して挨拶をしていった。
日本人として、一選手として礼儀は忘れたくなかった

集会はもちろん日本語ではない
何言ってるか全く分からなかった、
その時自分の甘さに気づいた。

日本にいたときは環境がどうにかしてくれると思っていた、
しかし、それは基盤があってのことだと思う。

ある程度の文法の形、単語、発音などの基礎がある状態で準備が出来ていたらもっといいスタートも切れていただろう。
海外で挑戦するのならその国の言語、または英語が話せて当たり前になると思う。
なぜならスポーツするにせよコミュニケーションが取れなきゃ何も出来ない。
それで最初はチームメイトに認めてもらうのに苦労した。
練習でもある程度のスキルで存在を示したとしても、
理解と意見を言えなきゃ試合中はうまくいかないし、いいパフォーマンスもできない。

イタリアに来て1か月で気づけたのは良かった。
しかし、
ついにコロナの影響徐々に僕の挑戦にも悪影響を及ぼしてきた。

COPA ITALIA、日本で言うところの全日本選手権が始まり一回戦目を迎えた。
しかし、登録の都合上その試合には出れなかった。
外から応援した。
結果は負け、僕の一年目の選手権は終わった。

それでも
『俺がこのチームを勝たせたい』
そう強く思った。

一週間後に公式戦が始まる予定だったために、
余計モチベーションが上がっていた。

リーグ開幕戦前のチームメイトとの晩餐会(みんなモチベ高かった)


街の中でチームソング歌いながら集合写真!

2022年10月23日公式戦前日
新型コロナウィルスの影響により試合の延期という連絡がきた。

そしてそこから
先も見えない不安との戦いが始まった

11月〜4月

最初はコロナウィルスの拡大もすぐ治ると誰もが思っていた。
『来月には再開するよ』
この一言が唯一の救いだった。

練習もなく、外にもあまり出れない。
他の選手は人それぞれ大変な思いしてるが活動できていた。
正直止まった時は不安が一気に襲いかかってきた。
何を考えても、ネガティブになり悪い結果しか思いつかない、
すると余計に不安が増えていき沼にハマった。

気付いた時にはクリスマスだった。

それまで練習とリーグ開始するのだけをモチベに言語を頑張っていた。

プレシーズン中に言葉の大切さを知った僕は、
再開した時にチームメイトとイタリア語で喋って驚かしてやろうと思った。

正直帰りたくなった時は何度もあった。
どうなるかも分からない、正しい答えもない。

ただ、クリスマスの時にまたリーグ再開延期の連絡が入った。
また来季のことも考え始めた。

4月になったら決断がリーグの下る、
それを信じた僕は必死に勉強した。

また代理人と親とも話、
次節はSerieBに挑戦しようと決めた。

元々Serie C1でプレーしていたのにも二つ理由がある、
一つはチームのトライアウトに受かったから。
(もう一つSerieBのチームは受けてたが、そこは落ちた)

そしてもう一つの理由は、SerieC1が自分の持ってる最大限の力が発揮できる場所だと思っていたから。
そして、結果を残し徐々に上がっていこうと思っていた。

だから仮にシーズンが流れてしまったら、来年もC1に挑戦しようと思っていた。
しかしリーグが中断になり、色々と考える時間があった。
その際にSerieBの挑戦にたどり着いた。

確かに自分に合ったレベルでプレーして結果残すのは安全でありリスクも少ない。
もちろん完璧には行かないが、試合も出れるし上手く行くことが多い。

けれどそんな環境での成長はないと思う。
何事でも自分より一つ、二つ上のレベルで挑戦して食らいつくことによって、気持ちも行動への考えも変わる。
そして、もがいて立ち向かって克服する。
自分のできることばかりやっても、同じままだ。

SerieB行ったらもっと上手い選手とスタメン争いや、ベンチ入り争いをすることになる。そのような過酷な環境が自分には必要だと思った。

そこからリーグ再開まで、来季しっかりプレーできるようにといっそイタリア語と自主トレーニングに励んだ。(その二つがモチベーションだった、、)

