目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(14)

<2017年12月>

 私の社会復帰を実現させる為に、足の曲げ伸ばしから始まるリハビリや検査などが連日立て続けに入れられた。それによる疲労の色も窺えた様で、わざわざ家族で見舞いに来てくれた友人などにも会わずに帰らせてしまった事もあった様だった。それでも妻は、そうした友人たちに自分や子供たちの事を気遣う励ましの言葉、私の復活を願う言葉を掛けてもらい、いくらか救われる想いを感じる事が出来ていた。

 因みに、私のこの時点での評価、初期リハビリ計画書に記されていた内容は、この様なものだった。

「日常生活自立度 C2」

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寝 た き り  ランクC
1 日中ベッド上で過ごし、排泄、食事、着替において介助を要する
1. 自力で寝返りをうつ
2. 自力では寝返りもうてない
出展:健康長寿ネット

 週末が来て、妻は久しぶりに子供たちを連れて会いに来てくれた。無論、この時の私は、具体的な日時はおろか、昼か夕かも認識出来ていた訳ではなかったので、自分自身の記憶で、”子供たちが会いに来た日”という感覚は持っていない。だが、妻の日記や保存されていた画像等の情報から、この時系列を整理する事が出来た。
 私には、当時5歳の息子とじきに3歳になる予定だった娘がいる。子供達は、新しい病院の目新しさで落ち着きが無く、ベッドの柵をよじ登ったり、部屋を出たり入ったりと、子供っぽいと言えば当然だが好き勝手に行動していた。私もそれを見て、子供たちが迷子になりはしないかと心配して、声を張って名前を呼んで注意した様な記憶がある。家族も、私が子供たちに対しては急に父親らしい姿を発揮してくれたと後に教えてくれた。ただ、子供達がオモチャのカタログを見せて、これは持ってるだ何だと語りかけて、以前の私なら全て知っていて当然の話題を振っても頼りなく頷くだけで、いまいち理解が出来ていない様だったそうだ。

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 また、この日には、長男が、保育園で製作した車を持って来てくれた。5歳の男の子なりに、自分の事を覚えているのかどうか良く分からない状態の父親に、愛車でドライブした思い出の記憶を取り戻して貰おうと作ったものだ。

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「大きい車に変えたんだよ。知ってる?」

 そう何度も繰り返す私の言葉からは、車を買い替えた事は覚えていても、その車で既に旅行に行っていた記憶までは、繋がっていない様だったと妻は感じたらしい。娘の製作した作り物のジュースについても、中に入っている紙が取れなくて娘が飲めないと、本気でジュースに見立てて丸められたカラフルな紙を取ろうとしていた。他にも「もう退院して良いって言われた」などと、間違っていても言い張る所が見られた様だ。

  私は私で、確かに母に対しても、何度も退院して良いと言われたなどと豪語した記憶はあるのだが、それは、ある日、”おめでとうございます”と言われた様な気がして、それを勝手に”退院”と脳内で解釈して思い込んで発言したものだったと思われる。その”おめでとうございますが、TVやラジオだったのか、何なのかはさっぱり分からない。とにかく私の頭の中は、早く退院しなければならない、すなわち治ってるという事にしてもらいたい、そうゆう気持ちで一杯だった。

 妻はこの私の様子を見て、将来の生活に対する不安に一層駆られてしまったという。そして、私の親友Kには自分の事も分かって貰えていない気がする事や、案の定、鼻の管を抜いてしまったのでミトンをされていた事、子供の世話や負担、苦労などの正直な気持ちを吐露していた。それに対して介護経験のあるKは、実に含蓄のある言葉で、こう妻を支えてくれていた。

 「今は調子の浮き沈みも多いと思います。思っていない事を口走ったり、伝えたい事を上手く言えなかったり、こちらも上手く理解してあげられなかったり。そうゆう事は介護の中ではよく有る事です。それを100%真正面から受け止めてしまうと、自分自身が辛くなってしまうので、初めは良い所だけ受け止めれば良いと思います。子供の事を一番に考える事は、ただ彼の側で付き添っているだけより彼の為にもなるし、彼自身も望んでいる事だと思います。大変でしょうが、自分の時間も大切にして、気分転換もしてください」(原文まま)

〜次章〜妄想

 



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