探偵小説の室内/柏木博

ひさしぶりに柏木博さんの本を読んだ。『デザインの20世紀』『モダンデザイン批判』『20世紀はどのようにデザインされたか』といったあたりを一気に読んだのはもう10年以上前のことかもしれない。「デザインとは何か?」ということを考える上で大いに参考になったことを覚えている。
家政学とアンクル・トムの話がつながって、それがバウハウスとT型フォードの話につながったり、テイラー・システムの職住分離の話につながったりするのを楽しく読んだあたりから、すでに分野横断型で文化史を読むことを当然と感じていたのだろう。そして、そうした文化史的変遷がデザインという行為と切っては切れないものだということを僕に教えてくれたのも柏木さんの本だった。
そんな柏木さんの本で好きだったのは、きっちり分けずに曖昧にしきる日本のデザインの特徴を論じた『「しきり」の文化論』だったのは、いま思うとちょっと象徴的に気さえする。

その柏木さんの本をひさしぶりに読んでみようと思ったのは、高山宏さんの本で柏木さんの名前が登場していたからだったが、あいにくどの本だったかは失念した。19世紀の探偵小説と結びついた室内崇拝を柏木博さんあたりがまとめてくらたら、といった主旨の言葉だったような記憶がある。それでamazonで調べてみると、この本『探偵小説の室内』が見つかった。とうぜん、すぐに購入した。

「19世紀ほど住むことにこだわった時代はない、と思想家のヴァルター・ベンヤミンは述べている」と柏木さんはいう。そして、『家具の哲学』というエドガー・アラン・ポーのエッセイについて「ベンヤミンも、このエッセイを、19世紀の室内趣味のはじまりを象徴するものとしている」とも書いている。

高山宏さんの本を読んでいるとわかるが、この室内化の流れはピューリタンの登場の頃から生じている。教会に集まるカトリックとは違い、ピューリタンは各々が聖書に向かう。そのための空間として個室は生まれる。個室にはテーブルが置かれるようになる。それに従い、ほとんど家具のなかった室内が家具に満たされるようになる。18世紀英国ロココの時代には、カンバセーション・ピースと呼ばれる、テーブルを囲んで家族が団欒したり、仲間が集まって乱痴気騒ぎをしたりする光景を描いた絵が盛んに生み出される。

それが19世紀のイギリス、ヴィクトリア朝の時代には、コレラなどの大流行も手伝って、外が嫌われ、室内崇拝がますます高まる。

まるで「質屋」のようにものを集めた過剰なブルジョワジーの室内。それは、19世紀、あるいはヴィクトリア朝時代の室内にみられる傾向であった。それは自らの痕跡や記憶を室内につなぎ止めておくためである。

自らの痕跡や記憶をつなぎ止めるための室内。そうであるがゆえに、そこは小説という個人を相手にするジャンル、特にその個人のアイデンティティや生命そのものが危険に晒されがちな探偵小説の舞台になる。

例えば、ポーのドッペルゲンガー小説『ウィリアム・ウイルソン』で主人公は自分そっくりのドッペルゲンガーに嫌悪を感じ、夜中に彼の眠る小さな寝室に出向く。
ところが、ウイルソンは眠る男の顔をみて恐ろしさを感じてしまう。

箱のように狭い寝室に眠るドッペルゲンガーのウイルソンは、自分とはまったく似ても似つかない顔を持った他人であった。そのことに主人公のウイルソンは、底なしの恐怖を味わうのである。フロイトが分析するようにドッペルゲンガーが「自我の消滅に対する保証」として幻視されるのであれば、主人公のウイルソンは、箱のような寝室に眠る自分とは似てもにつかない男によって「自我の消滅」の恐怖を感じたということになる。

ドッペルゲンガー」という名のnoteにも書いたとおり、この時代、ドッペルゲンガーをみる人が増える。フロイトもそれを見た一人だ。

このタイプのドッペルゲンガーが登場するよく知られている物語には、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』がある。この物語が書かれたのは、1886年であり、ポオの『ウイリアム・ウイルソン』は、それより50年ほど前になる1839年のことだ。1886年は、神経病理学あるいは精神分析学のジークムント・フロイトがウイーンから離れてからパリに行き、女性ヒステリー患者を扱っていた病院サルペトリエールの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーに師事した年でもある。もちろん、それは偶然であるけれど、19世紀をとおしてどうやらドッペルゲンガー現象に人々の目が向けられたように思う。

