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少年

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消滅する自我

消滅する自我

自分でも呆れるぐらいのポンコツ息子で御座いました。

母が亡くなる三年前に便りをもらっていまして、開封はしたものの、ろくっすぽ中身は読んではいなかったのですね。

母が岐阜を旅した報告でして、我々にとって岐阜はキーポイントになる場所だったのだと思います。

僕はオリンピックの年の暮れに岡崎で産まれすぐに浜松の外れに越して、物心着く前に岐阜へ越しました。浜松時代の僕は、暴走するエンジンのように泣き叫

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セキオ・イシカワの時代 溺れる者は藁をも掴む

セキオ・イシカワの時代 溺れる者は藁をも掴む

* 本編は、上記エントリーの続編です。



入学した普通科の公立高校は旧制中学の名残がかなりあり、重要文化財のような木造校舎の上階が一年の教室となる。正門に面する車寄せのある中央エントランスはまるで「日本の一番長い日」に出てくるような荘厳な佇まいだった。

担任はその後「ヨシコ」と呼ばれることになった現国の中年女性教師で、家庭が本業で教師はパートタイムじゃないかと思ったくらいで、遅刻魔で頻繁に

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セキオ・イシカワの時代

セキオ・イシカワの時代

ケンヤは覚えているかな。

高一の夏休みの最後に部活の仲間でキャンプに行ったことを。

夏休みもあと二三日で終わるというタイミングで、弓道部のショウメイから電話があった。部活の仲間でキャンプへ行こうと。

このタイミングでキャンプとかおかしくない?と思ったけど、別に断わる理由もないし、夏休みの終わりに遊びに行ってはいけないという決まりもない。

夏休みの部活は締め括りの地獄イベント「道場千本雑巾が

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バスのベンチシートからドイツ製スポーツカーへの道程

バスのベンチシートからドイツ製スポーツカーへの道程

インフルエンザの予防接種に行ってきた。

効果は疑問視しているのだけど、感染予防措置は最低限の社会的責任ということで。

個人内科に予約して行ったのだけどやはりかなり待たされて、でもそれはいい。問題は自分勝手で公共性のない患者たち。

会社員風だったり主婦や子供らの感冒患者とおぼしき人々はマスクをしているのだが、老人たちは素面のものばかり。感冒患者でなければいいのだが、と危惧していたの

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マイノリティーとしての矜持

マイノリティーとしての矜持

南の島から転校してきた東海地方の小学校は陰鬱に感じられて息が詰まりそうだった。

そこには明るい色というものが無かった。
木造瓦葺の校舎の光を反射しない暗い瓦の色。
水泳の授業。空挺部隊のようにみんな次々と飛び込んでいく。順番が来て意を決してプールに飛び込こむと、そこは暗緑色の世界だった。パニックで泳げなくなった。

クラスにKという女の子がいた。Kの顔は鮮明に覚えている。少女時代にしか存

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出発点

出発点

これは自伝ではない。自分自身の歴史を書くつもりは毛頭ない。改めて記憶の底から思い起こす必要の無い、忘れがたい印象を持つ出来事とその背景をランダムに書くつもりだ。

*1

道路の中洲のような電停で路面電車を待っていた。ポケットの中で握りしめた硬貨を何度も確かめる。幼い頃からの習慣だ。そんな時いつも思い出す。

 父親が転勤族で生まれた場所は記憶に無い。記憶に残っているのは三つ目に移り住んだ土地から

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南の島へ

南の島へ

 それまで住んでいた長屋の借家を出たあと、日数調整で数日間旅館暮らしをすることになる。気分は最悪だ。鵜飼で有名な川沿いの旅館は閑散としていて、その寂しさがよりいっそう絶望感を深めた。

 JALのDC-8で舞い降りた南の島。異次元へダイブするかのように、緊張しながら機外へ出ると熱風が頬を舐めた。空港から市街地へ向う道の景色は延々と基地が続き異様な雰囲気だ。

 仮の宿の旅館は港のほとり

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本土帰還

本土帰還

 今度は南の島から父親の実家へ。つまり仕事を辞めて故郷へ戻るという事だ。里帰りで何回か行った事はあったがあまり気乗りのしない街だった。父親は、このまま今の会社にいても先が無い事、ずっと南の島にいる羽目になるかもしれない事、また転勤族であるから子供の教育上良くない事を理由にした。正しい意見だ。ただ今現在を鑑みるに、それが正しい成果を出したかどうかについては甚だ疑問だ。僕には南の島の生活の

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