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なぜ横浜? どこ黄金町

建築学科を出て国内の建築設計事務所で働いた後、2017年からトータルで1年ほどは海外で働いていた。仕事を辞めた後はまた1年ほど、ずっと行きたかったインドネパール、中国、北米、中米、南欧を放浪する生活を続けていた。日本に帰ってきたのは2019年、コロナ直前の初夏だった。筆者の生まれは千葉、育ちは名古屋で、大学は北海道、東京で働き、海外でも働き、土地に根を張らず大志を抱いてあちこち覗く生き方を楽しく続けてきた。帰国した後も再び欧州に長期で乗り込もう、と準備していた。しかし、物をつくるにはある程度は場所や道具が必要になるし、ましてや建築や家具となれば規模を大きくするにはチームも必要になる。Youtuberやウェブ運営ならまだしも、実在する何かをつくる人間として、ローカルな拠点を持っていない自分。帰国直後のコロナ渦で、自分の生き方を改めて振り返る中で、作り手としての自分の半端さや無責任さに気づきつつ、目を背けていた部分もあると思い始めていた。

内省しつつ潮目を読む中でも、相変わらずあちこちへ旅は続けていた。旅する中で、世界中どの国に行っても港町を好んで長期滞在することが多いことに気がついた。港町は居心地が良い。都会の港町はいつの時代でも新しい風を運ぶビジターが出入りすると同時に、ローカルのコミュニティもしっかりしている。だからこそ地場産業が育ち、地場の魅力に惹かれまた新しい人々が訪れ、という好循環が起きている都市が多いように感じられる。日本に住むならそういう歴史的な文脈を持つ街に根を張りたいな、とつらつら考えていた。そんな矢先に、横浜や横須賀の現場担当になる機会が重なり、毎日のように通う中で意外と近くに良い港町があったことに気づき、横浜を拠点とすることにした。

横浜は港町という事以外にも重要な特徴がある。東京と違い平地が少なく、市の面積の多くは丘陵地が占める坂の都市であり、街を歩くとダイナミックなシークエンスが味わえる。長崎や香港、リスボンやサンフランシスコを歩いた時のワクワク感に近いものを感じる。歩くだけで楽しいことは生きるだけで楽しいということなので重要なこと。日本のどの都市よりもいち早く、都市計画において欧米の景観コントロール手法を実践し運用してきただけあり、街並みに趣もある。かと思えば、東京より巨大な再開発の資本の手が伸びづらく、怪しい歓楽街や雑居ビル郡、野毛の酒場など、古臭い飲み屋街も多く残っていることも筆者にとっては魅力であった。

そしてたどり着いたここ、横浜黄金町は、戦前には大岡川岸の問屋街として栄えた。その後は戦後から90年代頃まで日本で有数の麻薬、売春、風俗の街であった。当時の黄金町は黒澤明の「天国と地獄」の中で地獄として扱われる程、混沌とした街だったようだ。戦後、横浜の各地で美しく発展していく街が増える中で、その歪みを一手に引き受けたのがこの黄金町だとすれば、これからはこの街がその借りを少しずつ返す番になっても良いのかもしれない。現在では地域住民の環境改善運動によって、元々はちょんの間だった場所に作家を誘致してアトリエにしたり、空き店舗をカフェにしたりしながら常に更新され続けている街である。各時代によって濃い風景がレイヤーを重ねるように積層されている街は貴重だ。綿毛のようにたどり着いたこの街と、筆者も共に成長していきたいと思っている。

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