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「蛇にピアス」感想・考察

読んだきっかけ

先日、金原ひとみの代表作の一つである、「蛇にピアス」を読んだ。
比較的短い本で、図書館で借りて二時間ほどでざっと読み終えた。

金原ひとみさんというと、父親が金原瑞人という翻訳家であることも知らている。わたしは先に、金原瑞人さんのほうを知った。
彼は、アメリカの作家であるジョングリーンという人のYA向け小説を何冊か訳している。ジョングリーンも好きだが、金原さんの翻訳も好きで、ある日Wikipediaで金原瑞人さんを調べたところ、娘のひとみさんも有名な作家であると知った。そしてその作風にも興味を持ち、「クラウドガール」という作品を読んだ。この本が初めて読んだ金原ひとみさんの本で、引き込まれるように数時間で読み切った。
そして今回、図書館で「蛇にピアス」を見つけ、ピアスに興味のある私はその題名にも惹かれ、本を手に取った、というわけだ。

感想・考察

ここからは本を読んで思ったことを書いていくが、まとまった内容ではなくただ感じたこと、考えたことを書き連ねているだけなので、内容的にもしょぼいです。

家族関係

「蛇にピアス」と検索すると、その候補に「気持ち悪い」と出てくるように、確かに気持ち悪い、グロい描写がいくつかあった。しかしそれよりもわたしの印象に残ったのは、主人公ルイの家族関係に関する発言だ。作中では家族関係についてあまり言及されないが、終盤で、タトゥー・ピアススタジオを経営するシバさんが、ルイに家族について尋ねる場面がある。するとルイは、自分はよく孤児にみられるが、両親はそろっているし、今のところ家族関係に問題はない、と答える。わたしは孤児だとは思っていなかったが、家族関係や家庭環境に何らかの問題を抱えている、あるいは抱えて育ったのだろうかと思っていたので、予想と違って少し驚いた。「今は」問題はない、と言っているので、昔はあった可能性も考えられるし、ルイにとっては問題がなくても周りから客観的に見れば問題があるかもしれない。またそもそも問題のない家庭などないし、問題があるかないかではなく、その程度や大きさが重要なのではないかとわたしは思う。

そしてわたしにはやはりある種の偏見があるのだなと思った。
ルイはピアスやタトゥ-などの身体改造に夢中になっていて、ルイが、痛みが生きる意味だという趣旨の発言をしていることから、それらは自傷行為のような意味も持つのではないかとも考えた。
そしてアンダーグラウンドな世界で生きることを望み、犯罪行為と近い人々とつるんでいる。
これらの行為を見ると、ルイは家庭環境に不満や葛藤があって、危なっかしい世界に入っているのではないかと思ってしまうのだ。
だから、ルイが家族関係に問題はないと答えたことを不思議に思った。
しかしもともとアンダーグラウンドな文化や世界が好きな人はいるし、家族関係以外にも、個人に大きな影響を与える出来事や要因はいくつでもある。一体何がルイをそのような行動や関係に駆り立てるのだろうか。生きづらさ?あるいは作者自身の気持ちの表れなのだろうか。生まれもった性格や性癖に理由がないように、理由なんてないのだろうか。

精神疾患と小説

わたしが読む小説には、よく精神疾患をもった人物や、不安やパニックの発作やうつの場面が出てくる。
それほど精神疾患が身近であることの表れなのか、わたしがそういう本に興味があって引き寄せてしまうのか、はたまた小説家をはじめとするクリエイティブな仕事と精神疾患の関係性が高いだけなのかはわからないが。高い確率で出てくる。
「クラウドガール」でも主人公とその母親が精神的な病を持っていたし、
今回の「蛇にピアス」でも、アルコール依存や自殺などが描かれていた。
でも、そもそも病気と性格を区別するのは難しい場合もあるし、その診断が曖昧でわかりにくい場合も数多く存在する。自分が苦痛に感じたり、周りを苦痛にさせたり、社会生活に支障が出たり、あるいは脳の機能に異常をきたせば病気なのだろうか。精神疾患とはどのように定義されるのだろうか。本を読むと色々な疑問や知的好奇心が湧いてくる。

ピアス

ピアスに興味があったことから、題名に惹かれて本を手に取った、と書いたが、私の耳には6,7個のピアスホールがある。またバイト代が入ったら鼻に開けてみたいな…とも考えている。しかしルイやそのパートナーのアマやシバさんはもっと上を行き、ピアスを開けるだけでなく拡張やスプリットをしている。粘膜にも開ける。
私にとってピアスとは自傷のためにする時もあるが、なにかの象徴や審美的理由から開けているときもある。
小さい頃にピアスを開けるのが一般的である文化もあり、わたしは羨ましいな〜と思うが、当人たちからすれば勝手に開けられるのは嫌だと思う人もいるかもしれない。

フリーターと自由

主人公のルイはほとんど働かないフリーターで、アマのバイト代で養ってもらっているが、たまにコンパニオンのバイトをしてはアルコールや好きなものに使っている。
わたしのきょうだいもフリーターだが、ほぼ毎日出勤しているので、かなり真面目に頑張っているのだなと思った。たまに勉強意欲が湧いては適当に語学学習や課題をし、ダラダラとスマホをいじる私とは違い偉いなと思う。

以前雨宮処凛さんという人の本で(題名忘れた)、フリーターのフリーは働きかたのことも指すが、いつでも首を切れるので「企業にとって自由」という意味である、とあった。また、フリーターは甘えてる、自立してないと言われるけど、正社員に比べてずっと自立させられている、依存する場所=守ってくれる所属先がないから、とも書いてあった。そんな考え方したことなかったので新鮮であったとともに、フリーターのきょうだいを傍から見てきたのもあって、すとんと腑に落ちた。
きょうだいには、持病や苦手なことなどもありこの働き方を選ばざるを得なかった部分もある。そう考えると、依存しているように見えるフリーターは、よっぽど自立を強いられているのかもしれない。
たしかに責任の重い正社員と同等に扱うことには不満があるかもしれないが、この社会構造はどうにかならないものかと思っている。

終わりに

本当にまとまりがなく、思ったことを書いてるだけの文章になってしまった。今まで書いてきた拙い読書感想文よりひどいが、これは読書感想文ではないのでまあいいとする。(ちなみにわたしは読書感想文大っ嫌いである。)また本の感想や考えたことなどを書いてみたい。

最後まで読んでくれてありがとう。 るえな






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