〈私たちだけの秘密〉を共有させてくれるから、料理はいい
皆さんは「寂しさ」を感じることはあるだろうか?
あるならどんな時?どういう風に感じる?どうやってその「寂しさ」を取り扱う?
ないならどうして?今までも感じなかった?それとも何か達観し終わったから?
この世には、「寂しさ」とは無縁だよ!って人もいるんだろう。
一時的に感じないだけって人もいるかもしれない。
一方で、私みたいにもう四六時中「寂しさ」と格闘してますという人もいるだろう(というか、一人くらいはいて欲しい)。
前にもこんなnoteを書いたことがある。
多分、私は「寂しさ」について、一生かけて考えていく羽目になるんだろうと思う。自分でも生粋のさみしがり屋だという自覚があるから。
そんな私も一応「寂しさ」を感じない時はちゃんとある。
「寂しさ」から目を背けようとして!とか、適当に”何か”で「寂しさ」を埋めようとするとかではなくて、ちゃんと「寂しさ」を感じない時間が。
それが、料理をしている時と、勉強に没頭している時(勉強に追われている時と言い換えてもいい)と、noteを書いている時。別に自慢げに書くことでもないけれど。
今日はその中でも料理の話をしたい。
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料理は下手の横好き。
別にものすごく自信があるわけでもないけど、一時期は作った料理をこまめに写真に撮って、専用のアカウントに載せてる時期もあった。(IG:@_taberu_です。もう一年くらい更新してないけど、気になってくださった方がいればよかったら)
料理の何が好きって、料理を作る時とそれを食べる時以外のことが料理中は完全にシャットアウトされること。
その時は、「あれに下味をつけている間に、これを切ってレンジにいれちゃて、その次はあれを作って、、、、」と頭の中で、色んな計算と色んな会話を同時にしている感覚が心地いい。
そして、それを一緒に食べてくれる人がいるとなおいい。
「あの人は、このくらいの薄さが好きだろうか?後で調整できるようにしよう」とか「あの人はこの食材が好きだから、多めに入れておこう」とか「最近は体調が優れないみたいだから、野菜をたくさん取れるようにしよう」とか、一人ならそこまで配慮しないことまで神経を尖らせる感覚が、嫌いじゃない。むしろ好きだ。だから、誰かと食べるご飯が好き。
そんなの外食した方が「いつも通り」の美味しさを味わえる。
でも、自炊故の不完全さを「一緒に食べる人」が埋めてくれて、さらに外食にはない温もりをその人が付与してくれる気がする。
私たちだけの空間と、私たちだけの時間と、私たちだけのおしゃべりと、私たちだけが味わえる料理って至福だ。
そんな〈私たちだけ〉の秘密の共有に思いを馳せながら料理を作るから、私にとって料理の時間は寂しくないわけだ。
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こないだ福岡で行ったPusisというお店。
(公式Instagramより)
ここは撮影店内や食事の撮影が禁止されていた。
そして、店内は10人入れるか否か。くらいの小さいお店で、ご夫婦らしいお二人が丁寧に料理の説明をしてれるお店だった。
そこは、普段なら自炊でしか得られない〈私たちだけ〉を提供してくれているようなお店だった。
ここなら一人で食事に来ても寂しくないな、なんて思った。
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こんな時、こんな雰囲気だからこそ、一緒にいて楽しいと思える人と食卓を囲む時間を大事にしたいし、そういう楽しみ方ができるのではないかと思う。
そして、〈私たちだけ〉の秘密の空間と時間とおしゃべりと血肉になるものを〈私たちだけ〉でひっそりと共有したい。