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大切な小説

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私が大切に書いてきた小説をまとめています。 どうか読んで見てください。
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記事一覧

マリアージュ 

マリアージュ 

 風か冷たい。

 真冬。
 耳が頬が痛むほと冷たい風が笛のような高い音を立てて吹いている。

 暗い道を歩いて家に向かう途中にある飲料の自動販売機が煌々と明るい光を放っている。
 凍えながら歩いていた私はなぜだかそれに強く惹きつけられてしまい気がつくとその前に立っていた。

 何種類もの飲料のサンプルが並んでいて購入するためのボタンがその下で光っている。
 見慣れた種類の飲み物のペットボトルや缶

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再び風の中(エピローグ)

再び風の中(エピローグ)

もう一度この場所に来た。

風はいつでも吹いていて、木々は揺れ、草原もさわさわと揺れている。

頬に感じる優しい風は少しだけ甘い草の香りを含んでいて爽やかで心を優しくさせてくれる。

ここに来るのはいつぶりだろう?

もう随分長い間ここにいる。

今度ここで暮らす誰かと入れ替わるまでここは僕だけの世界だ。

風がここに来いっていうから今日はここにやって来た。

だからここで誰かが来るのを待っている

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鏡の向こう側のあなた

鏡の向こう側のあなた

鏡の向こうにあの人を見つけたのがいつだったのかもうわからなくなっている。

毎日会っているはずなのに心が通っているのかいないのかわからないあの人。

鏡の中のあの人は私が出会った頃のままのあの人なのだった。

今はもう会うことのないずっとずっと前のあの人。

私の主人。

でももう今はいない人。

いるけれどいない人。

消えてしまった人。

優しくて繊細でちょっと頼りなかったあの人が年月とともに

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つる草のように

つる草のように

ここにいて毎日詩を編むようになったのはもう随分前のことのようにも思うし、つい数日前のような気もしてしまうのだ。

この場所には毎日ほとんど変化というものがない。

そして穏やかに静かにただ時間が過ぎてゆく。

毎日毎日詩を編んでいる。
毎日毎日変わらずに。

こんな暮らしがあるなんて知らずにずっと生きていた。

こうしてここにいることは僕の望んでいたことなのだ。
たぶん、きっと。

風が吹き抜けて

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風の中(プロローグ)

風の中(プロローグ)

「迎えに来たよ!」
「え?」

僕は初めて出会ったその子に手を引かれていきなり走り出すことになってしまった。

ほんとにいきなりでいきなりすぎてどうしようもなくて一緒に走るしかなかった。

ビュンビュンと風が吹く河川敷の横の道を僕はその子にぎゅっと手を握られてすごい速さで走ることになってしまった。

「ねぇちょっと待ってよ!」
はぁはぁと息を吐きながら僕はその子に向かって言った。

その子はそんな

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青切りのみかんの季節

青切りのみかんの季節

「おかあさん、大丈夫?」
太郎が心配そうな顔で私に聞く。

このところかなり苦しい日々が続いていた。

お腹はそんなに大きくなっていないけど気持ちの悪さはひどくなるばかりで普通の生活ができない。

つわりというものがこんなにつらいものだとは実際に経験してみるまで知らなかった。

太郎の時はこんなことはなかったのにどうして今回これほどむごいことになってしまったのか私にはわからない。

起き上がること

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木枯らしが吹いていた

木枯らしが吹いていた

「ありがとうございます」

「いいえ、こんなことしかできなくてごめんね」

「いや、本当に助かります、申し訳ないです」

保育園の帰りに太郎と一緒に近所の八百屋に寄るのが習慣になっていた。

何かしら果物と、足りなくなった野菜を買って帰って夕飯を作る。

昨日から寝られずに疲れが取れずにぼんやりとしていた。

顔色が悪いと父に心配されたけど、保育園のお迎えと八百屋での買い物はしないわけにはいかない

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今だけの永遠

今だけの永遠

「お母さん、あかちゃん元気かな?」

「元気だと思うよ」

私の大きなおなかに耳をあてて、太郎は目を閉じている。

さらさらとした髪の毛からシャンプーの香りがしている。

青いパジャマを着せられて布団に入れと言われているのに私のそばから離れない。

もうじき出産する予定なのだけれど、まだその兆候は出ていない。

静かな夜のこんな時間が今あるということを、ほんの少し前までは考えもできなくて。

つわ

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しずかに暮れていく夕べ(マラソン17日目)

しずかに暮れていく夕べ(マラソン17日目)

「おばあちゃん、どうしてお手々もお顔もしわしわなの?」
花子の言葉にどきんとする.

花子にとってのひいばあちゃんのみつさんはにっこりと笑ってこう言った。
「ふふふ、そうねぇ、ばあちゃんねいろんなことがあった時気をもみすぎちゃったの。だからねこんななっちゃったのかな?
花ちゃんは気をもまないようにして歳をとってね」

「きをもむって?」
花子はよくわからないようで、きょとんとしている。

まだ歩き

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陽だまりのような人

陽だまりのような人

みつさんが亡くなった。
そのことでこんなに心が揺れてしまうなんて考えもしなかった。

私にとっては本当に大きな存在だったんだ。

若い頃や子どもの頃は大人の人はつよくて大きくてゆるぎないもののように考えていたけれど、実際に自分が大人になってみると、自分とはなんと心許ないものなのだろうと思うことばかりなのだった。

小さな子どもを持ってからその気持ちはどんどん膨らんでいくばかりで心配や不安な気持ちば

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熱いお茶

熱いお茶

うたたねをしてしまった。
このところずっと気が張っていたから疲れていたんだと思う。

花子は主人の実家に泊まりに行っている。
みつさんがいなくなってしまってさみしい気持ちになっているのは私だけではないみたい。

みつさんの持っていた陽だまりのようなあたたかさを小さな花子が補えるならいいような気もするけど、それだけでもないのかもしれない。

なんとなく不安な気持ちが湧いてきて悲しい。
生きるって、な

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スイカと風鈴

スイカと風鈴

花子が娘とやってきた。

大きくなった。
やってくる度そう思う。

花子は娘に買ってもらった花火セットの大きな袋を大切そうに両手に抱えて嬉しそうな顔をしてうちに来た。

昨日息子と太郎がいつもの八百屋で買って来たスイカがちょうどよく冷えていたから、小さな三角の形に切って長方形のお盆に載せて嫁が持ってきてくれた。

白い小皿と塩の小瓶もテーブルの上に載っている。
その横に緩く絞ったお手拭きタオルも用

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今日の風

今日の風

よろこび

この言葉が自然に浮かんできて、筆を使って紙の上に書いてみた。

美しい形になった。

よろこび

この言葉の本当の意味を感じ取ることができるようになったのはいろんなことを通り抜けてここまでたどり着けたから。

見えないまま、流されるように生きてきてしまった。
かたくなな自分に溜息をつきながら。

だけど今、私はこうしてしあわせをかみしめながら生きている。

長い時間をかけてつらいことを

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裸足で踊ろう

裸足で踊ろう

こちらのタンゴの曲を聴いて書いたお話です。
この曲は最初、映画音楽として作詞作曲されたのだそうです。

日本語のタイトルは『想いの届く日』です。
森山良子さんが歌詞を訳されて歌っておられます。

ギターの演奏や歌詞のついている演奏などもYouTubeで公開されています。

こちらに貼らせていただいた動画はnoteで活躍されている432hzピアノで聴く癒しのBGMさんのピアノ演奏です。
聴いているだ

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