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【感想文】野火/大岡昇平【Slight Return】

『オートジャイ論』

本書『野火』読後の及公だいこう、愚にもつかぬ雑感、以下に編み出したり。

▼あらすじ:

第二次大戦末期、フィリピン防衛戦においてイモ数本を手渡され戦線離脱となった田村は飢餓に苦しみつつも偶然出会った餓死寸前の将校からオートジャイロに乗ってオレ達は帰国できるかも!という朗報グッドニュースを耳にするのだが──

▼読書感想文:

本書『野火』は『楢山節考』『流れる』と並ぶ戦後近代日本史上最高峰の文学だと私は一人で勝手に思ってる。[感想文・完]

▼余談 ~ 軍官民一体の精神と報道姿勢 ~:

本書には米軍だけでなく、米軍と結託した現地フィリピン人のゲリラが度々現れ、作中では第19章「塩」、第23章「雨」における現地人を田村および日本兵は異常に警戒している。このゲリラに通ずるであろう日本の「軍官民一体」という考え方があり、当時の沖縄戦に言及した新聞記事を元に説明する。

本書に描かれたレイテ島での戦いは1944年10月20日から始まったがその10日前、沖縄の那覇市は米軍により約90%が消失、翌1945年2月には米軍の沖縄侵攻作戦(アイスバーグ作戦)が発令され、3月26日に慶良間けらま諸島に上陸した米軍の侵攻を皮切りとする日米両軍の地上戦が終戦まで続くことになる。

この米軍の日本本土侵攻の対抗措置として政府は「義勇兵役法」を制定(23日交付)、既存の兵役法の範囲をさらに拡大し、つまり多くの国民を根こそぎ兵士として戦争に駆りだすというのだが、沖縄では前述の法的根拠がないまま既に適用されていたという。そして26日付の全国紙および地方紙を見ると、沖縄戦の事実上の敗北を報じつつも、「軍官民一体」の戦いによる戦果を称え国民の戦意をあおる報道がなされており、「皇士防衛」という軍部の方針に寄り添う報道姿勢も顕著だが軍民混在の戦場で生じた民間犠牲に関する報道はなぜか見受けられない。同日付、朝日新聞の社説では「皇軍精華の発揚」と題し「最後の血戦を続けつつある第一線将兵ならびにその背後の戦力として敢闘しつつある島田知事以下の非戦闘員の上に思いを馳するとき、おさうべからざる感動に胸奥の熱するを禁じえない」とあり、さらに同日の「読売報知」も「戦いはこれからだ 一億沖縄官民に続け」との見出しで、「島田県知事以下の全県民が終始敢闘、以て日本全土を守る国民の強靭なる戦闘力を敵に叩きつけたことを思えば内地を守る我々が沖縄県民に遅れをとるようなことがありえる筈がない」と本土決戦への決意を訴え、さらに29日、両紙は「沖縄戦の戦訓」と題し、安倍源基あべげんき内相による「沖縄における経験を生かして軍、官、民ともに各その肩書やかみしもを脱いで裸一貫の姿に立ちかえり日本人本来の忠誠心と敢闘精神をを余すことなく発揮し突破することが必要」と語る記事を掲載し、鉄血勤王隊や義勇隊を称えている。

以上、図書館の新聞資料室から当時の記事を読み漁ってみたのだが、精神論を強調して国民を鼓舞し実現しようとしていたこの軍官民一体を下手に適用すると、一億総ゲリラ化するのではないかという懸念がある。また、こうした精神論の本質・大儀を分からぬまま極限状態に追い込まれると、本書『野火』の田村のように神の名のもとに己の行為を正当化してみたり、オートジャイロ将校のように自身を仏だと称したりと、独善が浮き彫りであり、本書はフィクション作品でありながらもやけに現実に迫る内容だと私は思うのである。

といったことを考えながら、肝心のオートジャイ論に関して語るのをスッカリ忘れていたため、次回の読書感想文『黒い雨』と照らし合わせながらちゃんと説明することにする。

つづく

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