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竹美映画評94 北朝鮮の「RRR」 『猛獣の狩人(맹수 사냥군)』(2001年、北朝鮮)

土曜日早朝(朝五時半ゴゴゴゴ)から研修を受けたり、土日にも少しだけ仕事を入れたりしたせいで疲労が溜まって来た年の瀬。

映画館には、2か月前に『エクソシスト 信じる者』を観に行って以来行ってない。インドにいるので当然試写会なんか行けるわけがなく、そもそも記事執筆のお声も全然かからないので、実質映画ライターとしては休止状態。

このことを日々痛々しく思っており、「今はインドでの生活の基盤を作ることや、そもそもここに慣れることが先だから、映画のことは今は後回しにしている」という虚構で自分を偽っている。

しかし、ありがたいインターネット時代の今、YouTubeで北朝鮮の映画を観られる(しかも自動字幕付き💛うれしい)。私は20年ちょっと前に中朝国境に行ったことがあるのだが、そこで北朝鮮映画のVCD(当時はね)を買い漁らなかったことを最近になって後悔していた。

また、あるときツイッター上で、「北朝鮮の子供向けスパイもの小説本が面白いらしい」という情報にも触れ、上記の後悔が大後悔に…。

という背景があったので、今回の映画『猛獣の狩人』を見つけたときは小躍りした。

何とロシア語字幕!私実はロシア語学習歴があるので、キリル文字は読めるw意味はほとんど分からんが、朝鮮語を聴きながら何となく分かった気になれたぞ!

あらすじ

日本統治下(あちらでは日帝時代と呼ぶ)、朝鮮総督府は、朝鮮人の精神的基盤を突き崩す目的で、朝鮮半島の中で風水の要となる場所に杭を打ち込んだ(後述)。韓国併合によって武装解除された朝鮮側の軍人だった主人公キム・ゴソクは、北部の山中に逃れ、息子(ジンソク、だったと思う)と娘(ジネ)と共に、狩りをしながら暮らしていた。年頃になったジネを嫁に活かせるために街に降りた三人だったが、ゴソクと因縁のある官憲に目を付けられ、召し取られる。ジネとジンソクを人質に取られたゴソクは、日本軍人たちに、朝鮮人にとって最も重要な風水的な意味のある山、白頭山までの案内をさせられる。途中でその旅程の目的が白頭山に日本の聖剣を刺すことであると知ったゴソクは、その策動を阻止するためジネ・ジンソクと協力し、剣を破壊しようとするが…。

反植民地映画の模範作

五分くらい観ていただければわかると思うが、俳優たちの顔のよさ(主演のみならず悪役たちも実に顔がいい)に見惚れてしまってすっかり高評価になってしまった。演技も上手いし編集も上手く、音楽も渋くてとても面白いのだ!!そう、反植民地映画や、赤色テロ映画は、敵が明確で話に感情移入しやすく、楽しいのだ!しかも、男女関係なく、戦う!男女同権が表出しやすいのだ。『ドリーム』から分かるように、戦時下でこそ、或いは仮想敵がいてこそ、男女平等や差別解消や社会進出や権利獲得が偶然前進するのだから。

たとえ敵が日本だったとしても、日本人であることを忘れて楽しめる。まさにプロパガンダの面目躍如!

そしてこれは、日本で大ヒットを記録したインド映画『RRR』の製作意図や描写、受け止め方と完全に重なっている。あれは、私も前にここで書いたと思うが、虚構の歴史なのである。SSラージャマウリのセンスが絶妙なのは、そこにコミック的な要素を入れて、何となく皆の意識が政治的な観点に行かないようになっているところだ。しかし北朝鮮ではそうはいかない

これはまた、そのまんま、韓国で作られる反植民地闘争映画にも重なっている。北朝鮮で撮られた映画だが、「これ70年代の韓国映画だよー」と言って、例の白頭山流れ星のシーンだけカットしたら、私なら騙されたと思う(むろん綴りや発音から北朝鮮ものだなと分かるのだが)。きっと、求道者たちなら、わかりにくいディテールから北朝鮮のものだと断定するだろうが。

そして、インドはと言えば、最近は戦争映画、スパイ映画が大盛り上がりで、その中に反植民地闘争ファンタジーのRRRが来たのだから、「社会の右傾化」を指摘するのも真っ当だと思う。同じ筆者が、スパイ陰謀もの『パターン』をこの観点から論じていないのが不思議ではあるが、誌面の関係であろう。その観点からもぜひ、筆者の言葉を読んでみたい。

陰謀論と超自然的信仰の邂逅

ところで、北朝鮮ウォッチャーの皆さんにおかれては、あらすじを読んだだけでもう何の話なのかピンと来たであろう。これは、日帝風水謀略説(と言うのだとWikiで調べた)に基づく一大歴史ファンタジーである。

