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旅とブンガク|城崎にて城の崎にて

城崎にて志賀直哉の「城の崎にて」を読んだらめちゃくちゃよかった。

城崎にて「城の崎にて」

正確にいうと、城崎に向かう特急「きのさき」の車内で読んだので、「城崎に向かう特急きのさきにて『城の崎にて』を読んだ」が正しい。しかも「城崎」「きのさき」「城の崎」と、3種のキノサキ盛り合わせだ。まあどうでもいいことだけど。

特急「きのさき」

サイコロの出た目が示す行き先に旅をする「サイコロきっぷ」
このサイコロをふったら、行き先が「餘部」そして「城崎温泉」になったのだ。

城崎は、「城の崎にて」の志賀直哉をはじめとする多くの文豪たちが湯治に訪れた「文学のまち」である。

これは、社会人大学生として文芸(小説)を学ぶわたしに、「もっと文学をまじめにおやりなさい、もっと小説を読みなさい」というメッセージなのだと思って、旅のおとも本は素直に志賀直哉の『小僧の神様|城の崎にて』に決まった。

ぜんぜん関係ないけど、わたしはとある旅のエッセイの受賞式で、ゲスト審査員の作家の下重暁子氏から、「まじめにおやんなさい」という言葉をいただいたことがある。おもしろおかしく書いた旅のエッセイでたまたまその賞を受賞したので、「もっとちゃんとした文章を書きなさい」というお叱りの言葉だと思ってちょっぴり凹んでいたのだが、友人に話したら「それって、ちゃんと文章を勉強してみなさい、っていう激励の言葉なんじゃないの?」と言われ、真相はわからないまでも、その言葉が頭のかたすみにずっと残っていて、いつかちゃんと文芸を学んでみたいと思っていたのだ。

だからきっとこの旅も、文学を学ぶ大学生となったいま、もういちどしっかり文豪の小説を読みなさいという啓示なのだろう。

城崎温泉駅のホーム

志賀直哉の「城の崎にて」はとても有名な短編作品なので、もちろん何回か読んだことはあるのだが、今回改めて読み返してみた。すごかった。

志賀直哉『城の崎にて』

その書き出しは衝撃的だ。

 山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。

「城の崎にて」志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』新潮社、昭和四十三年

その衝撃的な書き出しからはじまるたったの一文で読者を引き込み、そしてすべての状況説明をしている。

え、すごすぎるな。

主人公は、城崎温泉での散策中に生き物たちの生死に直面し、またその死に偶然加担してしまうことにもなる。主人公は生き物を通して、死の静けさや、恐怖、そして生き物の淋しさを感じとる。

生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。

「城の崎にて」志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』新潮社、昭和四十三年

この一文に、ズドンときた。

完全にわかる、とまではいかないけれど、ああもしかするとそんなこともあるだろうなと思った。若いころ読んだときはちっともそんなふうに思えなかった。まだ死が遠くて、生も死もリアルじゃなかったから。

でもあれからいろいろな体験を通して、感じかたが変わった。

子どもを産んで、生命力の爆弾のような子どもをみながら、なぜか死を強く感じたこと。いいしれない不安と恐怖。

出産授乳期にわたしが高熱を出し、受け入れてくれる病院が見つからずに「プチ臨死体験」をしたときに悟った、母体よりも子を生かそうとする生命の進化のプランのようなもの。

ここ2年ほどのあいだに社会で起きた出来事のなかで思ったこと。

昨年わたしに腫瘍が見つかって、3ヶ月におよぶ検査の結果、じぶんがまだもう少し生かされるのだとわかったときに感じたのは、「城の崎にて」のロード・クライヴの考えに近いものだったと思う。この主人公はそうは思えなかったようだが。

自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、ー中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励されることが書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

