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【感想文】泥濘/梶井基次郎

『我がヒーロー・ミラーマン』

世の中にはウルトラマン、キン肉マン、イナズマン、スーパーマン、スパイダーマン、バットマン等々、数多くのヒーローが存在するが、私のイチオシはなんといっても「ミラーマン」である。ミラーマンは生まれた時からミラーマンだった訳ではない。普段は経済学者として世を忍んでいる。では、彼は何を発端としてミラーマンへと変身するのか?

それを説明するには梶井基次郎『泥濘でいねい』が必要不可欠である。

▼奎吉からシャドウマンへ:

本書『泥濘』の主人公である奎吉は、自身が書いた作品の出来の悪さにイライラしてその辺をウロウロしていると、月の光によって地面に映った自分の影に <<生なましい自分>> を見出した。つまり、「影にこそ我あり」と奎吉はシャドウマンを確信したといってよい。なぜかというと、作中冒頭から察するに奎吉はウダツの上がらない作家志望の男であり、友人に会っても <<自分はどこか変じゃないか?>>、 石鹸を買ったことですら <<彼ははっきりした買いたさを自分が感じていたのかどうか>> とこれもはや自分を見失っているからであり、要は、今ここに居る自分は自分ではないのでは?と喪失気味である。その結果、影を生なましい自分(=シャドウマン)などと偽り、このウダツの上がらない腐った生活を忘れんとしたのであろう。まさに悲劇の男である。

▼経済学者からミラーマンへ:

前述の通り、地面に映った影に本来の自分を見た奎吉はシャドウマンに変身した。これと同様、ミラーマンは手鏡に映った女性下着を覗いてミラーマンに変身した。これは女性下着を通して本来の自分、つまり「生なましい自分」を見たのであり――そして社会制裁を受けた後に残ったのは、経済学者という自分ではない、単なる「ミラーマン」という肩書だけである。
説明は終わった。
これ以上、一体何の説明が必要だというのか。
悲劇のヒーローであるミラーマン。彼も奎吉も泥濘と化した世間に嵌ってじっとしている。

といったことを考えながら、この感想文を同僚の女性社員数名に見せたところ、三ヶ月の謹慎処分が決まった。

以上

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