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楽園の住人

 北ヨーロッパのバルト海沿岸に位置するフィンランドという国は、世界一豊かな水と、広大な美しい森を擁する自然の楽園だ。冬には毎夜、幻想を体現するオーロラが煌めき、夏には沈まぬ太陽が白夜と名を変え、文字通り白んだ光を灯す。

 こうした特徴的な四季を巡らせるこの国には、様々な伝承がなされている。世界で唯一正式に認められたサンタクロース。神から授かったともいわれる200以上の活用を持つ言語。森の奥には小人やエルフが住むという。

 この国に巡り合えたのは、民俗学演習のフィールドワークに参加したおかげだ。元はあまり興味のある領域ではなかったが、海外旅行をして単位まで頂けるというのは、一石二鳥の話だった。

 現地に着けば、教授はさっさと自分の研究のために姿をくらませ、生徒たちは研究など名ばかりの観光を始めた。

 かくいう私も、当然その一人で、美しい自然を胸のフィルムに焼き付け、現地の料理と名物のコーヒーも思う存分堪能した。夕方になれば、これまた有名な本場のサウナを体験した。ある種の臨死体験と呼ばれるそれは、比喩ではなく、本当の意味で天にも昇るところであった。

 夕飯を終え、ホテルに戻ると仲間たちはさっさと眠ってしまった。時差ぼけと、限られた時間での観光はなかなかハードであった。

 ところが私はというと、丹田に残る興奮が冷めず、一人で夜の街へと繰り出した。夜の10時が回っているというのに、外はようやく白み始めたところであった。

 外から見ても雰囲気が良いと分かるバーに入り、つたない英語で現地の酒を注文した。独特の香りだが、水がいいのか澄み切った味が印象深い。しばらく、ゆったりと飲みながらその日の余韻に浸っていると、同い年ほどの青年に話しかけられた。

 彼にとっても英語は得意な言語ではないようで、たどたどしいやり取りをした。奥に置かれたビリヤードプールへ連れられながら、勝者に一番旨い酒を、敗者に一番強い酒をと賭けた。

 結果はボロ負け。今日始めたばかりなんだ、とすかしてみせられたが、なんだか憎めない、気のいい青年だった。その後も2ゲームほど続けたが、ついぞ勝ちには届かなかった。

 カウンターに逃げてきた私を追って、彼は隣に座った。約束通り、好きなカクテルをごちそうしてやり、私はというと、40%を超えるアルコールでノドを焼いた。

 一気に酔いが回った私は、隣でカラカラと笑う彼にずけずけと質問をぶつけ、色々な話をした。

 彼は、見た目に反して年下であること。イタリアの大学に通っているが、夏休みで帰省中であること。次回はダーツで勝負をしようということ。大学の授業の一環でこの国に来たので、次があるかはわからないということ。日本が好きで、いつか行きたい国ランキング2位であるということ。1位じゃないのかよ。

 ついでに課題のネタを作ろうと、私は酔った勢いで青年に尋ねた。

「地元の人間なら、やっぱり、君も妖精のことを信じてるのかい?」

「どうかなぁ。正直、僕はあんまり…。だってあいつらウソばっかりつくからさ」

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