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公庫・仕様書・住宅基準|健康で文化的な生活を営むに足る住宅を

お盆に実家帰省した際、「そういえば実家の設計図面って見たことないけど保管してあるんだろうか?」と疑問に思い、母に問うてみると「あるある」との応え。ドサッと風呂敷包みを渡されて「関係ないのも入ってるかも」とのことで、興味津々に包みを解いてみると・・・ありました、ありました。お宝がありました。

お目当ての「実家の設計図面」として出てきた書類は、正式には「住宅金融公庫融資住宅設計審査申請書」。あ~そうか、実家も公庫住宅だったんだと今さら気づいた次第。新築工事の工期は1976(昭和51)年の7月から10月。約40年前に建てられた公庫住宅の資料が実家にあったということで、とんだお宝発掘でした(自分のなかで「お宝」なだけですが)笑

当然ですが、わたしの地元である三重県のど田舎にもこうして住宅金融公庫融資住宅(以下、公庫住宅)が建ったわけで、近代日本の庶民住宅史に思いを馳せると感慨深いものがあります。以前も住宅金融公庫が戦後の住宅史において持つ意味をおおざっぱにスケッチしました。

日本全国津々浦々に一定の基準でもって建設されていった公庫住宅。今となっては木造在来工法の至って普通な2階建住宅という「普通」な実家を支えた住宅基準について綴ってみようかと思います。


公庫住宅の質保証=住宅基準とは

1950年に発足した住宅金融公庫は、住宅資金を有利な条件で融資することで、住宅の質保証を図る制度。戦後の圧倒的な住宅難を解決する政策の一つとして日本の家づくりに大きな影響を及ぼしました。

住宅金融公庫法には次のようにあります。

第一条 住宅金融公庫は、国民大衆が健康で文化的な生活を営むに足る住宅の建設に必要な資金で、銀行その他一般の金融機関が融通することを困難とするものを融通することを目的とする。
(住宅金融公庫法、昭和二十五年法律第百五十六号)

この公庫の目的は、4年前につくられた日本国憲法にて「生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務」を述べた第二十五条、つまりは「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に対応しているのは言うまでもありません。ちなみに、住宅金融公庫法と同年に定められた建築基準法は次のようにあります。

第一条 この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。
(建築基準法、昭和二十五年法律第二百一号)

「最低の基準」を定める建築基準法をクリアしつつ、さらに「健康で文化的な生活を営むに足る住宅の建設」を目的としたのが公庫住宅でした。今回の「お宝」は、戦後日本の家づくりを代表する住宅金融公庫を、自分の実家をもとにケーススタディできる絶好の資料です。

公庫融資住宅の質保証へ向けて、住宅金融公庫はさまざまな取り組みを実施しました。建設省・住宅金融公庫が監修した『あなたの住い:公庫からの借り方と家の建て方』(大蔵財務協会、1950年)には次のようにあります。

公庫が貸す金は五分五厘という低金利ですが、前の項で述べたように建設される住宅を担保として、木造十五年、簡易耐火造二〇年、鉄筋コンクリート造三〇年、という長期金融をするのですから、その住宅が十五年、二〇年、三〇年の耐久性のあるような丈夫なものでなければならないわけです。そのために構造や仕上方法等に一定の基準を設けているのです。
(『あなたの住い』1950)

この「一定の基準」というのが「住宅金融公庫融資住宅建設審査基準」。「住宅金融公庫業務方法書(昭和二十五年住宅金融公庫規程第二号)」の第四章「住宅の建設基準」には次のようにあります。

第二十一条 公庫の貸付金により建設又は購入される住宅は、保安、衛生、耐久上必要な規模、規格設備、構造及び建ぺい率を備え、且つ、良好な居住性を有しなければならない。
(住宅金融公庫業務方法書、昭和二十五年住宅金融公庫規程第二号)

この第二十一条以降、第三十九条までもろもろの基準が記されるのですが、それをより具体的に定めたのが「住宅金融公庫融資住宅建設審査基準」。その基準構成は以下のとおり。

住宅金融公庫融資住宅建設審査基準
第一章 総則
 基準/定義/木造住宅/貸家住宅/共同住宅/住宅の床面積/共同施設/防火地区内の住宅/特殊の構造の住宅/一団地住宅/建売住宅
第二章 一般基準
 敷地/建物
第三章 木造住宅基準
 敷地/建物
第四章 簡易耐火構造住宅及び耐火構造住宅基準
 敷地/建物
第五章 耐火構造共同住宅基準
 建物

