見出し画像

対話と僕⑨:「送り手」と「受け手」の問題Ⅰ

・はじめに

前回は僕自身が『対話』を通じて得られたモノをまとめてみた。
その中で正解や不正解に捉われない『発言の価値』について言及した。
今回はそれに関連する要素について掘り下げてみたいと思う。

・「送り手」と「受け手」の問題とは

今回掘り下げていくのは第5回『真っ当に批判し合う能力』でも言及した「送り手」と「受け手」の問題についてである。
そこでは概要を述べるに留めたが、それぞれに必要なモノを以下の通りピックアップした。

1,「送り手」に必要なこと
  ・提案の前に掘り下げ
  ・遠慮ではなく配慮
2,「受け手」に必要なこと
  ・理解しようとする努力
  ・違いに対する寛容
3,両者に共通していること
  ・相手への興味関心

対話と僕⑤:真っ当に批判し合う能力(たろっくす)
https://note.com/taroxdai/n/n3e7664973cbc

上記の詳細を述べると共に、加えるべき要素の検討もしていこうと思う。

・「送り手」に必要なこと:提案の前に掘り下げ

僕の経験上、コミュニケーションにおいて相手より優位に立ちたいと思っている人は一定数いるように思われる。
それが「論破」や「討論」と言った相手を攻撃するような意図を含んだ手法が一時期流行った理由なのかもしれない。
遠慮して言えない、声のでかい人の意見が通りやすい、と言った状況が多い中でこうした方法論が流行るのはわからなくもないが、相手を理解しようとしない手法は何も生み出さないように思える。

では、「送り手」に必要なこととはどんなモノがあるだろうか。
その一つが過去の記事で書いた「提案の前に掘り下げ」である。(「提案」と「判断」いずれかの表現で悩んでいるところである)
僕が見てきた普段のコミュニケーションや仕事上の会話にて「違い」に触れた時のよくある反応が反発の色が強い「提案」である。
「それは違う」「そんなことは無い」「何もわかっていない」等々、自身の価値観や判断基準にそって「提案」をしている。
しかもその「提案」は否定的なモノが多く、その先には「論破」や「討論」しか待っていないように思える。
これはいわゆる脊髄反射的なリアクションで否定的な意見を相手にぶつけてしまっている事と同義である。

とはいえ、感情的な反応や反射を消すことは不可能に近いので、自分の意見を伝える前に確認するというフェーズを意識的に挟むことが必要になる。
それが「提案(or 判断)の前に掘り下げ」という考え方だと思っている。
提案(or 判断)するためには材料を集める必要があり、そのために相手がそう思う理由を聴いてみる必要がある。
聴くだけでは物足りないのであれば「自分はこう思うけど」という枕詞を付けても良いと思う。
こうして「自分と相手の違い」を掘り下げていくのである。

・「送り手」に必要なこと:遠慮ではなく配慮

とはいえそもそも他者との「違い」に敏感でありそれを避けようとする人が多い中でどのように掘り下げていけばいいのだろうか。
そこで必要になるのが「遠慮ではなく配慮」である。

社会心理学的な観点で言うと、集団規範や斉一性圧力といった要因によって「違い」には忌避性が付きまとっている。
この辺りは相手や集団との関係性があればあるほど作用するもののように思える。
こういった現象は「あの人に悪く思われたらどうしよう」「この集団から外れてしまったらどうしよう」という恐怖心からくるのであろう。
加えて「間違い」への恐怖心も相まって「違い」を深堀ることを避けるのである。

こういった現象には最近流行の「傾聴」や「共感」という言葉も影響しているように思る。
「傾聴・共感≒肯定」という誤った認識がそれを更に強化しているようにも思える。
違った意見を言うのではなく相手を肯定する、受け入れる、という意識が掘り下げることを妨げているのである。
「傾聴」とは相手を理解するための姿勢であり、共感するか肯定するかはその先にあるのである。
そういう意味では「傾聴」には「尋ねる」ことも含まれており、それが「掘り下げ」に繋がっていくのである。

哲学者・言語学者であるポール・グライスは著書『論理と会話』にて言語を活用したコミュニケーションにおいては言外の意味である「含意」が存在すると述べている。
「含意」は有している情報や知識、価値観や経験によって形成される。
これは「人はよほどの理由がない限り適切にコミュニケーションをする為に可能な限りお互いが協力しあうことを前提としている」とする「協調の原理」が前提にある概念である。

コミュニケーションにこの「含意」が存在するのであれば、「違い」を感じた時に必要になる事は「含意」の確認(≒掘り下げ)という作業なのではないだろうか。
自分が感じた「違い」にはどんな意味があるのか、思考の前提を確認したうえで次のフェーズに進むというステップが必要となる。
そこで「遠慮ではなく配慮」をしながら掘り下げていくのである。
詰問に思われないように相手への興味関心を伝える、こうした配慮が前述の「協調の原理」という概念に繋がっていく。
更にはこうした配慮を伴った興味関心は「返報性の法則」が作用して、相手も応えてくれる可能性が高くなるのである。
こういった概念を念頭に置いておくとことで、意識的に配慮しながら掘り下げることを習慣化できる(または必要な時にそのモードに切り替えられる)のではないだろうか。

・書籍紹介

ここまで「送り手」に必要なモノを二つに分けて整理してきたが、この共通点は伝える為に何が必要か、という事なのかもしれない。
そこで伝える為の手法の一つであるアサーティブという概念の基本をまとめた書籍を紹介したいと思う。
大串 亜由美著の『アサーティブ―「自己主張」の技術』だ。

日常のコミュニケーションでも発生する相手が嫌がることを伝えなければならない時に活用できる概念である「アサーティブ」を紹介している書籍である。
how toとして読むだけでなく基本的な考え方や姿勢を学ぶべきかなと思う。
『正論は正論で尊重すべき』『理想論や机上論では困りますが正しいことは正しいとニュートラルに受け止めるべき』『相手に伝わるように話すスキルを磨かずに言わないことを選ぶのは我慢ではなく怠慢』あたりは今まで述べてきた内容とリンクすると思われる。

・最後に

一回にまとめようと思って書き始めたところ、一つ目の要素で結構な文字数になったので回を分けて書くことにした。
この辺りはまだまだ模索中のところなので、これからさらに変化していく生煮えの意見として楽しみながら見てもらえればと思う。
気付けば次回は10回目となった。
引き続き言語化しながら自分の思考をアップデートしていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?