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場とイノベーションについて

東京都豊島区にあった木造アパート。トキワ荘と呼ばれるこの木造アパートは、後のマンガ界を牽引する多くの巨匠たちが、その青春時代を過ごし、互いに切磋琢磨したことでも知られている。『鉄腕アトム』の手塚治虫、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄、『天才バカボン』の赤塚不二夫らが、トキワ荘からマンガ界におけるイノベーションを起こしていった。

近年、コワーキングスペースと呼ばれるビジネスモデルも注目を集めるようになった。このコワーキングスペースは作業場をシェアしてオフィス環境を共有できるサービスである。さらに、欧米ではコワーキングスペースだけでなく、コリビングと呼ばれるサービスの市場シェアが拡大しているとの話題もある(「暮らしをシェア、「コリビング」市場が拡大」)。コリビングとは、ルームメイトに加え、清掃サービスや交流企画など、生活を快適にするアメニティーが用意されたシェアハウスの仕組みである。コリビングのようなトレンドは、「共感」や「つながり」を大切にする価値観を持つとされるミレニアル世代のニーズを満たすものだろう。

また、シェアリングエコノミーは、2018(平成30)年6月15日に閣議決定された『未来投資戦略2018』においても重点施策として位置づけられている。

トキワ荘からマンガ界におけるイノベーションが発生したように、現代のトキワ荘と見做せるコリビングによる「つながり」などから、イノベーションが発生する可能性は考えられるだろうか。

当記事では、科学とイノベーションの危機に陥った経緯を示し、イノベーションのカギについて、三つの提言を行っている。

すなわち、(1)創造的な若者に創造の場を与えること、(2)科学行政官制度をトップダウンで始めること、(3)イノベーションの源とそのプロセスを精密に見極めること、である。

当文中では、イノベーションについて、知識や場の視点などから考えることとしたい。

1. イノベーションとは

イノベーションの定義は、ヨーゼフ・シュンペーターによるものが有名だろう。シュンペーターは、イノベーションを、発明→革新→普及の3つのフェーズを経るプロセスと捉えている。また、経済システムを内生的に変化させる要因として、消費者の嗜好の変化、経済成長、イノベーションの3つを挙げている。景気循環の長期波動(コンドラチェフ・サイクル)は「産業革命」とその吸収から生じるとみなす。ここでいう産業革命は、新生産方法、新商品、新組織形態、新供給源、新取引ルートや新販売市場を導入して、現状の産業構造を周期的に再編成する。そして、イノベーションとは、このような非連続的な生産手段の新結合を遂行することと定義する。不断に古きものを破壊し新しきものを創造して、絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異を創造的破壊と呼ぶ。

そして、技術変化の担い手として大企業の研究組織を重視する。また、新製品や新技術などの導入を通じた動態的競争が重要とする。たとえば、知識は技術の一形態であり、獲得・蓄積された知識ストックがヒトや組織に利用されて技術変化が生じる。

たとえば、2018年のノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマー教授は経済成長の重要性を指摘し、知識やアイデアが持つ非競合性という性質が持続的な経済成長および内生的な技術進歩を可能にすると述べている。

イノベーションの中間投入物として蓄積された知識は、技術変化を引き起こすことにつながる。技術変化は、次の3つの類型に分類することもできる(下図参照)。

(1)「一対多」タイプは、基礎発明があり、それが広い用途を持つ応用発明につながる場合である。(2)「多対一」タイプは、多くの補完的な要素技術を組み合わせることによって発明の実施が初めて可能となる場合である。(3)「クオリティ・ラダー」モデルは、品質が段階的に改良されていくパターンである。

2. 知識とイノベーション理論

知識が獲得・蓄積され、知識ストックとなり、ヒトや組織に利用されて技術変化が生じることを述べたが、知識にはどのようなものがあるだろうか。マイケル・ポランニーは、知識を、(1)個人や組織に体化され蓄積された経験や勘のような知識である暗黙知(tacit knowledge)、(2)特許のように、言語化され、あるいはコード化された知識である形式知(explicit knowledge)、の2つに分類する。

暗黙知と形式知による知識創造理論として、野中郁次郎教授と竹内弘高教授はSECIモデルを提示している。このモデルは、個人が持つ暗黙的な知識(暗黙知)が、「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」という4つのプロセスを経ることで、集団や組織の共有の知識となると考える(下図参照)。

進化論の基礎は、「多様化」(有機体や組織が違う特徴を持つ)、「選択」(これらの違いによって、その有機体が生き延びる能力に差が生じる場合がある)、「維持」(ある世代から次の世代へと、有益な特徴が受け継がれる可能性がある)、の3つである。ヒトや組織の存続、イノベーションのためには、「多様性」「選択」「維持」なども重要だろう。

