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『ナチ刑法175条』ドイツの同性愛禁止法から考える政治の役目

被災地、強制収容所、難民キャンプ。過去の記憶を辿り、「先の見えない不安」について考えていると、導かれるように『ナチ刑法175条』を知り新宿へ。ナチスドイツの強制収容所を生き延び、生存されている同性愛者9人のうち7人の生存者の証言をまとめたドキュメンタリー。

ユダヤ人の他に、ロマ人(ジプシー)、犯罪者、政治犯なども収容されていたことは知っていたが、恥ずかしながら、男性同性愛者も強制収容されたことを最近まで知らなかった。

ドイツにおいて、同性愛が懲役刑となり、法改正されながらも1994年まで続いていたことを知らなかった。日本の歴史上最低の悪法と呼ばれ1996年に廃止された「らい(ハンセン病)予防法」が思い起こされる。双方とも政府が過ちを認め、本格的に補償が開始されたのは21世紀になってから。

政治の観点からは、当時、野党が同性愛者への政策が手ぬるいと、与党であるナチスを集中攻撃したことにより、ナチスの幹部であったレームが同性愛を理由に処刑され、弾圧が激しくなった事実を見過ごしてはならない。ニーメラーの詩と「反転可能性」についてもう一度考え胸に刻む。誰もがマジョリティであると同時にマイノリティであり、戦時中は誰もが標的になりうる。

7人全員が収容所の体験の前で口をつぐむ。語れないのだ。なぜ語れないか?皆口を揃えて「Shame=恥」と話す。すべて人々の望む生き方を尊重する社会が現代においても実現されていないことを暗示している。

ちなみに、女性の同性愛者は生殖機能がある、矯正可能であるという理由で多くが送還を免れた。

同性婚が認められないことに対して高裁で違憲判決が出た今見るべきドキュメンタリー。戦争も災害も、弱い立場の人が真っ先に犠牲になるという事実を歴史の教訓として忘れてはならない。その事実なら、政治の役目は自ずと見えてくる。確信している。

高野はやと@江東区