「許せない」その根元にあるのは。

今日もこのページを読んで下さりありがとうございます。
目的に沿って、お読みいただけたらと思います。


わたしも、あなたも通る道。

突然ですが、あなたの子ども時代はどんなものでしたか?
お父さん、お母さん、あなたの子ども時代にそばにいた周りの大人との関係は、あなたにとってどのようなものだったでしょうか。
そして、そんな子ども時代を思い出すと
心がざわざわすることはありませんか。

今日は、どんな大人であっても、突き当たる道についてのお話です。
その道を通るのか、目を瞑るかは、その人が決めるものなのです。


ある職員さんがいます。
その方は一生懸命子どもの支援に勤めていました。

しかしその職員さんは担当している子どもさんが、別の職員さんに懐き甘えることが許せません。
その子が自分の前でいい子でいないと、許せません。
自分にわがままや自分の意見を主張することが許せません。
その子が学校に行かないと、許せません。
思う通りにならないと、許せないのです。

もう一度言いましょう。
その職員さんは、とても一生懸命子ども支援に勤めている方です。
ではどうして、このような心理状態になってしまうのでしょうか。


「求める大人。それを満たす子ども」

この仕事をしていると、必ず「自分が生まれ育った中で得てきた価値観」が仕事の中ににじみ出てきます。
その中には、親を含む様々な養育者(特に父母)との関係が築かれていく過程で生じた感情が、支援対象である子どもが向くことがあるのです。

その中でも「子ども時代から心の奥底にあり続ける、親を含む養育者(以下親と表記)への葛藤感情」という、複雑なものを、子どもに向けてしまう。
そしてその子に子の心の苦しさの解決を求めてしまう。
そんな危険性を私達支援者は持っているのです。


「親に認めてもらいたかった思いを目の前の子どもに課す。」
「親から得られなかった自分の存在意義を子どもに求め、依存、執着する。」

支援者としてそばにいる大人が親に求めてたもの、親との間で得られなかったもの。
そんな解決できていない葛藤感情を、日常的に突き付けられた子ども達は、その大人の機嫌を取るように、大人の求めるものを提供するようになります。
「求める大人。それを満たす子ども。」
そんな、「どちららが支援者か」分からない、支援とは言えない関係に流れていってしまうのです。

実際の現場でも、そのような状況は見受けられます。ご本人は何の気無しでも、周りから見たら異様な関わりに捉えられるものもあります。

このような逆転移と呼ばれ、その程度は人それぞれです。
深くならずに済む人もいれば、支援とは言えないような感情の乱れ、苦しさを繰り返してしまう。そんな現実もあります。

しかし、誰しもが抱く【子どもが許せない】という感情。
この感情を私達は一体、どう扱えばいいのでしょうか。


「許せない」をひも解く

私は子どもと携わる、特に虐待というヘビーな環境下で生きてきた子ども達のケアをする者として、
・その感情がどこから来るのか(嫉妬?不安?焦り?等)
・その価値観をつくったのはどの出来事か。

と自身の言動を振り返り、許せないという感情をひも解きます。
そうすると、「目の前の子どもは何も悪くない」ことに気づけるのです。
自分の言動や感情が本当は誰のためのものだったか、見つめ直すことができるのです。

大抵は、子ども時代の、あの頃の自分のためだったりするのです。

そう気づくこと。自分にはそういう面があると自覚すること。
その積み重ねが目の前の子どもを守ることに繋がると信じ、自分を振り返る、を続けているのです。


今日の+1「この子の生活は、この子のもの」

以上のことを踏まえて、今日の+1はこちら。

「私の過去は、私のもの」
「この子の生活は、この子のもの」


自分と目の前の子どもの心と人生がまったくの別物であること
子どもがあなたの心の傷を埋める必要が全くないこと、
これを理解するだけでも、自分の感情と子どもの現実を切り分けて捉える力となるでしょう。

この仕事を選択する前に、こんな危険性を私達は兼ね備えている、という今回の知識をぜひ覚えていてほしいと思います。
そして、それをコントロールできるものか、自分でも難しいものであるかを考える。それはあなた自身、そして子ども達の感情を守るために必要な自己への問いかけになるかもしれません。

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