トキワ荘からマンガ界にイノベーションが発生したように、コワーキングやコリビングは、「多様性」「選択」「維持」を高める機能を果たすことも考えられる。米国のマサチューセッツ州にはボストンのイノベーションエコシステムがあるそうだ(「イノベーションは人の密集によって起こるーーボストンのエコシステムに学ぶ」)。ヒト、モノや知識などが集まることで、集積の経済による規模の経済等もあるだろう。

組織、コミュニティや文化を乗り越えることが、今後のイノベーションにとって重要であると考える。

3. 日本における研究開発人材の現状

これまでイノベーションについてみてきたが、これからイノベーションの担い手である研究開発人材の現状について確認することとしたい。

イノベーションは科学技術に関わり、その科学技術を支える基盤は人材である。OECDのフラスカティ・マニュアルでは、研究者を「新しい知識の着想または創造に従事する専門家である。研究を実施し、概念、理論、モデル、技術、測定、ソフトウェア又は操作校訂の改善もしくは開発を行う」者と定義している。

『科学技術指標』を基に、日本の研究者数の推移を確認してみる(下図参照)。

2017年時点で日本の研究者数はヘッド・カウント(HC)で91.8万人、フルタイム換算で66.6万人である。中国はHCで169.2万人(2016年)、米国はHCで138.0万人(2015年)であり、日本は世界3位の規模である。

次に、研究者が所属する部門について確認してみる(下図参照)。

日本の場合、研究者の多くは民間企業に属する。そして、諸外国と比較し、大学や公的機関に属する研究者数は少ない。さらに、日本の研究開発活動の動向を確認すると、日本では部門の壁を越えた研究者の移動が少ない。日本の研究開発人材の流動性は、他国と比較して低いことも特徴となっている。

たとえば、研究者の流動性を高めるための組織を越える場をつくることなども課題だろう。また、研究者だけでなく、企業で働く者なども組織の壁を越えることが大切なことは同様だろう。

4. まとめ

イノベーションが停滞する理由は何だろうか。イノベーションによる新技術は、それを用いる企業に利益をもたらす。そして、新技術は従来技術を陳腐化させる効果を持つ。イノベーションによる新技術の利益がある一方、従来技術の陳腐化による損失が、イノベーションによる実質的なメリットを低下させる。このような効果は、置換効果(または共食い効果)と呼ばれる。

たとえば、企業ではなく国に例えてイノベーションを考えてみよう。戦後の日本は高度成長を遂げたが、米国等にキャッチアップする時代でもあった。当時はイノベーションの利益も大きく、また「問い」の設定は米国等の模倣でも良かった時代であると考えることができるかもしれない。しかし、日本はキャッチアップからジャパン・アズ・ナンバーワンとして「問い」を設定する国になった。新しいイノベーションの必要性があった。だが、失われた10年などが叫ばれるようになり、イノベーションに失敗した。置換効果で考えると、日本人は本気になれなかったのかもしれない。

デジタル経済が進んだ現在、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれる企業の市場シェアが拡大している。これらの企業の特徴はネットワーク効果等が働くことである。たとえば、市場の二面性によるツー・サイド・プラットフォーム戦略などもある(「Strategies for Two-Sided Markets」)。一人勝ちの経済である。日本人は本気になる必要があるのかもしれない。

これまでの時代と比較すると、現在はイノベーションのための仲間を見つけることは簡単になったかもしれない。たとえば、エクセル達人ユーチューバーもイノベーターの一人だろう(「エクセル達人ユーチューバー 世の残業減らす使命感」)。ユーチューブという場を活用して、ビジネスパーソンの残業を減らすための動画を公開している。

トキワ荘からマンガ界にイノベーションが生じたように、現代のトキワ荘と見做せるコリビングからイノベーションが起きるかもしれない。また、インターネットなどの空間からイノベーションが起きるかもしれない。

たとえば、経営について、ミンツバーグ教授は「アート」と「サイエンス」と「クラフト」が混ざり合ったものと述べている。イノベーションは、「組織」、「コミュニティ」や「文化」などが混ざり合って生じるのかもしれない。たとえば、丸の内、官庁街がある霞ヶ関や日本経済新聞社がある大手町などの「東海岸」と呼ばれる企業と渋谷や六本木にあるベンチャー企業に代表される「西海岸」と呼ばれる企業のヒト、コミュニティ、文化の融合が求められる時代になることも予想される。これからは、流動性や多様性を高める「場」を創出し、組織、コミュニティや文化の「壁」を乗り越えることが、さらに重要になると考える。


【参考文献】
山口周(2017)『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』
伊神満(2018)『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』
花薗誠(2018)『産業組織とビジネスの経済学』
岡田羊祐(2019)『イノベーションと技術変化の経済学』
チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン(2019)『両利きの経営:「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』渡部典子訳

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