自我の消滅に対抗する手段としてのドッペルゲンガー。それが小説に書かれた時代、室内もまた自我をあらわすものであり、同時に、その貧困さも示すものだった。

いや、室内と自我の関係は19世紀の小説のなかだけの話しではない。
つげ義春の『退屈な部屋』で、何もない部屋に住む主人公、小川も同じだ。

所在なげな小川は、もうひとりの自分とは異なった確たる人格をもっていないようにみえる。少なくともそのように描かれている。というのも、この室内には、備え付けの寝床用の畳と小さな机しかない。それらは、小川の意志によって置かれたものではない。小川の持ち物は、数冊の本漫画雑誌と灰皿だけだ。室内は、ほとんど空虚な空間にすぎない。室内がそこに住まう人物の内面にかかわっているとすれば(実際かかわっているのだが)、その空虚さは、小川の人格の希薄さを映しだしているようにみえる。小川は自ら望んで空虚な人格のままでいようとしていたのかもしれない。

小川は積極的に自我から解放されようとして小さな部屋を妻にないしょに借りる。何も置かないことで、漫画家としての普段の生活から解放される。
しかし、その部屋が妻に見つかると、妻は自我から解放されるための何もない部屋に、いろいろ物を置き始め、部屋らしい部屋、つまり自我がはびこりやすい部屋に変えてしまう。

反対に主人公が、部屋の中の自我や家族の記憶、そして、その部屋のある家そのものを消失しているのが、水村美苗の『私小説』の「わたし」である。

この小説全体に漂う「私」の喪失感は、いえそしてその室内、そこにため込まれたトラック3台分のものが廃棄され、おそらく緊急避難的に倉庫に入れられたトラック2台のものが目の前から喪失してしまったことと無縁ではないだろう。家という最小限の単位が成立しているかぎりは、家族の人間それぞれは、自ら何者であるかを表明することもなく、したがってアイデンティティは意識することもなしに保たれている。家、室内そしてものが消え去ってしまえば、家族の繋がりも希薄なものとなり、それまで意識することもなく保たれていた自身のアイデンティティもまた、あやふやなものと思われるようになる。

日本からアメリカに来て暮らしていた家族。しかし、両親は離婚し、母親は日本に帰国。父親の方は病気になって病院へ。それでアメリカに来て家族で過ごした家族をつなぐ家は失われる。同時に、主人公は異国の地で、自我の危機にも遭遇している。

あるいは、ポール・オースターの『シティ・オヴ・グラス』。主人公はひょんなことから関わった偽の探偵ごっこがこじれて、しばらく監視の日々を続けるうち、浮浪者のような姿になってしまう。自我を取り戻そうと、何日も経ったアパートに帰るが、そこは家賃の延滞などもあって他の人が住む部屋になっていた。

クィンの部屋は、新しい住み手である女性の家具や衣類で埋まっていた。「室内」(インテリア)は、その居住者のよう内面や精神を映しだしている。それは、居住者が時間をかけて少しずつ馴染ませていくものだ。浮浪者のオースターとして、すでに充分なほどにアイデンティティを喪失したクィンが、自身のアパートに戻ろうとしたのは、室内が、自身のアイデンティティを回復させてくれるとどこかで感じたからではなかったか。しかし、その自己のインテリアは、すでに崩壊していたのである。

さらにはシュリンクの『朗読者』で描かれる、自身が文盲であることをひたすら隠して生きる女性。文字を書き読むことができない、記録とは無縁な生き方は、自身が暮らす部屋にも痕跡を残せない。

文盲であるということは、結局、自分の歴史つまり記憶と記録が不在あるいは消失していくということを意味する。自己の歴史の記憶や記録をもたないハンナは、貧しさもあるだろうが、家具付きの狭いアパートで暮らしていた。家具や室内は、文字ではないが、それはそこに暮らす人の自己表出であり、また痕跡であり記憶の手がかりとなるものである。

探偵小説が生まれた19世紀は室内崇拝の時代というだけでなく、精神分析が産声を上げた精神の危機の時代でもあった。個室で聖書に向き合うことで神とみずからの関係のうちに自己をその場に確立していた人々は、もはや神の気配よりも雑多な家具やいろんなものに囲まれるなかで自我という自分の内面(インテリア)と向き合う。

そうしたインテリアが時にどれほど脆いものかは、柏木さんがこの本で紹介してくれる小説たちが教えてくれる。あらためて部屋とはなんともメディア論的なものだと思う。そんな文化史的な変遷ともいえる19世紀から20世紀後半にかけての流れを、すらすら読み進めながらおえる1冊。文化史やメディア論の入門編としていい。

現在、シェアハウスなどの登場で、室内=自我のあり方は変わってきているだろう。物理的な個室だけではなく、いまは手のひらのなかにタッチ式の個室もある。文化とともに、自我の置き場所も変化する。
こうしたことにデザイン評論、デザイン史を仕事にしている柏木博さんが向き合っていることに共感を感じる。こう書いてしまうのははなはだおこがましいけれど。

さて、みなさんは、柏木さんのようなこうした広い視点をもって、デザインに向き合うことができているだろうか?

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Hiroki Tanahashi

ビブリオテーク

読んだ本について紹介。紹介するのは、他の人があまり読んでいない本ばかりかと。
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