上記のような基準構成に基づいて融資に値する住宅像が示されています。まずもって「市街地建築物法その他建築関連法令に適合する」ことが求められたのはもちろん、建築基準法では規定のない床面積や室構成について指定したり、「主な居室は、なるべく南面し、かつ冬季に2時間以上の日照があるように」求めたり、安全性、性能、衛生、地域性などに広く目配せし、基準法を上回る要求がなされているのでした(*1)。


公庫住宅の質保証=工事共通仕様書とは

「住宅金融公庫融資住宅設計審査申請書」には都道府県知事宛に「下記のとおり設計審査を申請いたします」と前書きして、申請者住所・氏名、金融機関名、建築の場所・構造等・規模等のほか、建設費、工期なども記入します。

この申請書に設計図書が続きます。設計審査に必要な図面として、木造住宅の場合は、附近見取図(位置図)、建物配置図、各階平面図・立面図のほか小屋・床・基礎などの伏図、矩計図が求められていました。

簡易耐火構造住宅になると、さらに各部詳細図、構造詳細図が追加され、さらに耐火構造住宅だと、断面図、電気配線図、給排水配管図も追加されました。

住宅金融公庫発足後しばらくは、一般庶民がこうした図面一式をそろえるためのインフラが不十分だったことから、公庫が標準設計と呼ばれるおすすめプランを『住宅平面図集』として提供し、ご所望の設計図一式を購入することができるシステムがありました(図1)。

図1 住宅金融公庫の平面図集

設計図面のあとには住宅金融公庫建設指導部監修による「住宅金融公庫融資住宅木造住宅工事共通仕様書(設計審査申請書・昭和51年度版)」も添付されています(図2)。実家は木造住宅ですが、そのほか「枠組壁工法住宅工事仕様書」、「鉄筋コンクリート造等住宅工事仕様書」も用意されています。

図2 住宅金融公庫の共通仕様書

こうした仕様書は「戦後のわが国の住宅性能向上を促進した設計施工書」であるとして、『日本の近代・現代を支えた建築:建築技術100選』(日本建築技術センター、2019)にも収録されています。

この本のなかで元・住宅金融公庫建設サービス部長だった水谷達郎は公庫発足当初の仕様書について次のように紹介しています。

当時にしては新たな仕様であったため、当初、大工・工務店では公庫融資住宅の仕事を避ける傾向になり、工事費も割高なものとなった。しかし、その後の旺盛な住宅需要や新たな材料・職種が充足するにつれ、在来木造住宅が公庫仕様に収斂していった。(中略)さらに融資において提出が必要とされた請負契約の附属図書として仕様書の添付が義務付けられたことにより、契約内容の明確化やトラブルの防止にも寄与することとなった。
(水谷達郎「戦後のわが国の住宅性能向上を促進した設計施工書」2019)

住宅金融公庫の共通仕様書は「木造住宅の大半を供給している大工・工務店の技術規範として、住宅性能向上の実用書として」機能してきたのでした。そんな技術規範として公庫仕様書は、水谷も指摘するように、時代によって改訂されていった仕様書は、性能向上の歴史をいまに語る資料として有効です。下記のホームページで昭和26年から昭和63年までのものをPDFで閲覧可能で、それこそどんな項目・内容が加除されていったのかを追うだけでも、いろいろ発見があります。

この仕様書は書き込み式になっていて、主要な仕上げ材料等がカバーされているほか、各種仕様が細かに記載されています。その項目は以下のとおり。

住宅金融公庫融資住宅 木造住宅工事共通仕様書
Ⅰ 工事概要

 建築場所
 工事種目
  1.木造二階建日本瓦葺住宅、床面積 1階・2階・計
  2.電気設備
  3.給排水設備
  4.ガス設備
  5.衛生設備
 別途工事
Ⅱ 内外部仕上表及び附帯設備表
 1.外部仕上表
  基礎、外壁、屋根、軒樋、ひさし、とい、塗装(木部・鉄部)
 2.内部仕上表
  室名、床、幅木、腰、壁、天井、摘要
 3.附帯設備表
  室名、電灯、スイッチ、コンセント、水栓、ガス栓
Ⅲ 仕様書
 1.一般事項
 2.土工事及び基礎工事
 3.木工事
 4.屋根・とい工事
 5.左官工事
 6.建具工事
 7.塗装工事
 8.内装工事
 9.電気工事
 10.給排水・ガス及び衛生設備工事
 11.雑工事

