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「5年後も、僕は生きています 51 なぜ生きる(最終話)」

51 なぜ生きる(最終話)


先日、こんな質問を頂きました。

「刀根さんは、なんのために生きているんですか?」


素晴らしい質問です。

僕は、こう答えました。

「いまここで、ということで感じる答えとしては…」


生きているから、生きている…

死ぬまで、生きているだけ…

そんな感じでしょうか…

なんのため、は、特にありません。


もうちょっと言葉を変えれば、宇宙に生かされている間は、生きている…かな?

あるいは、自分という「役割」が終わるまでは、生きている…

生きているというのは、「生かされている」、宇宙の役割として。


僕がここにいて、その「役割」を完遂するというか、終わるまでは宇宙が、僕を肉体として「生かして」いると思うので、その間は「生存」している、この肉体として。


そう答えました。

そう、いつ死ぬかなんて、それこそ「魂の計画」ですから、分かりません。

まさに「神のみぞ知る」です。


「ガンで死ぬことは、失敗」とおっしゃった方もいらっしゃいました。

ガンであろうとなかろうと、僕たちはいずれ「死に」ます。

「死」が失敗ならば、僕ら全員、失敗です。


だって僕たち人間、いえ、この世の生きとし生けるもの、全てが死にますから、すべてが失敗作なってしまいます。

そんなことはあり得ません。

宇宙は「完璧」なんです。


いいとか悪いとか、判断しているのは「エゴ」です。


「寂滅」という禅の言葉があります。

全ては完璧なタイミングで。完璧なことが起こっている、という意味です。

人間が自分の好みや判断どう考えようと、全ては「完璧」。


音もなく、香もなく、常に天地は書かざる経を繰り返しつつ
(二宮尊徳)

お月様から見たら、間違いは起こらぬ。
それを引き起こしているのは、おのれ自身だと知れ
(澤木興道)

晴れて良し、曇りても良し、富士の山
(山岡鉄舟)


宇宙は僕たち人間を、宇宙が「自分を体験する」ための“アバター”として創りました。

その舞台として、この3次元世界を創りました。

この世界は、舞台なのです。


僕たちは、宇宙の分身であることを「あえて忘れて」、この世界に「体験」するためにやってきた、宇宙のアバターなのです。

無数のアバターがいることで、無数の体験が出来て、そのデータが宇宙のライブラリーに蓄積されていくのです。

これが「宇宙の意思、宇宙の目的」です。

そして、その個々のストーリーが「魂の計画」なのです。



エゴを超えて、魂の声に従う。

エゴも大事です。

エゴはこの3次元世界を生き抜くためのサバイバル・プログラムです。

サバイバルプログラムなので、不安や恐れ、不足や比較に走ります。

エゴに捕られると、魂の声が聴こえなくなります。

エゴはそれを「超えていく」ために存在するのです。

愛を知るためには、愛でないものを「通り抜ける」という体験が必要なのです。

エゴは、そのためにあります。

エゴを超え、愛に到達する。



ほんとうの自分を、生きる。

この世界における、自分という「役割」を生きる、完遂する。

(責務=役割)


さきほども書きましたが、僕もいつ死ぬか分かりません。

ドクターたちは僕の「ガン再発」は当然との見方をされています。

でもそんなことは「神のみぞ、知る」です。


生かされている間は、生きる。

それも、上機嫌で。

愛と、感謝と、喜びの「アホ」で生きる。


これが今後の僕の目指すところです。


ま、肉体は滅びても、僕らは死にませんから、ご安心を。

だって僕らは、宇宙の分身なんですから(笑)。


ということで、「5年後も、僕は生きています」シリーズは、いったんここで終了とさせて頂きます。



第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。

肺ガンステージ4からの生還体験記です。
ベストセラーになりました。

新刊です。
「読んだら人生が激変する」とご紹介頂けるほど、ご推薦いただいて感謝しかありません。10分ほどの画像です。よろしければ見てくださいね。


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