見出し画像

#60 『仙台と牛タン』

2024年4月某日

大型連休を控える週初め、いかがお過ごしだろうか。通勤電車の座席に、ところどころ空席を見つけることができるのは、きっと、既に連休を謳歌していると思しきアイツがいないせいだろう。今日もがんばりましょう。

さて、筆者は休暇があれば、全国様々な「地方」に出向くことをライフワークとしている。地方創生や地域活性化を仕事にしているのだが、実のところ、まだ訪れたことのない県もある。生涯で、全ての市町村(1,700以上)を踏破することは難しいかもしれないが、せめて47都道府県は2周くらいはしたい。

そんなわけで、この度の大型連休では、宮城県を目的地とし、旅行という名のフィールド・リサーチを実施したいと考えている。先日、家族会議を運営していたら、次のようなアジェンダに行き着いた。「仙台は、なぜ牛タンが有名なのか」という素朴な問いである。様々な仮説を考える過程で、ユニークな視点に出会ったので紹介したい。

ひとつめの仮説は、「原料の産地として、沢山肥育している」というものであった。具体的には、牛タンの供給元である「肉牛」が沢山肥育されるエリアがあるからその産物の供給もまた多く、結果として「牛タン」も沢山消費されている、という仮説である。

ふたつめの仮説は、「かつては、肉牛は”身の肉”こそが良いものとされ、ホルモンやタンには高値がつかなかった。そのため、販売されない牛タンは庶民の食卓に並ぶこととなり、地域の食文化として定着した」というものであった。地域産業の特徴に紐つく形で、「ライフスタイル」や「ソウルフード」として定着した、という仮説である。

いくつかの仮説を比較するなか、ひとつめの仮説、すなわち「原料の産地として、沢山肥育している」について、疑問が投げかけられた。「牛には舌はひとつしかないはずだ。牛の肥育量が他地域と比較して突出していないのであれば、一頭の牛からとれる舌が”大きい”または”多い”としか考えられない。」と。筆者は、この視点に納得していた。実際、日本に流通している牛タンの多くはヨーロッパ産のものも多いし、日本国内に様々ある肉牛産地と比較して、仙台の「肥育頭数」が突出して多いとも思えないからだ。

そう思っていた頃、ひとりがこのように呟いた。「そう考えないと矛盾が生じると思っているのでしょう。矛盾を生じさせるということは、仙台の牛は”二枚舌”なのかもしれない。その仮説が正しければ、肥育頭数の制約が舌の供給量に与える影響は少なくなるだろう」と。

なるほど。とはならなかった。
ほなら。

追伸:ちなみに、「仙台でなぜ牛タンの食文化が根付いたか」に対する答えは、終戦後、米軍の駐屯地であった仙台に、原料としての牛肉・牛タンが流通しやすい環境にあったことがきっかけであるそうだ。牛タンを食した地元の飲食店オーナーがその魅力に注目し、日本式の「牛タンスタイル」を確立したことが、食文化のはじまりとされている。仙台の牛は二枚舌ではなさそうだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?