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「ちがい」の問い方で、認識も影響される

「ちがい」を考えるときの問い方によって、その後の認識に影響が出るなぁと感じています。

「ちがいは何?」と問うと2つのテーマを重ならない別モノと捉える。一方で「ちがいはどこ?」と問うと2つのテーマの「重なっているところ」と「ちがうところ」が想像できる。

問い方ひとつで受け取る印象が変わってくる。だから一つの問いかけからどんな思考の制約が生まれているかに意識を向けたいのです。

まぁ、この「ちがい」に関する言葉の捉え方は、あくまでも僕の捉え方です。皆さんは違うかもしれませんね、異なる印象を持つかもしれません。

と、色んな問いかけが世の中にありますが、そのなかで「ちがい」をピックアップしてみたモノでした。でも、他の問いかけでも当たり前にこう言った現象が起こると感じています。

問いかけの言葉のチョイス一つで認識に制約が生まれる。しかも、その制約は「一人一人異なっているかもしれない」と考えることが大切なんだと思うのです。

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