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芸術家の仕事について

一般人と芸術家との違い:表現を生業とすること

芸術家がその仕事をする上で最も大切なこと、これについて今回は記してみる。 人は誰もが表現をする。そうして他者と交流したり、自身の要求を伝達したりする。これは赤ん坊ですら例外でない。

さて、芸術家はこの誰でもする表現ということを、仕事としてする。表現を生業とするのだ。そこで、一般人と芸術家との違いはこの点に見出せるわけである。誰もがする表現であるから、表現はどの生業にも部分的に供していよう。しかし、芸術家の生業は、ほとんどが表現に専占されている。したがって、芸術家の表現とは、陳腐でもいけないし、俗世的でもいけない — 論者のなかには、芸術家という存在は、徹底的に万人受けすることが求められる存在である、とする論者もいようが。どの面においてもできる限り、その表現は高質で高尚な性質を帯びるものでなければならない。少なくとも私は、そう考える。

芸術家に課せられる”表現”とは

このとき、一体どのような表現が高質で高尚であるのかということが、緊要な論題として現出する。管見に拠るならば — 高質で高尚な表現とは正に,「パフォーマンスに実感が籠められた表現」である。邪心の入り込む間隙を作らないでできる、実感の籠ったパフォーマンスこそ、芸術家の仕事たる表現を真写した結果だ。このことに全力を傾注することが、芸術家において最も大切なことである。
 
では、ここでいう実感とは何だろうか。それはさまざまな出来事を受けて胸中に生まれる〈純真の想念〉であるが、その純真さが高ければ高いほど、パフォーマンスは人の心を打つ。できる限り高い純真さを以てするパフォーマンスに徹し、芸術家はその気品を一流に至らしむことができる。実感の籠ったパフォーマンスを現すには、種々の経験を積まねばならない。種々の経験は感受性を錬磨し、機微に敏感な心を育むのである。その先には,「人が感じる」ということがどういうことなのか、というある種の究極的問いが用意されている。

芸術家の”表現”における留意点

自身の心が動かされた、ある濃密な体験は、必ずどこかで表現の糧となる。そうした体験の蓄積が、芸術家を逞しく養育してくれる。              この点において、何よりも留意しておかなければならないことは、一つひとつの経験を詳細に亘って分析し、教訓化するということである。これは経験を経る度に — どのような経験であっても、逐一行わなければならない。分析し教訓化するとは、すなわち(極々シンプルにいって)よく考えるということに他ならない。一流の気品を備えた芸術家は、経験を経る度にその本質を抽出し、経験を時々に一般化している。こういった、経験の分析と教訓化は、芸術家の仕事、すなわち「パフォーマンスに実感が籠められた表現」ということの有力な手段となるのである。

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