先輩の所属していたSerieBの練習参加


4月〜6月

いよいよ4月、それまで気持ちのアップダウンは激しかったが
イタリアでプレーしていた先輩方や、同期、またカフェで出会ったイタリアの方々のおかげで前を向けた。

だがまた現実が襲い掛かった。

まず、リーグが流れた連絡だった。
つまり、2020・21シーズンのリーグは中止になったということだった。

『俺は何のためにイタリアへ来たの?』
何度もそう思った。
過ぎた月日は戻んない、でも目的があり目的が出来なかったということにものすごく悔しく思った。
けれどなぜか、すぐ切り替えられた。
なぜなら次のシーズンの準備も考えていたから、
何一つ無駄になったとは思わなかった。

もう一つの壁にぶち当たるまでは、、、

まだアマチュア僕は全てお金がかからず行っていたわけではない。
何事にもお金はつきものだ。

あまり詳しくは語れないが、
お金が十分になく、行けなかった。

最初はローンを組んででも行きたかった。
それほど、欠けていたし悔しかった。
この悔しさを晴らせるのは来季思っていた。

だが全てにおいて目の前のことしか見てこなかった僕にとっては
知識不足でもあった。

悔しかった。
来季のために残ると決めてできることをしてきたのに。
なんのために頑張っていたんだ?

それしか考えられなかった。

自分次第、
僕は一度足を止めて落ち着くことを決めた。

もしかしたら何かの縁かも、
一旦日本に戻って人生を見つめ直すときかも。

そうも思えた。

これまで親には負担をかけた、
だから自分でやり遂げたいと日々思った。
そして恩返ししたい。

だから、来季自分で行くという選択に
それが難しいとも思った。

自分に人生をかけてでも来季一年に挑戦してかける
勇気と度胸は僕になかった。

悔しさや忸怩たる思いを押し切り
前向きに考えた。

最後まで戦い抜いたのならそれで良い


あなたは、目的を達成できなかった時何を思うだろう。

そのゴールの大きさにもよるかもしれない、
けれど僕はそのゴールに向かうまでの工程が大事だと思う。

僕は帰国した時、
なぜか気持ちは楽だった。
悔しさや後悔がのしかかるのではなく、
やり切った気持ちが合った

これがどんな時でも大事なのではないだろうか。
最後までやり切る

意識して継続できるものでもないし、難しい。

それでも僕は、
コロナでフットサルができないと分かっても日本に帰らなかった、
VISAが切れる最後までいることにこの挑戦に意味がある

僕は前向きに考えた時にこれだと思った。
何が起こるか分からない、けれど日本にいるよりも残りの数ヶ月をイタリアでしか出来ないことに挑戦することによって何か得ると思った。

その中で成長や海外で生きていく大変さも知れた。
日本にいたら絶対に気づけないことだと思う。

いる間はもちろんイタリア語も勉強し、いろんな人と出会った。

僕がこの挑戦で得たものは

最後までやり抜く力(気持ち)だ

練習、バイト、または学校でも
苦手な場面に出くわすことがある

でも僕はいつも
これは自分の決めた道、まずは最後までやってみよう』
と自分に言い聞かす

本当にできなくなるまではやり遂げたい。
何か目標があり、成し遂げたいなら些細なことで諦めない簡単な気持ちが
ものすごく大事になると思う。
なぜなら、『続ける』というのは簡単そうで、やってみると難しい。

ただ、そこでやり遂げてみるとまた新たな発見や大切なものを得れる。

僕は練習でもきつい時が何度もある。
それでも『出てる間は最後まで走ってやる』と思う。

それで自分の成長も認識でき、またもっと頑張っていける。

小さいことでも何か決めたことに最後まで向き合いやり切った先には、
必ずまた大きな未来があると思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。







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