日本が韓国併合時代に朝鮮半島で行った政策の中で、風水によって朝鮮民族の民族精気を奪おうとしていたとされる説

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B8%9D%E9%A2%A8%E6%B0%B4%E8%AC%80%E7%95%A5%E8%AA%AC

らしい。私も何となく覚えていた。

朝鮮半島では、お墓の作り方から食べ物のことまで、「気(기)」の流れを削がないようにと皆が熱心に実践している(小倉紀蔵『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』(講談社〈講談社現代新書〉(1998年!))等)

この「気」の流れを止めちゃえば、朝鮮人の集合意識から日本への抵抗心を削ぐことができる…風水をさほど信じていない日本人がそんなこと考えるわけがないので、完全に「考えすぎ」である。

面白いのが、この説はWikiでは韓国発祥らしいこと。思想が南から北に広がったのだとしたら面白い。多くは北から南に、学生運動参加者の学習を通じて浸透していったのだから。「やっぱり同じ民族なんだなあ…」と韓国朝鮮ファンは思うわけである。

しかし、北朝鮮だから、そこはもう一つ仕込んである。さあ、北朝鮮ウォッチャー喜びの瞬間ですよ、白頭山の上に流れ星が見えるのです(落ちたんだっけ?)!これはそこで金正日が誕生したことを意味しており、北朝鮮のスーパーナチュラルへの傾倒が「正史」になっていることが映画から確認できる(わくわく!)。

これを観たとき、「うわーインドとおんなじじゃん」と思った。インドにおいてはこれを数千年やった結果、きちんと体系化され、物語化された神々の様々なモチーフが映画の隅々まで行きわたっているに過ぎない。時間の問題なのだ。

日本では、インド映画は「インド人が見たらすぐわかるアレ」という、ヲタク心を直撃する文化コンテンツになった。仏典からインドらしさを吸収し(そして失敗し)て以来の結構大きな受容行為ではあるまいか(大げさ?)。カルチャーセンターが開かれ、テルグ語教室は大繁盛、関連書籍が売れているのだ。こんな売れないライターの私ですら、インド在住ライターとしてお仕事いただいたことがある(ハイダラーバードに行けて本当にうれしかった。テルグ語、今になって、今月就任したテランガーナ州知事がイケオジであるため毎日ニュースを観る中で学習再開)。

また、映画の中でのそのシーンの扱われ方のさりげなさが却って金正日の存在の大きさを感じさせる。本編には一切出て来ず、作中で彼の名前が言及されることはない。ゴソクたちの戦いにより、白頭山は守られ、そして日本は遂に降伏したのである!!その背後にすっくと立ちあがる白頭山(≒金正日)!アツい!!!これが宗教というものがしみ込んだ集合的精神の表出ではなかろうか。北朝鮮の場合は虚構なのだが。

スーパーナチュラルな存在への集合的な受容は、私の知る限り、日本、アメリカ、インド等でも現在進行形ではっきり確認できる。北朝鮮においてはそこに統治者の血族を置きたいがために、数十年間の思想教化を続けて来た。わずか数十年で人々にスーパーナチュラルな想像力を植え付けることはできないだろう。道のりは長い。

おまけ:맹수 사냥군という綴り

本作の製作年度は、韓国サイト「20世紀北韓芸術文化辞典」の下のページによっている。

※「<맹수 사냥꾼>(2001)」と書かれている。北朝鮮のデータで裏を取ったわけではないことは付言しておく。

さて、綴りを見ると、おや?と思うところがある。
北朝鮮の綴り:맹수 사냥

https://www.youtube.com/watch?v=lK1lAbjUJXw
より

韓国の綴り:맹수 사냥

これは、南北の表記法の違いによるものである。発音は同じ。
北の方は、形態素主義だったか、元の語の形を綴りに反映させる考え方である。韓国の方は、発音に忠実にする傾向があるので、「」ではなく「」となる。韓国の方は、上記画像の綴りを見ると、「」と発音する別の語「軍」と混同され、映画の内容から見ても「猛獣狩り軍」?と思う可能性も3%位はあるだろう(むろん「사냥꾼」は一つの単語(狩人)なので、ああ、綴りが違うんだなと分かる)。

韓国の資料なのでこのような綴りになるのだが、北の資料ならこの綴りにはならない。あー北の映画関連資料、1冊くらい日本で買って持ってくればよかったなぁ。想像もしなかった今があるね。これは何であっても。

だから、開店休業状態でも、皆が喜ばないことを書いていても、私はライターでいることを諦めないで続けなきゃ。自信を無くして、移住生活にくたびれ、心から笑うこともない毎日、彼氏を実質養って2人分の責任を背負うことの先に、何者かになる未来があるのか。そんなことを考えながら書いてみたら、意外と韓国朝鮮のことも復習できちゃった。

インド在住、韓国語もできる日本人、政治的には元パヨク、発達障害あり。誰か、書く仕事ください。心を入れ替えて、来月から映画館にも行って、新作について書いていくつもりです。

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