見出し画像

論文紹介 1980年代の中東情勢と米軍の対ソ戦略に対するウォルツの考察

1979年9月1日、アメリカ上院外交委員会では中東地域に配備する新しい部隊として即応展開部隊(Rapid Deployment Force, RDF)を新編することが提案されました。それまでのアメリカ軍ではヨーロッパ地域や東アジア地域の態勢を充実させることが重視されてきましたが、この提案を踏まえて中東地域の態勢が見直されることになり、1980年3月1日に編成作業が完了しました。

当時のアメリカではベトナム戦争の記憶が鮮明であり、即応展開部隊を新たに配備する際にも議論が起きていました。政治学者のケネス・ウォルツ(Kenneth Waltz)は即応展開部隊の戦略的役割を限定することが重要であると主張しており、ソ連軍の侵攻を抑止し、世界経済におけるエネルギー供給網が攪乱されることを防ぐことに重点を置くべきだと論じていました。この記事では、ウォルツが冷戦時代のアメリカ軍の中東戦略を分析した成果をまとめた論稿を紹介してみたいと思います。

Waltz, Kenneth N. (1981). A Strategy for the Rapid Deployment Force, International Security, Vol. 5, No. 4, pp. 49-73. https://doi.org/10.1162/isec.5.4.49

ウォルツは、国際政治学の分野で構造的リアリズムを提唱した研究者として知られていますが、軍事戦略にも関心を持っており、アメリカ軍が即応展開部隊を中東地域に配備することも肯定的に受け止めていました。ただし、即応展開部隊の構想は十分に検討がなされていないことを問題として指摘しています。アメリカ軍の計画によれば、陸軍の師団3個、海兵隊の師団3個、レンジャー大隊2個、特殊作戦部隊を主力とし、これに空母機動部隊や飛行隊、後方支援を目的とする事前集積船14隻も組み入れることで、1980年代までに部隊の態勢を完成させるという目標でした。ウォルツが懸念したのは、これだけの戦力を運用するための基礎となる戦略計画が曖昧であることでした。

「アメリカがベトナムで学んだ教訓は、海外に軍事的介入を実施すべきであるということでも、実施すべきでないということでもない。次の三つの条件が満たされなければ我々は軍事的介入を実施すべきではない、ということである。つまり、核心的な利益が危険に晒されていること、非軍事的手段では核心的利益を保全できないこと、そして武力使用によって我々の目的が達成できると期待できることである」

(Waltz 1981: 49)

ウォルツは、中東地域でソ連の活動が活発になっているからといって、それが無条件にアメリカの国益を脅かすものだと決めつけるべきではないと述べています(Ibid.: 50-51)。実際、アメリカ経済は中東地域で供給される原油に依存しているわけではなく、それがなければアメリカが立ち行かなくなるとは断定できません(Ibid.: 51)。しかし、中東地域、特に湾岸諸国については全世界で消費される原油の35%を生産しており、非共産圏に限定すれば、この数字が45%に跳ね上がるという見積があります(Ibid.: 52)。

つまり、中東地域でソ連が中東地域で軍事行動をとり、原油の生産が滞れば、アメリカは西側の同盟国、友好国を経済的な危機に直面させる恐れがあります(Ibid.: 53)。ウォルツは、このエネルギー安全保障の観点を基本にしてアメリカ軍の中東戦略を考えるべきであると論じており、「他国でも果たせる役割はさておき、アメリカは次の3種類の脅威に対処する準備を整えているべきである。それは原油の供給と輸出に大きな影響をもたらす石油輸出国機構加盟国に対する禁輸、地域の混乱に起因する原油の供給と輸出に対する攪乱、そして軍事的な攻撃と破壊工作である」と課題を説明しています(Ibid.)。

