これから伸びる市場予想(2019年8月時点)

ここのところ時間が取れるので2019年8月時点で感じている伸びるであろう #アプリ #分野 についての未来予想図を思い描いておこうとおもいます。

・ **#クラファンアプリ**

実際のところ未知数に感じてますが #シェアエコノミー の発展形として #一般化 してほしい #アプリ分野 です。

実際に自分でやってみないとわからないので #polca で企画を立ち上げてみました。無料のうちに活用し

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言霊に気を付ける
掃除や断捨離をする
周りに親切にする…etc

こういう、行き詰ったときによく言われる
信仰やおまじないみたいなものって

たぶん、人智の1つとして
何らかの形ではその人の改善に結びついてるけど
言語化や一般化が追い付いてないんだと思う

page.19 抽象化/一般化

抽象化と一般化については、文脈によってニュアンスを察することが難しくないため、本書もあまり峻別していない。

しかし、次のような区別を考えると、この言葉たちが実践されてきたコンテクストによく整合するように思われる。すなわち、あるトークン a に言及する命題 A に対して、それぞれ

一般化:∀xA[a,x]
抽象化:∃xA[a,x]

といった定義をすることによる区別である。

(本項では、論理式

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芸術家の仕事について

一般人と芸術家との違い:表現を生業とすること

芸術家がその仕事をする上で最も大切なこと、これについて今回は記してみる。 人は誰もが表現をする。そうして他者と交流したり、自身の要求を伝達したりする。これは赤ん坊ですら例外でない。

さて、芸術家はこの誰でもする表現ということを、仕事としてする。表現を生業とするのだ。そこで、一般人と芸術家との違いはこの点に見出せるわけである。誰もがする表現であるから

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かけがえのないものを忘れる時、人は現実を見る視力を失う

人間関係や人間の内面を描く理論というのはあくまでも、自分の目の前にいる「その人」の心の動きを理解するための便利な道具にすぎないのであり、どんな理論もその枠内に当てはめる形で人を見ようとするや否や、もう目の前の「その人」を見えなくさせると思います。

 どこまでも一般化しえないものを孕むものだけが「かけがえのないもの」なのだと思いますし、固有名を持つことというのはかけがえのなさを有することだと思うの

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「エビデンス」に対する疑問?

ここ数年で「エビデンス」という言葉をランニングの世界でも聞くようになりました。エビデンスってどういう意味でしょう?どういう場面に必要でしょう?すべての事柄に必要??

ちょっと考察していきます。

そもそも「エビデンス」ってなんでしょう?

これを読むと、ランニングにおける「エビデンス」は現在の研究成果を考えるとここは「正しい」と思われる部分。

例えば「乳酸」や「栄養」や「回復理論」などなど。こ

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キャプテン〜ファシリテーター役は?〜

ブログを始めて1ヶ月、いろんな方からメッセージや声をいただくようになりました。ありがとうございます!今回は、

#キャプテン てどうしてるん?」

にお応えしたいと思います。

1.5.は私が。2.3.4.は、信頼するアシスタントコーチが真剣に考えました。

1.今年の状況
2.コーチミーティング
3.子どもたちに #訊く#しつもんメンタル のフレームを使って〜
4. #ファシリテ

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【連載】オトナの研究(第06回):自分の現場の問題が限定された工夫にとどまるか、社会に還元できる研究になるかの分岐点。

金曜日は「オトナの研究」のテーマで連載しています。フツウの大人が「研究」のようなことを始めると、オトナの人生は楽しく、意味のあるものになるかもしれません。そんなオトナの研究を始めるための連載です。

前回は、自分の現場の中で、問題だと感じているこの問題は、一体どういう問題なのかということを考え、観察していくことによって「What型の研究」を始めることができるということを書きました。

さて、このよ

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具体的な労働の抽象化と、具体的な労働人格の一般化。--労働の学校化について[9]--『脱学校的人間』第五章

個々の人間の従事する「仕事」とは「…けっして一般的抽象的なものではない…」(※1)とフロムは言う。
「…仕事はつねに具体的な仕事であり、特定の経済組織における特定の仕事である。…」(※2)
 しかし、むしろそのような「具体的で現実的な、個々の個別の仕事」が、「仕事として一般化されている」のである。言い換えれば、そのような具体的で現実的な、個々の個別の「特定の労働」が、「労働として一般化されている」

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誰にでも獲得できるものとして、個性は本質的に一般化されている。--労働の学校化について[1]--『脱学校的人間』第五章

できるだけ他人と同じようにしていながら、その「同じようなことの総体量」を、他人よりも多く所有することにおいてこそ、「だいたい同じような人間を基準とした、個々にあるちょっとの違い」として生じる「個性」なるものは、社会的に決定される。そして、そのような個性の「獲得の過程」とは、本質的に一般化されているものなのである。なぜならそれは、「だいたい同じような人間」を基準とする限り、「誰でもできることでなけれ

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