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戦略理論で接近阻止を分析した『接近阻止戦』の紹介

接近阻止(Anti-Access)とは特定の作戦地域に敵の部隊が進入することを阻止することをいいます。もともと長射程ミサイルの開発と配備を推進する中国の作戦を分析していたアメリカの専門家が普及させた軍事用語であり、2012年にアメリカ軍が発表した「統合作戦接近構想(Joint Operational Access Concept )」でも接近阻止が「ある作戦地区に敵部隊が進入することを防ぐことを意図し、通所は長射程の活動及び能力」として定義されるなど、注目されています。研究者のSam Tangrediは2013年に出版した『接近阻止戦(Anti-Access Warfare)』の中で接近阻止を戦略理論を使って分析しており、成功の条件が何かを探求しています。

Sam J. Tangredi. 2013. Anti-Access Warfare: Countering A2/AD Strategies. Annapolis: Naval Institute Press.

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ペルシア戦争における接近阻止の古典的事例

現代の接近阻止の議論で研究者や専門家が念頭に置くのは中国軍やロシア軍が長射程ミサイルを用いてアメリカ軍の進出を阻止する戦略ですが、著者は接近阻止の基本的な考え方は決して新しいものではないという立場をとっています。

彼の解釈によれば、ペルシア戦争(前499~449)は接近阻止の古典的な戦例であり、これは古代オリエント世界を統一したペルシア帝国とギリシア半島に数多く成立していたアテナイやスパルタなどの都市国家の連合体の戦争でした。前490年の戦役でペルシア軍がギリシアのアッティカ半島に地上部隊を上陸させましたが、ギリシア連合軍はマラトンの戦いでこれを撃退し、ペルシア軍は内陸部に侵攻することができませんでした。

戦争は前480年も続き、ペルシア軍は陸海軍の兵力からなる遠征軍を送り込んできました。テルモピュライの戦いでスパルタ軍は陸路を進むペルシア軍を隘路に誘致し、そこで激しい抵抗を繰り広げたとされています。ペルシア軍はスパルタ軍を撃滅し、アテナイを攻略しましたが、すでにアテナイ艦隊はサラミス島へ脱出した後でした。アテナイ艦隊を撃破するため、地上部隊を支援していたペルシア艦隊はサラミスで海戦を挑みましたが、逆に撃破されてしまい、アテナイを攻略したペルシア軍は海上連絡線を失いました。

翌479年のプラタイアの戦いで新たに送り込まれたギリシア連合軍にペルシア軍は敗れ、ギリシアから全面的に撤退することを余儀なくされています。著者は軍事力で大きく劣っていたギリシア諸国が、海上から支援を受けながら陸路を進むペルシア軍の後方連絡線を遮断、最終的に陸戦でも勝利を収めたことは戦略として高く評価できると述べています。

接近阻止を成功に導くための戦略的原則

もちろん、ペルシア戦争の戦例は接近阻止が古くから用いられてきた戦略であることを示す一つの例でしかありません。著者は多種多様な戦例を比較検討し、接近阻止を成功させるための原則が何かを特定しようとしています。

第3章で述べているように、著者は接近阻止は攻撃を加えてきた強者に対して弱者が防御のために採用する戦略であると捉えました。著者の見解では、接近阻止は長射程ミサイルのような特定の装備の使用に依存した戦略ではありません。その運用上の特徴は我が方に向かって前進してくる敵の戦闘力を低下させる環境を最大限に活用しようとすることであり、海上優勢や航空優勢を獲得すること、情報の争奪で優位に立つことで実行可能であると考えられています。さらに戦域の外部で敵が作戦を継続できなくなるような事態を引き起こすことも成功に欠かせないと論じられています。

著者が接近阻止の成功例としている戦例としては、英西戦争(1585~1604)の1588年戦役でイングランドに侵攻を図るスペイン艦隊がイギリス海峡でイングランド艦隊により撃破されたアルマダの海戦、第一次世界大戦(1914~1918)でオスマン帝国がガリポリ半島に上陸を図るイギリス軍を撃退したガリポリ戦役(1915~1916)、第二次世界大戦(1939~1945)でイギリス侵攻を図るドイツの接近を航空兵力によって食い止めたブリテンの戦い(1940~1941)があります。いずれも全般的な軍事力で比較すると劣勢である国家が遠距離から兵力を送り込もうとする敵の侵攻を防ぐことに成功しています。

著者の分析で興味深いのは接近阻止が失敗した戦例を取り扱う第5章です。ここでは第二次世界大戦でアメリカ軍にヨーロッパ大陸への侵攻を許してしまったドイツ軍の戦例、西太平洋で絶対国防圏を設定しながらアメリカ軍に次々と島嶼部を奪われた日本軍の戦例、そしてフォークランド紛争でフォークランド諸島を奪取したものの、イギリス軍に奪回されたアルゼンチン軍の戦例が取り上げられています。著者の研究は二次的分析に依拠しているため、特に目新しい史実が明らかにされているわけではありませんが、接近阻止を成功させる上で考慮すべき戦略的原則がいずれも守られていなかったことが指摘されています。

研究上の意義

著者が最終的に目指していることは、現代のアメリカの戦略を考える教訓を導き出すことなので、本書の後半は中国軍やロシア軍を想定したアメリカ軍の戦略の研究に割り当てられています。さまざまな分析が展開されているのですが、著者はどのような状況であれ、長射程ミサイルという単一種の装備の運用に焦点を合わせるべきではないと主張し、歴史上の事例と比較しながら、戦略を包括的に研究することが必要であることを読者に訴えています。

中国やロシアの長射程ミサイルを制圧し、その接近阻止能力を軍事的な意味で奪うことができたとしても、それで中国やロシアが戦争目的をあきらめるとは限りません。東アジアやヨーロッパの状況、そして何よりも敵国の意図によっては、アメリカ軍が地上戦を遂行し、島嶼部あるいは内陸部において決定的勝利を収めなければならないことも考えられるためです。

見出し画像:U.S. Department of Defense

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