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虎屋の羊羹は世話のかかる銘菓だ

学生の時に、祖母の家に行った時、不思議に思った事がある。

祖母の羊羹を食べる速度だ。

僕にとって、羊羹は一口、一口、一口、完食。だ。

祖母は、ボーッとテレビを見ながら、少しずつ食べる。

2階でゲームを小1時間して、下に降りる。
未だ、羊羹がテーブルに鎮座しているではないか。

「ばあちゃん、羊羹食べるの遅すぎんか。」笑いながら、聞いてみた。

「あたしゃ、お菓子をなあ、味わってんのよ。」祖母は言う。

味わう、つったてなあ、胃袋入れば、同じやろ。と内心思った。


この前、祖母の為に喪中でお菓子が送られてきた。大往生だった。

お菓子は、虎屋の羊羹。

虎屋の設立は室町時代。京都の銘菓。

数々の戦を超えて、そんな荒れ狂う時代の中でも
誰かが紡ぎ続け、愛され続けてきた味。

夕食後に緑茶と一緒に頂くことにした。

甘味がテーブルに鎮座すると
4人の椅子が全て埋まる。

羊羹を果物ナイフのようなもので、切り分ける。

虎屋の羊羹には重厚感がある。スッと切ることは出来ない。

この重厚感が既に他の羊羹と違う
食べ応えたるものが伝わってくる。

さらに小さいフォークで切り取った羊羹を口に入れる。

1口目

ん? 甘味が全くせん。あれ、庶民には判別不可能の甘味か?

と様々な疑問が頭の中に湧いてくる味だった。

家族も「高級ってのは素朴やねえ。」とか
甘味を感じることが出来ない自分達を肯定していた。

2口目

どうしても甘味を感じたい僕は舌に全神経を集中した。

ゆっくりと羊羹を噛んでみる。

すると、微かであるが、しつこくない餡子の味を確認することが出来た。

また、噛んだ羊羹を舌の真ん中より先に置けば、
より甘味を感じ取ることが出来る。

3口目以降

ゆっくりと噛むことを意識する。

羊羹を口の中で転がしながら、
舌に当たる場所で味の雰囲気の変化を楽しんでいく。

舌の奥だと、よりあっさり風味。
舌の先だと、蜜の味が鮮明に広がってくる。

僕は舌が肥えるっていう言葉があるなら、
舌が楽しむっていう言葉があっても良いと思っている。

舌が肥えるってのは、舌の感覚が鋭くなって、
食に関して、良し悪しの選別がはっきりしていく言葉だ。と思う。

舌が楽しむ。これは、舌の様々な場所に繊細な味を置いてやることで、
大事に舌が味を拾っていくという言葉だ。

前者が撥ねつけの言葉であれば、後者は受け入れの言葉だと思う。

後者の塩梅で楽しむ事が出来た。

また、羊羹を舌で転がす作業はワインの楽しみ方と似ている。

ワインも舌で転がせ、と本で見た。

ワインはすぐに喉に流し込むではなく
少し口に含んで、口内をゆっくり循環させる。
すると、喉から鼻先に掛けて、風味が駆け回る。

羊羹を舌で転がすのは、お下品だ。と言われるかも知れないが、
羊羹を舌で転がして、御免遊ばせ。と言って、転がすと決めた。

羊羹を食べ終わった後、祖母との羊羹に関する記憶を思い出した。

ああ。ゆっくり食べると時間が掛かる。当たり前のことだ。

けれど、お菓子の味をより鮮明に感じられたし、
何より、目を瞑って羊羹を噛んで、目を開いて
うまあ。とボーッとする時間が心地よかった。

祖母は、丁寧な暮らしのパイオニアだったようだ。

舌で転がさないと、感じられない奥ゆかしい味。
時間を掛けて、味わないと見過ごしてしまう味。
世話のかかる銘菓だ。

現代社会に生きる僕に
この時間と味、忘れちゃいかんよ。
と虎屋の羊羹と祖母が語りかけてきた。


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