こうした各種書類の記載内容をクリアすれば、自ずと「住宅金融公庫融資住宅建設審査基準」が満たされます。


全国津々浦々での健康で文化的な生活

公庫による住宅基準・性能の下支えは、1941年の「住宅及び敷地設計基準」(厚生省)以来たびたび作成されてきた住宅基準が、ようやく実効性・恒久性あるものとして確立されたのでした。住宅の質を保証する確かな仕組みがここに出来あがったのです。

戦時から戦後復興期にかけての主な住宅基準
1941 庶民住宅の技術的研究(建築学会住宅問題委員会)
1941 住宅及び敷地設計基準(厚生省住宅規格協議会)
1941 住宅設計基準(案)(住宅営団研究部)
1943 臨時日本標準規格:居住用建物(政府)
1946 復興住宅建設基準(戦災復興院)
1947 昭和二十二年度住宅基準(建設院)
1948 昭和二十三年度住宅基準(建設省)
1950 融資住宅建設審査基準(住宅金融公庫)

それは言い換えると、三重県のど田舎においてもなお、住宅基準の網をかけられる仕組みが作られたということ。
 
ただ、住宅新築に際して公庫利用が王道になっていく過程で、縛りの強い共通仕様が、結果として日本の住宅の地方性を駆逐したという指摘もやはりあります。さきほど紹介した水谷達郎の文章にも出てきたように「旺盛な住宅需要や新たな材料・職種が充足するにつれ、在来木造住宅が公庫仕様に収斂していった」のです。「新たな材料・職種」が公庫仕様を満たすハードルを下げ、そして「在来木造住宅」の姿を固定化したわけです。

たしかに、「公庫融資住宅」としての実家は、各部いかにもな造りで新建材が用いられた、戦後日本の「普通の家」になっています。外部仕上表に記入された外壁「竪羽目板張り」も軒天「耐水合板」も「エンビ」の樋もザ・新建材。内部仕上もまた同様です。それは、あの『地球家族』にでてくるウキタさん一家の家にそっくり(図3)。

図3 ウキタさん一家(『地球家族』より)

「健康で文化的な生活を営むに足る住宅」が強く求められた時代に住宅金融公庫は生まれました。公庫融資によって戦後、約二千万戸におよぶ住宅が建設されたといいます。中程度以上の水準をクリアした住宅が、全国津々浦々に建つための仕組みは、それが結果として招いたマイナス面を補ってあまりあります。そんな公庫のあゆみを踏まえて、これからの「健康で文化的な生活を営むに足る住宅」を構想しなおす時期にきています。

今回のお宝発見。ほぼ自分と同じ年月を生きてきた実家は、自分にとっては当たり前すぎる住まいになっていましたが、「戦後日本の普通の住まいを体現する『公庫住宅』」という角度からあらためて観察する不思議な機会となりました。



1)「設立時の公庫の建設審査基準と建築基準法との比較」と題した表が『資料でみる日本の住宅問題:住宅金融公庫30年史資料編』(住宅金融公庫、1980年)としてまとめられています。建築基準法は、日本国憲法の第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を踏まえ、社会の秩序を保つために自由に建築を行う私人の権利を公権力が制限することを必要最小限に抑制する方針をとっているのだそう。

参考文献
建設省・住宅金融公庫監修『あなたの住い:公庫の借り方と家の建て方:標準設計三十五種』、大蔵財務協会、1950年
村川謙雄『公庫住宅の話:住宅金融公庫の手引き』、新建築社、1950年
落合豊吉『住宅:金融と建て方』、金融通信社出版部、1950年
P・メンツェル『地球家族:世界30か国のふつうの暮らし』(TOTO出版、1994年
図解住居学編集委員会編『住まいと社会:図解住居学4』、彰国社、2005年
砂原庸介『新築がお好きですか?:日本における住宅と政治』、ミネルヴァ書房、2018年
水谷達郎「戦後のわが国の住宅性能向上を促進した設計施工書」、日本の近代・現代を支えた建築-建築技術100選-委員会編『日本の近代・現代を支えた建築-建築技術100選-』日本建築センター、2019年

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