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不思議の国のキミへ

 事実は小説よりも奇なり。

 イギリスの詩人バイロンによって生み出された言葉だ。様々な人間が共感し、時代を超え、国を超え、はるばるこの極東の2020まで生き永らえている言葉の一つだ。

 しかし、一度考えてみて欲しい。現実では起こりえないことが、小説の中にはいくらでも起こりうる。つまり、小説の中では、奇なることなど存在しない。何が起きても不思議なことなどないのだ。

 人を殺めようが、好きなあの子と結ばれようが、この世に存在するすべての金より多い金を持とうが、空を飛ぼうが、過去に戻ろうが、未来へ進もうが、宇宙空間で呼吸をしようが、永遠の命を手に入れようが、死者を蘇らせようが、新しい世界を作り上げようが、、、

 小説の中で起きている出来事は、一切、奇なることではない。小説は、非日常を生み出す空間だ。非日常の中に存在する日常は、その世界での当たり前であって、まったく奇々としたことではない。

 現実はどうか。子が生まれることを人々は生命の神秘という。恋人や親友とのひょんな巡りあわせを運命という。科学の発展を奇跡と呼び、自然の驚異を神の意思と感じ取ってきた。現実世界で起きる事実が、小説よりも奇なることを我々はすでに知っている。

 学生時代の後輩は、怪談話が好きだった。人から聞いた話だが、と前置きし、本当にあったらしいんだとよく話してくれた。

 夢の中で殺された男がそのまま目覚めなかったとか、エレベーターに乗り込んだ女性がそのまま行方知れずになったとか、飛び込み自殺かと思われた駅の監視カメラに柱から伸びる手が映りこんでいたとか。

 それが、事実なのか創作なのかを知る術はなかったが、あくまで語りの範疇だと聞き流していた。

 しかし、上記した怪談はすべて現実世界で起きた事件である。後輩がその話をした2年後に。

 怪談の中であれば、奇々怪々と言うに及ばぬお粗末さだが、現実に起きたとなると、瞬時にこれが奇となり得る。

いま私が書いているこのラクガキも。

貴方が書いてきた作品も。

所詮はフィクションと侮ってはいないだろうか?

貴方自身が奇なる物語になる日は、そう遠くないのかもしれない。

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