「城の崎にて」志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』新潮社、昭和四十三年

わたしは「まだやりたいことがあるし、しなきゃいけないことがあるし、伝えなきゃいけないことがある」と思った。だからこそ小説を書こうと思ったのだけど。

これがまた、もう少し年をとると、また変わってくるのかもしれないなと思った。そういう意味で、「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった」という言葉は、完全にわかりきったわけではないけれど、ああ、またきっとそれがわかる時もくるんだろうなと思えた。

自分の内面の変化によって、そのときどきで感じかたが変わる。それが名作と言われる文学作品のすごいところなのだと思う。

いやほんと。

この本に入っている他の短編、「佐々木の場合」と「好人物の夫婦」もよかった。こんな人物描写、感情の表現、身勝手で弱く臆病な、登場人物たち。ひえ〜、とんでもない。こんなことが文章でできるんだ。すご。

と、完全に打ちのめされたところで城崎に到着。


さて、ここからは、文学のまち「城崎」の本と文学にまつわるスポットをいくつか紹介したい。

城崎文学散歩 「城崎文芸館」

まず、城崎にはなんといっても文芸をテーマにした「城崎文芸館」というミュージアムがある。

常設展では、志賀直哉や彼と共に近代文学を担った白樺派の作家たちがどのように城崎の町や人と関わったのかを本や書簡を通じて紹介します。また、城崎ゆかりの文人たちにまつわる所蔵作品も多数展示しています。

城崎文芸館パンフレットより

今回、必ず行こうと思っていたのに、なんと16時半過ぎに行ったらもうしまっていた。みたら入館は16時半までだって…。そりゃそうだよね。ゆっくり温泉に浸かっていて間に合わなかった。文芸を学ぶ大学生にあるまじき行為。

城崎文芸館の句碑の前で

しかし、せっかくなので、2016年に訪れたときの写真を掲載しておこう。そう、以前に行ったことはあったのだが、「文芸を学ぶ大学生」として行ってみたかったのだよ。ううむ、残念。

城崎文芸館(2016)
城崎文芸館前のマンホール(2016)


城崎「本と温泉」

アーティストインレジデンスのように、「作家イン城崎温泉」で書かれた小説を、城崎では買うことができる。表紙や装丁がカニだったりタオルだったりしておもしろい。

湊かなえ『城崎へかえる』

温泉に浸かって読めるよう、表紙がタオルでつくってある万城目学の『城崎裁判』

万城目学『城崎裁判』

わたしは変なとことで真面目なので(?)前回の旅ではほんとうに温泉のなかでこの「城崎裁判」を読んだのだった。まあ、じっさいにそんなことをしている人は、前回も今回も誰ひとりとしていなかった。なんでなんだろう。せっかく表紙がタオルでつくってあるんだから、みんなやればいいのに。


短編喫茶 Un

城崎には「短編喫茶 Un」というかわいい喫茶店もあった。

コーヒーをいただきながら、店内で短編小説が読めるカフェ。わたしはすごく行きたかったのだけど、温泉めぐりと営業時間のタイミングが合わず、断念。

でも店内のショップで「短編小説 Un」のドリップコーヒーなど、かわいいお土産をいくつか購入。

本とコーヒーって、セットでしあわせ倍増だよね。

本のライト
階段も本



だいかい文庫

城崎温泉駅から二駅ほどの「豊岡」には、だいかい文庫という素敵な取り組みのシェア型図書館があった。

お店のお当番の方ともたくさん話せた。

「本にできること」と「ひとの居場所」を考えるうえでとても素敵なところで、この場所について書くとものすごく長くなりそうなので、これはまた改めて別の記事にしようと思う。

豊岡のシェア型図書館「だいかい文庫」

▼記事にしました


まとめ

本と文学と温泉を愛すひとにおすすめの町、城崎。

まだまだ「本」や「文学」にできることはたくさんあるなあと感じた旅だった。文学ってやっぱり、生きるためにある。


城崎にて、温泉に浸かりながら卒論(小説)しあげるっていうのもおもしろそうだな。「卒論書きに城崎行ってきます」って、そんなの大人の大学生にしか言えないことばだよね。

(ちょっと言ってみたかったりして)



城崎にて。




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ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!