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【小説】 故に、爆ぜ散る 【ショートショート】

 暁まで、何があっても戸を開いてはいけない。
 その約束を神主としてから二時間後、雨は激しく降り始め、迷いなく吹く風が空に轟き始めた。
 暴力を伴う気象状態、つまり台風の夜だと云うのにも関わらず、先ほどから強く戸を叩く音が聞こえている。
 灯りを消した暗闇の中で、時折風に流されながらも私を呼ぶ声は途切れることなく続いている。

「父ちゃん、父ちゃん! 開けてよ」
「あなたー、あなたー。どうか、開けて下さいまし。帰りましたの」

 もう一時間ばかり、死んだ子供と妻の声が鼓膜にはっきり届いている。
 明瞭なその声はまるで生きている者の其れと何ら変わらず、現世に蘇ったかのような錯覚を覚える。
 しかし、二人が生きているはずがない。爆風を浴び、その千切れた手足を燃やした二人分の遺骨を納めたままの骨壺が、暗がりの奥に居座っているではないか。
 恥ずかしながら帰還した直後に、二人は既に壺に納まった状態になっていた。あまりに惨い対面に、神や仏に祈ることへの無力さを痛感した。
 しかし、魔物や悪魔の類だけはありありと、今も私に実感を伴った状態でその存在の在処を知らせ続けているのだ。

「父ちゃん、痛いよ、痛いよ。俺の左足が、ないよ」
「あなたー、あなたー。私の目を、返して下さいまし。こんな雨なのに両目がないので、ちっとも足元が見えないのです」

 言われていた通り、小さな蝋燭を茶碗の中に立て、火を灯す。
 橙の火は隙間風に揺らめいて、すぐにでも消えてしまいそうだ。
 その茶碗の中へ、賽子をふたつ、投げ込んでみる。

 カラカラと乾いた音を立て、五と三の目が出た。
 それからぴたり、と声が止んだ。
 祓いが成功したようで、後は雨風が収まるのを暁まで待てば良いだけとなった。

 頭の中に黒い靄が幕を張ってるかのように、私の意識は明瞭さを欠いている。
 疲れているのだ。あの懐かしくも悲しい声に触れ、心が疲弊してしまったのだ。
 押し入れの襖に背をもたれ、煙草に火を点けた。
 深く煙を吸い込んで、ゆっくりと吐く。

「父ちゃん!」

 背後の襖の中からその声が聞こえ、私は驚きの余り立ち上がった。

「父ちゃん! 壺を開けておくれよ」
「あなた、お願いです。壺を、開けて下さいまし」

 私は暗がりの奥を見つめ、蝋燭の灯りを微かに反射して照っている二つの骨壺に目を凝らしてみた。
 数秒迷った挙句、迷っていること自体が間違いなのだと気が付いて、畳の上に座り込んだ。
 畳の目を数えながら、暁を待とうか考える。声は襖の中から、まだ聞こえ続けている。

「その声を聞いてはなりません。あなた、本当の私共はこちらですよ」

 新たに聞こえた妻の声を、狭い部屋の中で探る。何処だ?

「こちらです。どうか、開けて下さいまし。襖の中で訴えているのは、紛い物の私共なのですよ」
「父ちゃん、騙されちゃいけないよ。本物はこっちだよ!」

 あどけなさが抜け切る頃合いの子供の声も聞こえる。今頃は丁度、あれくらいの大きさになっているだろうという声だ。
 その声を探ると、暗がりの奥に佇む骨壺から発せられていることに気が付く。
 襖の中からは相変わらず痛い、苦しい、熱い、などと辛苦を訴える声が聞こえている。
 しかし、骨壺からも妻と、恐らく今の子供の声も聞こえている。
 風が強くなり、部屋の中でこだます声さえも時折掻き消されてしまう。
 再び生まれた迷いは雷のような速度で確信へと変わって行く。
 私は煙草を咥えたまま立ち上がり、一歩踏み出す。畳が沈み込む。

「父ちゃん、こっちが本物だよ」

 あぁ、そうだな。心の中で応答する。
 もう一歩を躊躇いながら、足が勝手に向いている。
 暗がりの奥に向いた目を、私は逸らすことが出来ずにいる。



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