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配慮て何ですか?

近隣諸国条項という愚策

 皆さんは
   近隣諸国条項
というものをご存知だろうか。
 
 これは、文部省が定めた教科書検定の際に適用される規定で、その内容は
   近隣のアジア諸国との間の近現代
   の歴史的事象に鑑みて国際理解と
   国際協調の見地から必要な配慮が
   なされているか検討すること
というものである。
 もっと平たく言えば
   日本は先の大戦で近隣諸国に多大
   な迷惑をかけたのだから、教科書
   に日本の歴史や文化を書く時は、
   その点を配慮しなさい
というような意味で、この場合近隣諸国とは
   中国、韓国、北朝鮮
を指すらしい。

 この規定ができたのには、昭和56年度の教科書検定で、先の大戦での日本軍の中国での行動が「侵略」から「進出」に書き換えられたと新聞やテレビが報じたため中国や韓国から抗議を受けたことが背景にあるらしい。
 しかしその後この報道は誤報であったことが判明したにもかかわらず、メディアはそれを訂正報道した形跡もないまま、その規定だけは現在も生きているのである。
 そんな馬鹿なことがあるだろうか。

 そう言えば、最近考古学の世界では遺跡から発掘された物質を分析する技術が飛躍的に進歩しており、日本では縄文時代の頃から既に稲作が行われているということが明らかになったにもかかわらず、未だに教科書では
   稲作は、朝鮮半島を経由して中国
   からもたらされたもので、その後
   日本は狩猟文化であった縄文文化
   から稲作中心の弥生時代になった
と教えているらしいが、どうもこれも中・韓に対する配慮らしい。
 すなわち、稲作文化は中国が起源であり、それが韓国を経由して日本に伝わったものであるという学説がいまだに踏襲されているのだ。
 さしずめ
   日本人よ
   中・韓に感謝してお米をいただけ
ということか。
 なんのことはない、日本人自身が中華思想、つまり
   中国より遠くなるほど野蛮な国で
   文化文明も低い
という考えに毒されているのだ。
 ちなみに最近の考古学的見地では、中国で稲作が行われていたのは南部のほうだけで、その歴史も日本よりはるかにあとであり、朝鮮半島での稲作が行われたことに至ってはなんと先の大戦前に日本が統治した一時期だけらしい。

 いやはや教育の世界では科学的検証の結果よりも、近隣諸国に対する配慮が優先するものらしい。

 教育は、我が国の未来を託す子供たちになくてはならないものであるが、それに使われる教科書がこのような偏向した報道や教育行政により歪められているのである。

 おまけに終戦により日本を一時的に統治したGHGの愚策により、教育現場における神話の禁止もいまだに生きている。

 今のこどもたちは歴史から過去を学ぶ機会を奪われ、ただ単に受験勉強に必要な「知識」を植え込まれているようなものではないか。
 いい国作ろう鎌倉幕府
 (鎌倉幕府の開設を覚える語呂合わせらしいが)
などと年号を覚えることにどれほどの価値があるというのだろう。
 そんなものはクイズでしかないだろう。

 このような教育環境において、子供たちに
   自国の文化と歴史に誇りを
   持ちなさい
といっても無理だろう。

 ちなみに「配慮」とは「遠慮」とは若干異なる意味合いであるものの、いずれも
   他人の気持ちや状況を考慮
   して言動等に気を付ける
というもので、日本人の相手を思いやる心情から来ており、別名
   遠慮の文化
   思いやりの文化
などと言われるほど、我々は相手の心情に配慮した言動や行動をとる。

 ただしそれは相手が日本人か、日本のそのような精神文化を理解している外国人に対してのみ通用するものであって、そのことを理解しようともしない(いやあえて無視しているかもしれないが)国に対して考慮する必要は少しもないのではないだろうか。

 むしろ、文部省が「配慮」する近隣諸国は未だに
   反日教育
   我が国領海等への侵犯
   従軍慰安婦、徴用工問題
   ミサイル発射
など、我々の心情を一慮だにせず、あらゆる手段を駆使して恫喝を繰り返している国ばかりで、当然日本のように近隣諸国に配慮する教育等も一切行っていない。
 そのような国々に何を「配慮」する必要があるのだろう。

 確かに先の大戦で、近隣諸国とは不幸にも干戈を交える状態(それも中国だけである、韓国、北朝鮮は戦後できた国である)となった時期はあるが、それについてはもう何度も謝罪と補償等を繰り返してきた。
 そのことを配慮しているというのであれば、文部省は未来永劫配慮するつもりなのだろうか。

 欧米諸国は、つい最近までアジアやアフリカで植民地支配により苛烈な搾取のみを行っていたが、それに対して謝罪や補償を繰り返したり、配慮をしたりしているだろうか。
 そんな国はどこにもない。
 ただ日本だけが、「配慮」の文化をはき違えて、世界中からみても異質な教育行政を踏襲しているのだ。
 これでは、その犠牲になっている子供たちがかわいそうだ。
 自国の歴史と文化に誇りを持てない環境にある子供たちがかわいそうだ。

 また、国際法上の外交の基本的なルールとして
   相互主義
というものがある。
 これは
   自国が他国に対して有する権利・義務
   や利益・負担を、他国が自国に対して
   有するそれらと均衡がとれるようにす
   べきである
という考え方である。
 もっと簡単に言えば、要は
   相手国民と自国民との取扱い等
   を同じにすること
で、日本的に言えば「お互い様」という原理だ。  
 だから日本もこのルールにのっとり、近隣諸国が我が国のような他国に配慮した教育というものをしていないのだから、この規定を即座に廃止すればよいだけである。
 なにを日本だけが、近隣諸国にだけ配慮しなれけばならないのか。
 だから日本はなめられるである。
 自分で自分の首を絞めているようなものである。

 確かに外国人から見ると、日本人の配慮や遠慮という行為は、相手の本音を理解しがたいものかもしれない。
 ただこれは日本では礼儀作法といってもいい文化であり、その時々の状況を考慮してもっともふさわしい言葉を使ったり、立ち振る舞いをすることで相手を思いやろうとする心を具現化したものにほかならず、最近よく使われるようになった
   おもてなしの心
にも通じるものである。

 そして日本の礼儀作法の本質的なものを詰めていくと、最終的には
   全ての生きとし生けるものへの
   尊崇の念
という、八百万の神に対する信仰にも通じる精神分化に行きつく。

 このような素晴らしい日本の文化が世界に広がって行くことを望まないわけではないが、近隣諸国のように全ての国に通用するほど甘くはないのが現実である。

 日本は一刻も早く、近隣諸国条項などというような独りよがりの誤った「配慮」は捨てて、必要な時には相手と同じ土俵で正々堂々と論戦を展開してほしいものだ。
 そうしなければ、いつまで経っても「稲作文化」は中国様から押し頂いたありがたい文化のままだろう。

実は縄文時代から続く日本の稲作文化



   

 


 


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