また、軍事的観点で見た場合、中東地域でアメリカにソ連に対して戦力で優位に立つことが難しいことも指摘されています。

「ソ連の主要な優位は以下の通りである。
・距離:ペルシア湾はアメリカから7,100マイルは離れているが、ソ連から1,100マイル程度しか離れていない。
・指向可能な戦力:アメリカは97,700名に上る陸軍と海兵隊の部隊を即応展開部隊に配当しており、そこには空挺師団1個を支援できる後方支援部隊と、海兵旅団3個を支援できる航空機、後方支援部隊が含まれている。ソ連はイラン北部の国境地帯に80,000名から90,000名の9個師団を配備し、さらにコーカサス、トランスコーカサス、トルクメニスタンの軍管区に、合わせて約200,000名からなる23個の機械化歩兵師団が航空支援を受けられる態勢で配備されている。アメリカは空挺師団1個、空中機動師団1個、合計で33,200名の部隊を有するが、ソ連は49,000名から成る空挺師団7個を保有している。
・時間:ウォルフォウィッツの報告書によれば、アメリカは30日でイランに20,000名の部隊を展開することができるが、ソ連は同じ時間でイランに100,000名以上の部隊を展開できるだろうと推計されている」

(Ibid.: 59)

これらの数値を比較すると、ペルシャ湾にソ連軍の部隊が進出し、アメリカ軍と交戦するような事態に至った場合、アメリカ軍が優位に立てる見込みはありません。ソ連軍に対してアメリカ軍の即応支援部隊が遅滞行動を行い、主力を現地に集中するまでの時間的猶予を確保すべきという見解があることもウォルツは取り上げていますが、より現実的な選択肢として抑止戦略を構築することを提案しています。つまり、即応支援部隊は実質的にソ連軍の侵攻に抵抗する部隊というよりも、攻撃を受けた場合にアメリカ軍は報復措置をとることをあらかじめ明確にしておき、それによってソ連に軍事行動を思いとどまらせるトリップワイヤーとして位置づけるのです。この抑止戦略を採用するのであれば、即応展開部隊がソ連軍の部隊と交戦させる運用には慎重になるべきであり、ソ連が実際に原油の供給を途絶させる行動をとるまでは動かさず、部隊を増強することも避けるべきだと主張しました(Ibid.: 67)。

中東地域の軍事情勢を考えた場合、アメリカ軍の即応展開部隊により大きな戦闘力を持たせなければ安心できないという見方もあるだろうとウォルツは予想しています。しかし、中東地域においてソ連軍が持つ数的な優位は明確である以上、それに対抗できるだけの十分な戦力を即応展開部隊に持たせることには限界があるというのがウォルツの基本的な考え方でした。アメリカ軍が考慮すべきは中東地域だけではありません。ヨーロッパ地域や東アジア地域でも戦力を維持する必要があります。このようなアメリカ軍の世界戦略の中で中東地域に配備する戦力は報復能力を発動させるためのトリップワイヤーと割り切るべきであるという見方がとられていたと思われます。

「トリップワイヤ―としての部隊に防衛を依存することは、人々を不安にさせる。より大規模な部隊があれば、我々はより安全であるという気分になるかもしれない。ここで強調したいポイントは、トリップワイヤーが非正規な方法でなければ突破することができないように、十分な規模の戦力を持っていなければならない、ということである。そして、これがアメリカに報復のための攻撃目標を与えることになり、それが抑止が機能する条件を確立するのである」

(Ibid.: 67)

論文で展開されている議論の内容それ自体も興味深いのですが、当時のアメリカを取り巻く軍事情勢を歴史的な視点で考える上でも面白い内容だと思います。ウォルツがこの論文を発表したとき、1979年のアフガニスタン侵攻を受けてアメリカとソ連の関係は著しく悪化していました。また、1973年の第四次中東戦争と1978年のイラン革命に端を発する石油危機によって、西側の経済状況が急激に悪化したことも強く考慮されており、ウォルツがエネルギー安全保障のためであれば、中東地域において武力を行使することは容認できると判断していたことも分かります。ただ、中東地域でアメリカ軍がソ連軍に対して通常戦力の規模で対抗することは困難であることも明らかであったため、最終的に核抑止力に依拠した態勢をとるべきであると提言していたことは、冷戦構造の中で中東がどのような位置を占めていたのかを考える上で参考になる見解だと思います。

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。